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第一話 生まれ持つもの

―――

「お前さんは……? 何が目的だ……?」
「我々は、真など要らない」
「何のことだ……?」
「でもアンタには、壮大な価値がある」

……「その価値を、我々は奪うまで」

――

あちらに居る商人の顔を見てご覧なさい。顔に大きな傷があるだろう?
あの者も、一度は傷付いたことがあるのだ。
そもそも誰もが傷ひとつなく生きることなど、不可能に等しい。
それは、身体の傷だけではない。
今、目を瞑って、そこに浮かんだ人間の頬を叩いてご覧なさい。
どんな顔をしているかい?
泣いているかい? 笑っているかい?
もしも頬を赤くして、シクシクと泣いているのなら、それはそれは心が傷むことだろう。
なかには全く傷まなかった者もいるかもしれないが、その叩かれた者は、きっとその頬に、いつまでもじわりじわりとした痛みを持っているのだ。
すべてを悟ることは難しい。だがね、わたしの顔や言葉が突然、雨や雪のようにシンシンと。あなた方のもとに現れることがあるとするならば、「それは愛なのだ、それが心なのだ」と思っていてほしい。
また、その想いだけは、どうか懐に温めておいてほしいのだ。
他はなくてもいい。それが、わたしたち、和道(わどう)家代々の務めである「話道師(わどうし)」の意味であり、芯なのです。

――

盛大な拍手を受ける祖父は、偉大だ。
近所のおじちゃんもおばちゃんも皆、自分たちの仕事を急いで終わらせては、着物を着た祖父が待つ外へ集まってくる。それから祖父の話に夢中になって、目を輝かせている。話ひとつひとつには、目に見えない魔法がかかっていて、人を幸せにできるのだろうなと思う。
いや、それだけじゃない。祖父は昔っから誰にでも優しくて、とても皆から愛されていた。近所のおばちゃんがひっきりなしに、家の余った煮物を嬉しそうに持ってくるのも、無理もない。きっと祖父のすべてに虜になっているからだろう。その余りご飯を嫌な顔せず美味しそうに平らげる祖父の姿は、小さい頃の記憶でも、忘れず覚えている。
そういう彼の人柄の良さは、話道師として、人々に美しく光ったのだろう。話を聞いた者は、まるで美味しいお饅頭を食べたときのような、ホカホカした気持ちで自分の家へ帰って行くのがとても印象的だった。
僕はそんな祖父を心から誇りに思っていたし、和道家のしきたりでもある「話道師」の道を、今すぐにでも継ぎたいと思っていた。

――

「ある商人の話だ。この商人はとんでもない性悪で、金目の物を盗ってはムシャムシャと食べて、いつのまにか饅頭のような身体になっていた。その大きな身体で盗みを働こうとしてもそりゃあ無理な話で。結局、人もその饅頭男から離れていって、饅頭男に残ったのは、大きな身体だけだったのだ……」

18の独り立ちの日になるまでは、ひたすら修行だった。
朝早くに起き、家の周りを歩く。履いている草履がすりきれるほど歩いて歩いて考えた末に、父の前で何度も何度も話を披露する。僕は父曰く、「地獄のように話し下手らしい」。そのせいか、毎日叱咤ばかりを受け、頭をドンッと殴られる。それが僕の日課だ。

祖父の偉大さから来るものは、子供の僕でも何となく分かる。あれは誰かがすぐに真似できる代物ではない。色んなものが祖父の味方をしている、というか、太陽ですら祖父の話を聞きたがってるのでは?ってくらい、それはそれは眩しくて。あれと比べられるのも、比べたくなるのも分かる。和道の人間だからかもしれないけど、祖父と僕はいくらツギハギを縫い直してもきっと届かないし、違うもの。でも、それでも僕はいつか、祖父のようになりたい。

