期待するということ

以前、東京駅のど真ん中で「なんであなたはいつも僕の期待を裏切ってくるんですか?!」とがなられたことがある。原因は私の遅刻だったので、まあ、完全に私の不徳のいたすところ。それは素直に反省したのだけど、そのあたりから度々、同じようなことを言いかける自分に気づいて、「ひとに期待する」という暴力性について考えてしまうようになった。

私もよく「がっかり」することがある。自分にも相手にも。それは、つまり期待を裏切られたということなんだけど。

期待っていうのは、楽だ。現実を見るよりも、都合のいい想像なんてとても心地がよいし、軽い翼でぐんぐんとうえに上っていく。無防備で、責任がなく、快適だ。しかし、翼が折れ、地面に急転直下、みじめに地面に叩きつけられると、その痛さやショックに、相手の不誠実を責める。

ただ、思うのだけど、期待を裏切られた、というのは、「相手が十分な仕事をしなかった」のではなくて、「自分が相手や自分のキャパを見誤った」だけなのだ。というか、そう考えないかぎり何も解決しないし、多分後者の方が幸せなんじゃないかな。思い悩む必要も怒る必要もなく、反省して解決策を考えるか、見限って関係を絶つか、その二つしかないのだ、たぶん。

何はともあれ、「がっかり」してしまいかけたので、思い直した。誰も幸せにならない感情表現だと思うのだ。

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