毎日こまめに埃をとる

ひとり暮らしを始めよう、と決めたのは去年の夏。理由はとうに忘れたけど、たぶん「ちょっとひとりになってみたかった」程度のことだった。社会人としての1年が過ぎ、少し財力もできていた。

さて、何を持っていこう。流石に全部の荷物を持っていくなんてことはできないから、「必要なものリスト」に箇条書きをしてみた。書籍、ぬいぐるみ、洋服……みっつめにして手が止まった。さすがに少なすぎる、と戸惑いつつ、どうも私にはこれ以上に必要なものが思い当たらなかった。

じゃあ、なんであんなに部屋がしっちゃかめっちゃか、物にあふれているのだ。


ブログを始めて2ヵ月がたとうとしている。つまり、およそ60の記事を書いたということだ。こんなにも自分のことを毎日書き続ける日々など生まれてはじめてで、1年続けると決めたから、つまりあと300個。300個か。あと300個か。

先のことを考えるのはよしましょう。

以前、ひと月経って振り返ったことがある。(https://note.mu/nanaso/n/n16f65527328c)

このとき、私は、恐ろしいほどに毎日同じことをくりかえしている自分に驚き、そしてどこででも生きていけるという好意的な解釈のもと、安心していた。

いまの私はといえば、自分のマンネリ化した思考に少し嫌気がさしている。というより、ひと月前の私も、正直にいえば飽き飽きしはじめていたのだ。


引っ越し前、部屋の荷物を整理しながら出てきたのは、高校生の頃に受けた模試の束や、すでにデータに落とした小説の原稿、よく分からない(しかもボロボロの)キーホルダーやフィギュア、大量の文房具、いつか見ようとそのままだったフリーの雑誌類……

全て捨てた。引っ越す荷物より、捨てた荷物の方がずっと多かった。

大切なものがたくさんあると思っていた。しかし、それは使い終わったちり紙や使いどころのないキーホルダーが見せる幻想に過ぎなかったのだ。

つまりはそういうことで、ひとはインプットに徹していると、気がつかないうちにゴミくずで余分にふくらんでしまう。足取りが重くなる。なんだか分からないけど自分がすごいような気持ちになる。

そう考えると、身のほどを知るためのアウトプットの場は必要だ。毎日毎日自分の矮小さを知るのも、のちのち恥ずかしくなるよりはいい。

……うん、しかし、あと300個か。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?