「お父様。 今日はどこが駄目でしたか?」
「お前の話は、饅頭男のことばかりで、中身が無い!」
「中身というのは…」
「それは自分で考えるんだ!」

叩かれて真っ赤になった頬をつねって、またやってくる明日に向けて。真っ暗になるまで、静かな声でもボソボソと話を重ねるんだ。だって、祖父は言っていた。「重ねれば重ねるほど、上手くなって色が付いていくものだ」って。だから僕はどんなことがあったって、叩かれたって、話道師に……ならなきゃならない。

話道師にとって、風邪をひくことは大層致命的なことだ。喉を痛めた声は、たとえどんなに心のこもった話でも、集中を欠く材料になってしまうから。だから祖父は、ひどい風邪をひいていたとしても、ギュッと太股を掴んで、聞いてくれる者の為に努力をして話を続けていたという。なかでも特に咳が出てまともに話せなくなるのは、和道の人間として、大恥。それは誰でもわかる、単純明快なこと。

「風邪を引いたのか?」
「はい。 ごめんなさい」
「お前は本当にできない子供だな」
「ごめんなさい、ごめんなさい」

寒い日、家の周りを歩いて考えていると、どうしても身体が冷える。冷えた身体を癒やすまでもなく、ひたすらに話をしているせいか、僕は風邪をひいてしまった。父は、見たこと無いような顔で僕を叱咤し、何度も何度も殴り。そして、僕を真っ暗なところに閉じ込めたんだ。

悲しかった。何がって、一番は僕が風邪をひいたことだ。
父にされたことは、今となってはなんとも思わない。あれは、祖父の話で言う、「愛」だ。きっと僕が全然できていないから、愛をたくさんたくさん僕に注がなくてはならなくなったんだ。すべて僕が悪い。

ゴホッ、ゴホッ……死んだおかあちゃんが言っていた。「お前は私に似て身体が弱い。だから日頃から鍛錬して気を付けなさい」と。あれだけ言われていたのに、僕はひとつの約束さえ守れもしない、弱いんだ。話もできないし、僕には何にもないんだな……

――

――10年前

あれは確か、柔らかな風がサーッと吹いて、妻の顔が太陽に照らされた時。
か弱かった妻が身ごもったと聞いた時は、毎日、心が海から上がった魚のようにジタバタとしていた。そしてその時はただ、この愛する妻と、目に入れても痛くないこの子供を守ることだけを絶対に誓った。そのはずだった。
でも、そのうち、「先祖代々受け継ぐ話道師を絶やさぬよう……和道を絶やさぬように……」と、いつの間にかそんな気持ちでたくさんになってしまった。妻には苦労をかけ、時には手をあげてしまった。こんなに痛いのだなと分かったのは、時をだいぶ刻んだ後で、妻にこの大罪を謝ることも出来ずに終わってしまったが……その妻が命をかけて産んでくれた私たちの大切な子供は、運良くなのか、悪くなのか、男の子だった。

長男、先祖代々受け継がれる話道師。それは周り含めて大層求めるものが大きくなる。段々と、様々な想いが、重く重く膨らんでいく。でも、こちらの思うように息子は育たなかった。家の周りに咲いている桜のほうが、よっぽど綺麗に咲いて育っている。でも、その桜の下を歩く息子は、どこか妻に似ていて、時々「こんなに可愛い子を、どうして痛めつけることができるのか」、自分でも恐ろしくなる事があった。

ある日、妻は言っていた。「この子はきっと強い子でしょう。だって、私たちのもとに生まれようと、必死に私の弱い身体の中で戦っているんですから」と。その妻の言うとおり、本当に息子は強かった。
私が小さき頃は、正直そこまで力を入れていなかった。話は何度覚えても上手くならない。加えて、こちらは至極真っ当な話をしているのに、周りからは「嘘話のように聞こえる。お前には心がこもっていない」と、よく先代に怒られていた。でも確かに、どこかでこの話道を馬鹿にしていたのかもしれない。
昔、たったひとりの友に話した秘密を暴露された。今となっては大したことのない、「誰々が好き」という、くだらないものだ。しかし、あの時は私の中では恥ずかしいという気持ちだけじゃなかった。その「誰々」が、何を隠そう、今は亡き大好きな妻だっただけに、妻に嫌われることや、妻が傷付くのではという要らぬ不安があった。それより何より、信頼する友に裏切られたことが悲しかったこともある。こんな不幸な気持ちになるなら、いっそ人を傷付けたくなったのを覚えている。

