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賞も罰もいらないから。

『幸せになる勇気』を買った。前作『嫌われる勇気』は、国内のみならず中国でもミリオンだと知って驚いた。前作が出た当初は、中島義道『ひとを〈嫌う〉ということ』が好きだったので「既出じゃない?」なんて馬鹿にしていたものの、著者が古賀さんだと知って、ためしにと読んでみたら、いやあ、面白かった。知った風な口をきいていた自分が一瞬で恥ずかしくなった。

正直なところ、そこに書かれている内容は、とても厳しい。しかし「劇薬」というコピー通り、そこには猛烈な意識の転換を催すような作用がある。あまりの刺激に、盲信したり、履き違えて暴走したり、もしくは激しい拒絶反応をおこすなんて副作用もあるだろう。

そして、読めば読むほど、私は思想の一端にしか触れていないのだということがわかる。この書籍の書評を書くことができるのなら、きっと「あと10年待ってください」と言いたくなるほどに、私の脳内は消化不良をおこしている。気休めの、甘ったるいシロップとは違うのだ。

ただ、ひとつわかるのは、しあわせの第一歩に踏み出すためには、「評価する/される私」という軸から脱却しなければならないということだ。この軸から逃れられない限り、私はいつまでも知る由もない他人の思考におびえ、他人の人生を歩み、目的地のない徘徊をし続けるのだろう。

「ひどいあいつ」「かわいそうな私」には、確かにもううんざり、袋小路なのだ。「これからどうするか」、そう考えたとき、私の中にはずいぶんとシンプルな答えがあった。あとは、勇気を出して、選択するのみ。昨日落合氏のプレゼンを聞きながら、「4歳しか違わないのに、彼は宇宙規模で物事を考えている……」と落ち込んだ自分がアホらしくなった。

……なんていいつつ、「あの分からず屋にも読ませてあげたいな〜」なんて思ってしまうあたり、私はまだ入り口にすら立ててない気がするけど。


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