納得がいっているわけではないけども。

自分のことを未熟だ、と思わせてくれるひとが周りにいるというのは、貴重だ。彼らは決しておしつけない。しかし、その行動を見れば、自分とはまるで次元の違う場所で思考していることがわかる。慌てて、調子に乗りそうだった口をかたく閉じる。

「私には向いていないような気がする」と言っていた編集業を勉強し始めて、半年。お金をもらいながら勉強をするなんておこがましいけど、幸い周囲で教えてくれる編集者に恵まれて、私なりにもできることはあるのではないかと考えられるようになった。

それでも、時折ふと嫌気がさす瞬間がある。編集業をしてはじめて知る、ライターの振れ幅の広さ。約束をやぶる、納期を無視するのは当たり前、むしろ指摘をすると逆ギレするか無視、もしくは被害者ヅラ。いい年した大人が、である。このひとたちの意識は「お仕事をやってあげている」のだな、と思ったら、ついぞ一緒に仕事をしたくなくなった。

ただ、それを見ながら心配して声をかけてくれたひとたちの解決策は、あくまで「続ける」方向性のものだった。私が完全に依頼をストップする以外の選択肢を排除していた中で、彼らの出した案はもっと生産的かつお互いのためになるものだった。

振り返れば、私だって未熟さゆえに相手に噛み付いたときもあったし、未だにそういう自分がないとは言い切れない。それでも仕事を続けられているのは、ひとえに彼らが見放さずに接してくれていたからだ。

私はいまだに「育ててもらっているのだな」と思ったら、もう何も言えなくなってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?