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敵と味方と、自分の見方
別々の野望をもつふたりの男がいたとして。それを敵・味方にわけてどちらかの視点で描いたものと、それぞれの人柄や背景まで含めて第三者の視点で描いたものでは、まったく内容が変わってきます。双方の心情や立場が理解できれば、自分だったらどう感じるだろうと、想像するだけの余白が生まれますよね。
またトム・ハンクスの話になりますが、キャプテン・フィリップスを観ていて感じたことです。トム・ハンクス演じる船長の率いるコンテナ船がソマリアの海賊に襲われ、船長が人質として捉えられてしまう、というストーリーなのですが、対立構造で描かれていなかったおかげで、なんとも言えない余韻を感じられた映画のひとつです。
絶対にお前を許さないよと思っていたやつのことも、時間が経てば許せるもの。それは時間が解決してくれたわけじゃなく、単純に広角で物事を見られるようになったというだけだと思います。怒り狂っているとき、悲しみに打ちひしがれているとき、どうしても人間の視野は狭くなり、怒りや悲しみの原因とされる人物しか目に入らなくなりがちです。でも、視界を開けば、その人物のうしろに新しい誰かが現れ、そのさらにうしろには想像もしない景色が広がっているものです。あのときは傷ついたけど、そんな理由があったんだったらしょうがないか、と納得出来るだけの事情がだいたいの問題にくっついているのです。怒るときは、敵・味方ではなく、背景まで含めて怒るべき問題か、見極められなければ自分が大切なだけのアホの人になってしまいます。
極端な考えの根っこには、ヒーローと悪役という対立構造があるのかもしれません。アメコミの悪役に魅力的なキャラクターがいることも、いろんな人にとって親切なことなんじゃないかなぁ。正義の味方がきたからもう安心、という世界は、どこを探しても存在しないですよね。
「世界報道写真展2016」が、リニューアルされた東京写真美術館で開催されています。興味のある方は、ぜひ。今年は特に、心が重くなる写真が多かったように思います。
また明日。
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