忘れらんねえよ、なんてことはなく

学生時代、それなりに真面目に勉強してきたはずだけど、何を勉強したかなんてほとんど忘れてしまった。なのに、なぜか、その時は気にも留めていなかったことが今も頭にこびりついていたりする。

高校生の時、日本史の授業で先生が言っていた、「ひとは、されたことはなかなか忘れないものだ。したことはすぐに忘れてしまうのに」という言葉は、今も時折思い出す。第二次世界対戦について学んでいるときだった。

たとえば、見返りを求めて行動をして、それが裏切られたとする。「私はこんなにも尽くしてあげたのに!」しかし、そう考えるとき、彼女の頭の中にあるのは、私がしてあげたこと、ではなくて、尽くしたにも関わらず恩を返さなかった相手の仕打ち、だ。そして残念なことに、同じことを自分がした場合、季節が変わる頃には頭の片隅にもなく霧消している。もっと早ければ翌朝には、綺麗さっぱり忘れている。

ちなみに、私は「忘れる」こと自体にはとても肯定的だ。

むしろ、無駄に傷つき涙を流す日を増やさないためには、全て忘れてしまう傲慢さこそ必要だと思うのだ。つまりは、されたことも水に流してしまう強さ。嫌な思い出にすがり悲劇のヒロインである自分に執着しない強さ。それこそが、私が幸せでいるための方法だと。

「忘れられない」思い出なんてものはない。「忘れないようにすがっている」思い出はある。「忘れてはいけない」と顔を真っ赤にし続ける思い出はある。「忘れずに周囲に語ること」でみんなにかわいそうと慰められる思い出はある。

ただ、もしも少しでも苦しい思いがあるのなら、その思い出から、一旦手を離してみるのはいかがだろうか。

忘れられない間は、ずっと被害者然として生きていかなければならないのだ。



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