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【2024.2.17】インサイド・ヘッドと諸法無我

あたしが物見遊山で入っている(性格が悪い)オンラインサロン「BASE」の友達・ふっきーに教えてもらった(たしか)「インサイド・ヘッド」というディズニー&ピクサーのアニメを観た。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B015SLBBIU/

BASEのみんなで哲学トークしているときに、
「ナナシロくんの言う『自分のことを俯瞰して見る』ってなんか、インサイド・ヘッドみたい」
と言っていたので気になったのよね。

インサイド・ヘッドは、ミネソタで生まれ育った女の子・ライリーの頭の中の感情たちが主人公のアニメ作品。

サンフランシスコへ引っ越したのをきっかけに不安定になり心が壊れそうになるライリーの頭の中で、ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミの五つの感情たちがなんとかライリーを助けようと奮闘する話。

面白いのは、もっとも中心的な存在でリーダーシップをとっているヨロコビと、そのヨロコビから「あなたは勝手に動かないで」とのけ者にされているカナシミの関係性。

実は五つの感情たちのうち、ヨロコビとカナシミが司令室から弾き出されてライリーの頭の中を大冒険するっていう展開なんだけど、当初カナシミを疎ましく思っていたヨロコビが、だんだんとカナシミの価値に気付くんだよね。

詳細は作品を観てほしいから省くけど、ヨロコビとカナシミがライリーのイマジナリーフレンド・ビンボンと出会って別れるところのシーンがあまりにも素晴らしく涙なしに観れなかったので良かった。

滝のように涙流したらこの数週間の疲れがドッと来てしまってびっくりしたよ。

それにしても、ヨロコビとカナシミの二人がメインキャラクターっていうのが面白いよね。

何でもかんでもポジティブで楽しいのが良いと思われがちだけど、もしそれが本当にそうなのであれば、あたしたちの頭の中にヨロコビ以外はいらないもんね。

インサイド・ヘッドでも最初はヨロコビが独りよがりでライリーを助けようとするけど、実はカナシミが悲しさを許したことで打開する場面がいくつかあるのね。

そして、実質リーダーだったヨロコビがいなくなった後の司令室の三人の悪戦苦闘っぷりも良くて。

イカリとムカムカとビビリだけが頭を支配したことで、ライリーはイライラしたり跳ね除けたり恐れたりジェットコースターのように感情が動く状態になるんだけど、もしこのときもヨロコビが一人で頑張っちゃってたらきっとライリーの心は完全に壊れていたと思うんだよね。

仏教では諸法無我という考え方があって、簡単に言うと、
「恒常的な『私』なんてものはなく、すべては関係性でもって成立している」
という考え方なのね。

あたしはそれを「私と他者」「私と世界」と解釈していた節があったんだけど、インサイド・ヘッドを観て
「よく考えたら『私』の中にある感情も一つの統合されたものではなく、いろいろな感情同士が相関して成り立っているな」
って気付いたね。

ルネサンス期の西欧で興隆したマクロコスモスとミクロコスモスの思想も好きなんだけど、あたしこういう相関関係で全体が成り立っているっていう論好きだな。

あたしは人のことを
「様々な相関の中で浮き上がって生じた現象」
という捉え方をしているのね。

そう捉えると人を個体として認識しなくなるので、人を憎むことがまったくと言っていいほどなくなる。

「こういう人は嫌い」「あの人は好き」とやるのも悪いものではないけど、人を選別したり人から選別されたりするのに疲れた人は、ぜひインサイド・ヘッドを観ながら諸法無我を実践してみてほしい。

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