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綺麗なままの思い出も考えもの

誰しも、ずっと、忘れられない存在というのはあるものだろう。

よく恋愛論で、女は上書き保存、男は別名で保存…などという。それが当たっているかどうかは別として、上書きをするには、それだけの強度が必要だ。黒地のキャンバスに白の絵の具を塗っても、粘度が低ければ黒い色がぼんやりとにじみ出てしまって、いつまでも忘れることを許されない。

そんな存在がいる、というのは、はたして幸せなことだろうか。忘れたくても忘れられない。意識が引き寄せられる。もしかしたら会えるかもしれない、もしかしたらまだ相手は私のことを覚えていてくれるかもしれない、もしかしたらまたあの時のように仲良くしてくれるかもしれない…「可能性」は思い出を綺麗に綺麗に補完していく。

国立新美術館の「はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」展は、確かに素晴らしかった。しかし、どうしても、頭にちらつく存在が、集中を阻害する。

それは、猫。1匹の猫だ。数年前岡山に一人旅をしに行き、年末休業で目当ての美術館が軒並み閉館していた中、意気消沈している私の横でそっと身を寄せてきた猫。帰りの時間だと、フェリー乗り場に向かう私の後ろについて歩く猫。名をレオという。直島の住人がそう呼んでいた。

その後、「大原美術館にリベンジしに行きたいの」という私の頭には、いつもレオの姿がありった。美術館で数多くのすばらしい作品に嘆息しながらも度々レオの姿がよぎる。

思い出とは、なんと甘く罪深いんだろう、と思いつつ。もしかしたら、と思うと、私はいてもたってもいられなくなるのだ。


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