話道師は皆、「真の話で人が変わる」と未だに思い込んでいる。
人ってそんなに義理堅いものなのだろうか?、そこまで信じ切れるほどの何かがあるのだろうか?と、前々から思ってはいたが、先代はそんな事も考えさせないほどの温かな人柄があって、心で話をしていた。あれが私には無かったのだろう。奥底にはいつも「こんな戯言なんて……」という心を持っていたから、私はこの程度に終わったのだと思う。

――

――現在

私の目の前にいる愛しき息子は、足に無数の星のように傷をつけて帰ってくる。草履で擦れた痕が毎回大きくなるのだ。一度もそれを痛いとは言わなかったが、私はとても痛々しくて、心が泣いて苦しかった。そしてほぼ毎日のように私が激高し、頬や頭を何度何度叩いても、正座に戻って話を続ける。その時の目は、妻に似た真っ直ぐな瞳で、まるで空へ何もかもを飛ばしてしまったみたいに、何かが息子の中で消えてしまったようだった。その時、私の中に居る妻が、強い怒りの声をあげているのが分かった感じがした。

「話道師というのは正解がない。こうであるべきというのは、結局自身で見つけなければならない。こればかりは私や先祖ですら知り得ない領域。かといってこの領域に辿り着けばいいというものでもないが、私たち話道師は、ここまでを独り立ちとして送り出すのが理想だと考えている」

先代がよく言っていた。かくいう私はそこまで立派な話道師ではないし、結局、意味や芯の部分など分かってすらいない。こんな私が、そもそも息子に一から百までを教えられるほどのものではない。でもひとつだけ分かっていることがある。息子は、私よりも遥かに才があって、私よりもきっとすばらしい話道師になれる、と……これはあの子の親だからではない、上を歩く者としての目で見ても、この子は必ず見つけられる。だから私は、ずっとずっと見届けていたい……

「お前は誰だ?」
「我々は、アンタの価値を奪いに来た」
「奪う?」
「……深い愛と書いて、深愛。」
「残念ながら、「深愛」など、私には無縁だ」
「フッ……アンタが狂ってしまうほど、そん中にあるじゃないか」
「私に……?」

……「あともう少しだ…もう少しで揃う」

恐らくこの想いを息子にそっくりそのまま伝えてしまったら、きっと私は保てなくなる。甘えてしまう。もう息子を痛めつけたくないし、これ以上自身を嫌いになりたくない。私の中に眠る妻を怒らせたくない。
何より、立派な話道師に育てなければならない息子を、私の甘えなんかで途絶えさせてはいけない。だからお得意の嘘話のように、私は息子をこういう形でしか育てられなかった……今更かもしれないが、これじゃあ息子に申し訳が立たない……な。

――

真っ暗なところに閉じ込めた父が、突然大きな光に包まれて目の前に現れた。その時の父は、以前の姿と違った。見るからに痩せ細っていて、声も小さくなっていて。あの、身体より大きな威厳がそこには無くて、僕がすべて食べてしまえそうな弱さになっていた。

「お父様。 今日の話はどうでしたか?」
「……」
「どこか良くないところがありましたか?」
「……」

―――

父はその日を境に、僕と目すら合わせず、一点だけをボーッと見つめながら僕の話を淡々と聞いていた。まるで、無言の勘当を受けたみたいに、心から興味も何もかも無くしてしまったみたいに、僕の話を聞いては頬を叩く父の姿は、悲しみを覚えるよりも前に、もう、どこにもなかった。

そしてそのまま僕の前で父は倒れ、その後、目を覚ますことは無かった。僕はただ父の傍で、どんなに鍛錬した話を続けていても、父の手は冷たくなるばかりで、僕の頬を叩く手は一切動かない。僕は父の手を握っては、自分の頬に持って行って軽く叩くことが日々の戒めで、そのたびに、僕の心は日に日にズタズタと壊れていく音に変わっていく気がした。

