いつも、さよならの直前に目がぱっちりする

大掃除をした。ここ数ヶ月、無くした無くしたと騒いでいた帽子とファーがクローゼットから見つかる。
飲みたいのに見つからないと言って意気消沈していたティーパックのセットは、本棚の横にただ佇んでいた。
毎年そうだ。大掃除はずっと無くしていてもやもやしていたものが一気に見つかる日。むしろ、見つけることが目標だから、見つけたら満足してしまって、大して綺麗にならないうちに終了する。
今回も、あまりにあっけなく見つかったので、私の大掃除は30分で終了した。

仕事納めをしたのが28日。その日から、思いきって、FacebookやTwitterなどのSNSを絶ってみた。
溜まっていた本を年内に少しでも消化したいと思ったのだ。そのためには、私にとって一番の時間泥棒であるSNSを絶つのが一番早かった。
結果、毎日1冊ずつ、積読本のかさが減っていっている。
別に本だけ読んでいるわけでもない。夜はひととご飯を食べに行く。テレビも見ている。買い物にも行く。昼寝もする。
しかし、明らかに時間の進みがゆるやかになった。1日ってこんなに長かったっけ?と思う。SNSをやめただけで、こんなにもゆったりとした時の流れとなるものだろうか。

今年は、引越しや、退職からのフリー転身に加えて、マルチ商法軍団に洗脳されたり、仲のいい友人と仲違いしたり(1人、2人どころではない)、夏のインフルエンザに1週間寝込んだり、その他云々カンヌんと、とてもめまぐるしい1年だった。
だからこんなにも1年が経つのが早かったのだ、と思っていた。本当に、あっという間だったのだ。

しかし、本当にそうだったのか?とも思う。よくよく振り返ると、実は何か別のもやもやとしたもので頭がいっぱいで、ぼうっとしているうちに時間が過ぎてしまっていたのでは?と。

ティーパックは、いつもご飯を食べる時に私の視界に入る場所に佇んでいた。しかし、何ヶ月もそれには気づかずに、ただただ見つからないことにもやもやとしていた。
見つからないなあと思いつつ、私はぼんやりとiPhoneを眺め、気もそぞろに、魂の抜けたような時間を送っていた。何を見たくてスクロールしていたのかなども思い出せない。

なぜ、何事も終わりに近づく途端に視界はクリアになるのだろう。
私はいつものろくて、初動が遅い。気づいたときには、もうクライマックス、である。周囲の盛り上がりについていけなくて寂しい思いをしたのは数え切れないほど。

幸い、人生はまだ続きそうで、私はこのまま今年を終えて来年を迎える。

というより、1年後、この日を振り返りたくて、今日ブログを始めてみた。
一言でもいいから毎日続けてみようと思う。
来年は、もっと目をぱっちりと開いて生きられればいい。

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