寂しい夜を減らす方法。

「そんなに寂しいの」

毎夜毎夜、人恋しさにあえぐ私に、友人は失笑するように言った。

1年前、静かな時間が欲しかったから一人暮らしを始めてみたのに、いざ一人になってみたら、寂しくて、寂しくて、毎晩誰かと飲みに出かけていた。

都心から少し離れたところに住んでいたので、終電を逃して、アホみたいな額のタクシー代を支払わなければならないことも多かった。アルコール漬けでぼんやりとした頭で部屋の鍵を開けながら「何してんだろうな」と思いつつ、そのままベッドになだれ込む。

“寂しさ”って、どうやって埋まるものだろう。誰かと一緒にいても孤独を感じるときはあるし、一人でいても心から満たされている瞬間はある。

未だに我が人生で一番頑張った思い出というのが、高校3年生の大学受験の頃で止まっている。毎日10時間以上お経のように英単語を唱えたり、夏休みや土日は朝から晩まで予備校の自習室で問題集と格闘したり、お昼ご飯はカロリーメイトとリポビタンDだけで済ましたり、なんて生活を過ごしていた。

あのときの私は、いつも自分が誇らしくて、満たされていて、何も寂しくなかった。

コウノトリが赤ん坊を連れてくると信じていた時期はなかったけど、キスをしたら赤ん坊ができると信じていた時期はあった。まあそれは、中学の頃に保健体育で学んで、真実を知るんだけど。そのあと5年くらいは、誰かとキスをしたり抱きしめあったら、この慢性的な寂しさが解消されると信じていた。

その後、数人の恋人ができて、それすらも誤っていたことを知った。いや、誤っているのかどうか、今ですらまだわからないのだけど、ひとつ言えるのは、抱きしめ合えば合うほど寂しさが増す、という現象が存在するということだった。嫌いな相手でもなく、お互いを想いあっているはずなのに、感じるのは、肌の温度よりも越えられない隔たりばかりだったのだ。

相手といられる喜びよりも、「分かり合えない」寂しさを感じる自分に動揺していた。

「で、結局何をしたいの」

毎夜毎夜飲み歩く私に友人が聞いた。答えに窮しながらも、同時に、あるひとつのことを悟った。

つまりは、“何がしたいかわからなかった”から寂しかったのだ。寂しさはひととの隔たりからではなく、自分の中の空っぽな状態に耐え切れずに発生していたものだった。

高校3年生の頃の私は、何も寂しくなかった。恋人はいなかったし(好きなひとはいたけど)、空いている時間はいつも一人で参考書とにらめっこして、誰ともまともに話さない日も多かった。でも、あの頃の私は“何がしたいか”が明確だった。“欲しいもの”があった。欲しいものを得るために邁進する勇気があった。私は確かに満たされていた。

真に自分の寂しさを満たせるのは、自分だ。

当たり前のことに気づくのに、ずいぶんと時間を要してしまった。「で、結局お前は何がしたいの?」に答えられるようになってから、行き場のない寂しさは霧消したのだ。

本当に“欲しいもの”を追いかけられるひとは、強くて格好いい。そんな誇らしい自分になれた瞬間、寂しさに胸がぎゅっとする夜も、少なくなるんじゃないかな。


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