言わない言葉が私をつくる

口汚く罵ることって、誰にでも出来ることだ。ネットでの誹謗中傷もそうだし、陰口もそう、匿名じゃなくて直接言うのだってそう。特に、傷つきやすいひとは、普段から傷つくということばかり考えているから、その分鋭い言葉の刃をつきつける力があるとも思う。

以前、ひと悶着あった夜、酒を飲みながら友人に愚痴をこぼした。こぼした、というよりも、思い返せば、まあ随分と汚い言葉でまくし立てていたようにも思う。

ただ、じゃあそれでスッキリするのかというと、そうでもないのだ。むしろ翌日の朝、あまりの自分の稚拙さに恥じるくらいだ。そして、自分ごととして消化し、いずれ忘れて同じことを繰り返すのだろう。

「言わない」ことで、飲み込んだ言葉は私の中で醸成されていく。それは我慢とはまた違う力の動かし方のように思う。

「とてもじゃないけど言えない」ことこそが私を形作る。言葉にして発してしまえば、わずかな言葉かすが、心に残るばかりだ。

中身がスカスカな人間と、豊かな人間と、違いはそこなんじゃないかなあ、と思ったから記してみた。浅はかさを自制していくことでしか、自分の中身は作られていかないのではないかと。もう少し黙る賢さを覚えた方がいい。

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