僕は一体、この人に何を得たのだろう。一生懸命やっても、「中身が無い」の一点張りで、何かを問うても答えをくれなかった。それがなんなのか、今は分からなければ……いけなかったのに……

「お父様は病気でこうなったのではない」
「何かたたりのようなものに襲われたような痕が、首にある」

祖父の代から面倒を見てもらっている医者が言っていた。
父の首元を探ってみると、確かに誰かがきつく締め上げたような痕がくっきりと残っている。でも、これは以前にも見たことがある。
祖父が亡くなった時も、確か同じような傷があったような……

その夜、突然悲しみが襲ってきた。
寝床に横たわっていると、今までの父から受けた叱咤ばかりが情景として浮かび上がってきたが、それ以上に、僕の心は父と過ごすあの「話していた」時間が、想像を超えるほどに愛おしくて、あれほど鮮明に見えていた天井が見えなくなるほど涙の海に溺れるほどほか無かった。
父は確かに厳しかった。理不尽と言えばそうかもしれないし、結局父が伝えたかったことは分からないままで、僕には何も響かなかった。でも、父はどんなときも僕の帰りを待ってくれていたし、話も黙って聞いてくれていた。聞いてくれた後の感想よりも先に手が出てきたから、僕はビビって何も聞けなかっただけで、父はたくさんのことを思っていてくれたのだと思う。
今となってはそれが、「愛」というものなのではないかと思うばかりで、その大きな物を僕はもっともっと受けて大きくなりたかった………ごめんなさい、ごめんなさい、お父様。

―――

――8年後

年齢を重ねた僕は、独り立ちの日をもうすぐ迎えようとしていた。
あれから親戚の家で話道の道を極めてはいたが、どこか前のように話すことが出来ず、ぽっかりと穴のあいた話ばかりになってしまっていた。
何度反復しても、血がにじむような鍛錬をしても、祖父の話のように温かささえも得られない。父みたいにこのどうしようもない気持ちをぶつけたくもなったが、ぐっと我慢して、この独り立ちまでの日を待った。

その夜、やっと待ちわびた独り立ちの日というのもあったのか、寝られなかった。真上の天井が見えなくなるほど泣いたあの日から数年経って、まさかこんな不完全な状態で独り立ちを迎えるとは思わなかったが、でも今は外に出てより磨くことが楽しみになっているのだと思う。外の世界に揉まれてやっと気付けることもあるのではないかと思い、目を瞑って眠りにつこう……

「……キミ、いい物持ってるね」

聞き覚えの無い声。親戚の誰かでもないし、すごく若い男の声がする。でもその声がとても不気味だというのは、一瞬で察知した時にはすでに遅く、目を思い切ってこじ開けると、目の前にその男が僕にまたがるようにスンと立っていた。
男は髪が長く、顔がよく見えなかったが、時々入ってくるすきま風で揺れた髪の隙間から不適な笑みを浮かべているのが分かった。
その笑みの直後、首のあたりに強い力が加わっている感じがして、その後、窒息しそうなくらい苦しかった。そしてしばらく見えていた男が、靄がかかったように見えなくなって来た頃、僕はそのまま意識を失っていた……

目を覚ますと、親戚が心配そうな顔でこちらを向いている。「大丈夫?」と何度も連呼しては、僕の身体を揺さぶる。僕はちゃんと聞こえているし、僕は意識もある。でも、いつもなら上手く出せるはずの声が、奥の方に詰まっているのか? いや、食道や尻を通ってどこかへ行ってしまったように、力を入れても出ない。これはどういうことなのだろう……

目の前の親戚が泣いている。一体、僕のみに何が起きたのかすら意味もよくわからないが、なんとなくの心の感覚で分かった。そして、気が付けば、僕の目には、また涙が溢れていたんだ…………

「僕は声がでなくなった……のか?」
「ねぇ、お父様。 僕はどうしたらいい……のでしょうか?」 
(続)


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