とりあえず、立ち上がっときゃ大丈夫
フィールドでプレーする誰もが必ず一度や二度、屈辱を味わわされるだろう。打ちのめされたことがない選手など存在しない。ただ、一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうとする。並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い。そして、敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。(ダレル・ロイヤル)
薬がなくなれば病院に行く。いつもと同じように、泣きながら身体が辛いことを話すと、先生は決まって「ちょっと今は調子が悪いよね」「でも、大丈夫、死にはしないから」「小さい波は来たとしても、必ず引いていくでしょう。安心していいよ」そう言って、少し笑いながら「で、彼氏とかできた?」なんて軽口を叩いてきた。私は口をへの字に曲げながら、「彼氏どころじゃない」なんて返す。
数年前、軽度のうつと不安障害に苦しんだ。あまり、こうやって病名を明言するのは避けていたんだけど(場合によっては、病名って呪いのようにまとわりつくものだから)。
背中にたくさんの面倒ごとがのしかかっていて、あるとき突然フッと身体の力が抜けて、そのままべしゃっと倒れてしまった。
一番辛かったのは、電車に乗れなくなったことだ。出発しようとドアが閉まった途端に、動悸と息切れが起こって胸が苦しくなる。
歩いていると足に力が入らなくて倒れそうになった。頭がぼんやりとして、フラフラする。家から徒歩1分のコンビニすら、遠い道のりだった。
数ヶ月、薬を飲みながら、たまに休みながら、だんだんと元の体調に戻っていった。そもそも、薬さえ飲んでいれば、外でもだいたいは普通でいられた。気がついたら、薬を飲むのを忘れていても、特に問題がないことに気づく。
「治った」
……と、何度思っただろう。
大切なひとを亡くしたり、好きなひとと別れたり、嫌な目に合うのが重なったり、もしくは生理周期によるものだったり。その後も時折、いたずらのように「小さな波」は私を襲った。
以前、まったく予期せぬところで体調を崩した。仕事も落ち着いて、人間関係も円満で、何も不安に思うことはなかったはずだ。しかし、夜になると動機息切れがつらくて、なんだかずっと落ち着かなかった。
医者に行き、泣きながら「もう治ったと思ったのに、完治はしないんですか」と聞いた。これからもずっとこうなのだろうか。そもそも、治らなかったら、私は仕事もろくにできない。誰かと結婚しても、迷惑をかけてしまう。自分の体調如何より、そういうことが怖くて怖くて仕方なかった。
診察後、医者は答えた。「毎年ね、6月に体調崩すみたいね」。
……?
生まれたときから診てもらっている、かかりつけの医者である。カルテには、ここ数年、毎年同じ症状を訴えて、私が病院に来ていたことが記録されていた。
「そうだっけ?」と振り返ってみれば、確かにそうだった。少しずつ気温が上がり始める、季節の変わり目。そういえば、去年も病院に来て、同じように症状を訴えていた。
「大丈夫、季節的なものもあるから。その前も、さらにその前も、けっきょく大丈夫だったでしょ。」。私は泣きはらした目をサングラスで隠して病院を出た。
もらった薬をカバンにしまい、家に帰る道すがら思う。そうか、私は、今まで何度も立ち上がってきてここに立っているんだな。
過去の自分を思い出すと、いつも私は、辛い辛いと言いながら、這いつくばってでも、生きることを諦めていなかった。
朝起きて「死にたい」と思う日が続いたとき、何人もの友達に「どうしよう」とLINEをして話を聞いてもらったのも、倒れたままでいたくなかった、ただその一心だ。死にたい、と思いながら、死んだらどうしよう、とも思っていた。
ひとより、ちょっと心が弱い。そのせいで色々と出遅れている。と、思っていた。
でも、どうなんだろう。私は確かに何度も何度も転んできたけど、その分毎回立ち上がって、十分には立ち上がれなくても這いつくばって、前に進むことを諦めなかった。そんな自分を、どうして卑下できるだろう。
そして、そうやって転んでばかりの私に、愛想をつかさないで一緒にいてくれる家族や友人を、どうして愛さないことができるだろう。
5回成功したことを自慢するよりも、
5回転んだことを嘆くよりも、
5回立ち上がったことを誇ろう。
痛い足を引きずりながら、決して諦めなかった自分を愛おしもう。
「もう大丈夫」医者に言われなくても、わかるよ。この先、生きていれば転ぶことなんてたくさんあるだろうけど、痛いだろうけど、私には立ち上がった経験が何度もある。転んだら、立ち上がる、それだけだ。そう思ったら、もう何も怖くない。