酒を飲むために生まれた人間もいる
「早く死にたくて飲んでる」
よく行くバーで友人と飲んでいた。酔いも回る前からサラリと言われて面食らってしまった。もちろん、半分くらいは冗談だと思うけど、まさか隣に座ってる奴が、死期を早めるために飲んでるとは思わなかった。
ただ、確かに普段から彼女の酒の量は常軌を逸していた。以前も、夜に一人で飲み過ぎたらしく、朝の通勤電車を途中で降りて一回吐いてから出勤してきたことがあった。
どこかで人生を諦めていて、厭世的で、それでいて欲望に忠実だ。彼女といると、気を張りやすい私も一緒に肩の力が抜ける。疲れたときに一緒に飲むには最高の相手だった。
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いつからだろう、本屋が疲れる場所になったのは。
昔は暇さえあれば行っていたけど、最近はどこを見ても、生き急いでいる現代人があまりにも多いことを肌で感じてしまって、私まで疲れた気分になってくる。
なんだか、大量の自己啓発本たちに、
「お前は自分の時間を効率的に使いながら心底好きだと思えることをしてリラックスしながらも社会に意義のある活動をした上で儲けて無駄のない人生を送れているのか?」
と責められているような気分になるからだ。
無理だよ。
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この前「酒は一滴でも飲むと脳が萎縮する」というニュースが話題になっていた。「そもそも酒を飲むために生まれたんじゃないの?」という見知らぬ人のつぶやきが、未だに心に残っている。
その話を彼女に話したら、「賛成。好きなもの食べて好きなもの飲みたい」と言われて、私も「賛成」と次の酒を頼んだ。そうなのだ、この世には、酒を飲むために生まれてきた人もいるのだ。酒を我慢して、健康的なスポーツに汗を流しながら仕事で圧倒的成長をしたい人間ばかりではない。
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中学生の頃、タバコはスローモーション自殺です、と先生に習ったとき「そもそも生きるってこと自体がスローモーション自殺のようなものでは?」と思ったけど口にできなかった。
タバコの危険性が騒がれるたびに、未だにあの消化不良だった瞬間を思い出す。
タバコを吸わなくてもいずれ死ぬし、死期が早まったとしても、本人にとって一番幸福度が高いと思える人生ならそれでいいのでは? 人間は、何もしなくても錆びていく。
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そこそこの人生に満足できる人もいれば、甘んじられない人もいる。両者ともに、自分の幸福度が一番高い人生を送ることができればいいと思う。その指標が「お金」なのか「意味」なのか「縁」なのかは知らない。
やりがいのある仕事で確かな実績を築きたい人も、特定の人に深く愛されたい人も、そもそも誰とも深く関わらず孤独を謳歌したい人も、どれも等しく「上々な人生」なんじゃないか。
これは、本屋の自己啓発本コーナーでなんだかムズムズしてしまう自分のために書いている。「やりがいのある仕事が見つからない」とか「結婚できない自分は不幸せだ」、「人を愛せない自分は未熟者なんだろうか」と悩んだり生き急いだりしやすい自分をたしなめる代わりに書いている。
酒を飲むために生まれてきた人間がいたとして、醜態を晒しながら人生の幕を閉じるとして、それがなんだというのだろう。
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