暇な外野の叫び声

この間、タクシーの運転手に「春は人身事故が増えるんですよ」と言われた。真偽についてはわからないけど、確かに最近多いなあと思う。(ちなみに意外と自殺による人身事故って少ないらしい。あくまで、らしい、だけど。)

朝早く、「電車止まってるらしいよ」と起こされた。ただ、随分と早い時間だったし、大して影響はないだろうと二度寝。人身事故から数時間後に駅に行ったら、まだ各駅のみの振替輸送で、多くの人が電車にすし詰めになっていた。乗ったら乗ったで、止まったり速度を落としたりでなかなか着かない。

人身事故が起きたときの人々の反応というのはシンプルなもので、「迷惑な奴だ」と怒ったり「自殺なんだから可哀想」と擁護したりと事故者に感情を揺るがすタイプと、我関せずの他人事タイプ、あとは、自分の仕事や用事のフォローに一生懸命なタイプ。ざっくりこの三種類かな、と思う。

正直、感情を波立たせるタイプと他人事タイプは裏表の関係だと思っている。それは結局は「どれほど自分に影響があったか」という点で、相対的に感情が決定しているのだ。

「みんな大変そうだなあ〜」とのんびり他人事にかまえているタイプが、いざ大切な待ち合わせがあるとなると「なんて迷惑!」と激昴する。関心も無関心も、とりつくろうとしている時点で不安定な感情なのだ。

「ちょっと会議に遅れてしまいそうなので、代わりに先に始めてもらってもいいですか…」

もう出発、という車内で電話をする隣のサラリーマン。おい、と横目で見たら、ドアが閉まると同時に切り、腕時計を見ながら今度はメールを打ち始める。不思議と、表情からはいら立ちや焦りなどは見当たらない。とにかく、「どう解決するか」ということしか頭になさそうな様子だった。

人身事故により声を荒らげるのは、たぶん、誤解を恐れずに言うならば、暇な人間だ。無責任な人間だ。忙しい、責任のある人間は、余力をそこには割かない。

以前、外野ほど声が大きい、ということを書いた。責任のない、暇な人間ほど居丈高になる、と。まさにこれじゃないか、とすし詰めの車内で思う。答えのない問答にぎゃーぴー言う人間をみっともないと思うなら、あんまり暇すぎるのも良くないのもしれない。


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