人の人生を泣くな

Miitomoをやっている。この間、「あなたがこれを見たら泣いちゃうというジャンルは何ですか」と聞かれて、「医療もの」と入力し、少し迷って答えるのをやめた。私は、そもそも医療ものが苦手で、そのセンセーショナルな演出が苦手で、それを見て泣く自分も嫌だった。

「志半ばで…」という文句がある。医療ものの演出もそうなのだが、「その人がその人生を全うできなかった」と第三者が言うことに違和感を感じる。

以前、祖父が亡くなった時、父親はしきりに恩返しができなかったこと、祖父が死んだのは自分のせいだと苦しんでいた。私も同じような感傷に浸ってはいたし毎日のように泣いていた。しかし、父親のその言葉を聞くたびに、えも言われぬモヤモヤが溜まっていくのも事実だった。

「祖父が人生を全うしなかった」とは到底思えなかったし、思いたくもなかった。

人は、いずれ死ぬ。私たちは、ただゆるやかに、死に向かって歩みを続ける。「あー、満足」と言って死ぬ人間がどれだけいるのだろう。果たして、いるのだろうか。どうしたら、言えるのだろう。

つまりは、なぜ病気で死ぬことが、〝悲劇〟としてしか扱われないのか、ということだ。病気で死んだとしても、老衰で死んだとしても、事故で死んだとしても、私たちは死というゴールに向かって歩んでいることに変わりはないのに。志半ばで死ぬ以外の何があるのだ。

私は、自分が死んだ時に、他人に「かわいそう」なんて言われたくないなと思い、ちょっと書いてみた。

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