「可愛い」を「かわいそう」に全置換で

何かを「可愛い」というときのひとの顔は、いびつだ。ぶくぶくに太った肌ツヤばかりいい貴族の顔のようで、おぞましい、と思うことが多い。

以前、録画していた番組を見ていたら、芸能人とファンが本音で話し合うといった企画をしていて、accessの貴水博之さんが出演していた。貴水さんの自分が結婚したらどう思うかという発言に対して、長年のファンの一人はこのようなことを言っていた。「結婚はいいもの。でもヒロにはしてほしくない。私は幸せでいいけど、ヒロには幸せになってほしくない。」思わずひとり「すげえ」と声を出してしまった。スタジオはざわついていたけど、彼女の目はとても純真だったし、わからなくもないからつらい。

「可愛い」というとき、そこにはどこか哀れんでいる自分がいないか。自分が求めるものすべてを持っている幸せそうなひとに対して、心から「可愛い」と思える自分はいるだろうか。「可愛い〜」と胸がきゅううとするとき、愛しいと思うとき、自分は相手をどこから見ているのだろう。ひとは自分が哀れむ余地のあるひとしか、安心して愛せないのではないか、なんてテレビを眺めながら思ってしまった。

だからまあ、悲劇のヒロインや被害者意識の強いひとはだれも愛せないのかもしれない。世界で一番かわいそうなのは自分なのだから。

…なんて、今日の取材で伺ったお話が面白くて、つい思い出してしまった。光速で戻ってくるブーメランのおかげでアザができそうだけど。


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