馬鹿な自分を相手にしない

ずいぶんと昔「蓮コラ」などというものが周囲で流行った。私はこういうグロテスクな類が嫌いで、一度誤って見てしまった日は、もう1日中その光景が脳内をぐるぐるとして気分もゲッソリとしたものだった。

今月から、いくつか新しい企画に携わらせていただいて、わりとぐるぐるとめまぐるしい日が数日続いた。環境の変化というのは、ある程度心に負荷がかかるもので、睡眠不足もあいまって、どうやら心身ともにすこし疲弊していた。電車内、両手の荷物を下げて、本をカバンから取り出すのも面倒くさく、iPhoneの画面をしびれた右手の親指でするすると動かす。

ぼーっと、何も考えずに上に流れていく情報を、文字通り眺めていた。

と、見慣れた情報が目に飛び込んできてしまって、「やってしまった」と慌てて閉じた。不快になるだけだから、と、ずっと見ないように心がけていて、すっかり記憶彼方に飛んで行ったと思っていたはずなのに、気がつくと無意識のうちに私はそれを見つけて開いていた。染み付いた手グセを矯正するというのは、なんとも骨の折れることらしい。

「蓮コラ」と自ら検索をかけたことがある。一度誤って見てしまい、気分が悪くなった後のことだ。なんとなく、怖いものみたさのような感覚で、検索して、開いて、見て、やっぱり気持ち悪い、とすぐに閉じた。

刺激。夜にポテトチップスやプリンが定期的に食べたくなるように、心に悪いと知っていてもつい慣れた刺激を求めようとする、もう一人の自分がいる。これはもう動物で、理性なんてものがない。だからこそ「相手にしない」ということがすべて。欲望まみれの馬鹿な自分を相手にしない。もっと面白いものなんて、この世に溢れているわけだから。


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