"救われた"の副作用

「本当に頼りにしています」「救われました、ありがとう(泣)」「助けてください」……仕事をしていく上で、こういうウェットな言葉を投げてくる人間には気をつけた方がいい。たかだか社会人生活2年程度でも、十分に痛感したことだ。

そもそも、と思う。人間との関係性において、"救う""救われる"という言葉を使うというのは、途端に”対等な場所"を奪いうるということだ。同じ場所で対話をしていたと思っていたのに、気が付いたらあちらは勝手に一段上がったり下がったりしている。正直なところ、少し寂しい。

ウェットな関係というのは、うまくいっているときはとても楽しく、あたたかなものだ。しかし、濡れた雑巾をそのままにしておけば異臭を放ち始めるのと同様に、ウェットな関係のまま維持し続けるというのは、どこかで"臭い何か"が生まれるということを自覚しておいた方がいい。

仕事相手に向かって、「本当に助かりました(泣)」というときの私は、たぶん相手をてなずけようと必死な私だ。そんな自分に気づかずに、相手が思うように動いてくれなくなったと同時に「裏切られた」なんて被害者ヅラをしていたら目もあてられない。本当に、それは醜すぎるのだ。

人の振り見て我が振り直せ、ということで、自戒もこめつつ振り返る。相手と長く関係を続けていきたいのであれば、まずは手元の水を拭うところから。

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