始まる前に、別れの痛みを想像できるか

ある日、男友達に「誰かと付き合いたいけど、別れるのが怖い……」と言われて「なんて真面目なんだろう」と驚いた。なるほど私にその発想はなかったし、そして、それはずいぶんと責任ある、つまりは尊敬に値する考え方のような気がした。文字だけみたら、「男のくせにナヨナヨしてんな!」と言われかねないけど。

何事も、始まりは偶然で、終わりは必然だ。私たちは私たちの意思なく世界に生まれ落ち、その瞬間に死を約束される。死が存在する以上、誰かとの出会いはいつかの別れとともにやってきて、場合によっては、死が分かつ前に理不尽な別れが現れる。

偶然は楽だ。私にはどこか来るもの拒まずというか、安請け合いする癖があり、仕事も企画も恋人も、常にその関係はなんとなく始まっていく。自らが軽薄に蒔いた種が、一定の時期を経て一斉に花開いてしまい、水やりに悪戦苦闘するはめになったことも多々あり。水やりが追っつかずに枯らしてしまうこともある。こんなものはいらないと引き抜くこともある。

こんな姿勢で生きていたけど、それは寛容ではなく、その場の楽を選んでいただけだったのだな、と最近薄々気づいていた。というよりは、“目先の何か”にとらわれて、自分で選ぶということをさぼっていたのだ。そして、無駄に傷つき、無駄に傷つける、ということを繰り返していた。

臆病なひとって、もしかするとすごーく責任感のあるひとなのかもな。そして、無駄に傷ついたり傷つけないために、“その場の楽”に躊躇する勇気があるのなら、それってとっても賢いんじゃないかな。

「きっと、そんな“別れたらどうしよう”なんて不安にならないくらい魅力的なひとが現れると思うよ」なんてテキトーに返したけど、私なんかよりずっと立派なひとだよ、あなたは。ちゃんと不安になれるひとは、賢いよ。

なんて、安請け合いした仕事に忙殺されかけながらLINEを返していた。

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