日本に住んでいてめんどくさいと感じること。

※この記事はテスト投稿に近いものなので、各事象の検証がまだ十分でないことや、論理が破綻していると思います…今後このことをもっと深掘りして記事を書きたいと思っているので、そのたたき台として、ここにアップさせてください。

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私は正直、日本に住んでいると息苦しいと思うことが多くある。特に、人と接しているとき。

今と同じくらい自分の気持ちが自由だった大学時代は、本当に気の合う人たちとしか長い時間を過ごさなかったので、ストレスだと思うことがほとんどなかったなぁ。

ですが、その後の社会人生活の中で、日本に住んでいるとものすごいストレスを感じるあるいは疲弊すると感じるシーンが多かったです。

また私が自分でそういう自覚ができたのは、自分が若干繊細な感覚を持っていて自分を守るためにストレスを自覚するようになったとも言えますし、そういう社会集団の行動を観察する癖があったからというところが、いろいろある要素のうちの中でも大きかったのではないかと思っています。

私は専門家ではありませんので、自分の実体験と感じてきたことのみでお話をします。

それがどれだけ信憑性があるかは難しいところがあることも承知していますが、そのように感じる人がいて、こうやって文章を書いてみようと思うくらい強く感じている人がいると言うことは、実際大切なことなのではないかと思い、文を書いているわけなのです。

さてそこで、今回のテーマは「日本に住むのは、どうしてこんなにストレスフルなのか。」ということですが、パートナーとも話したところ、単純に以下のことがめんどくさい、めんどくさいのにみんな律儀にしようとするところが息苦しい要素に当てはまるのではないかと言う話に。

・敬語がめんどくさい
・建前文化(本音を隠すこと)がめんどくさい
・空気読めの文化がめんどくさい
・目上の人を尊敬(立て)なければならないのがめんどくさい

うん、確かにめんどくさい。そしてめんどくさいと思いつつも、人間関係を円滑にするためにやってしまう。私は上記のことを過度にすると疲弊するのがわかっているので、過度にするような人間関係は作っていないつもりですが、それでもどこかで上記のことを気にしている部分はあると思います。

さらにその根底には、以下のような意識があるのかな?と思ったり。

・社会の「こうあるべき」という人物像を不自然に体現することに注力している
・誰かの作った自分の特質とかけ離れた人物像・役割担当になろうとするために疲弊する
・そしてそれを目の前にいる人にも押し付けようとする

敬語も建前も空気読めも、自然にやっていることなら疲れないんですきっと。それが不自然だから疲れる。それって、個々人の、あるいはそれを総括した社会と言う風に見えるアクターが示す(ようにみえる)「人間とはこうあるべき」という人物像を嫌々演じさせるし演じているストレスなのかなと思ったりします。これが嫌々でなく、個人の希望で「人間とはこうあるべき」という人物像に積極的になろうとしている人にとって、それはめんどくさいことではなくいいストレスなのだろうなと思います。ただ、そうではない人が多くを占めるのではないかと。

また、日本は農耕民族社会でグループでの行動を重んじる傾向にあると言われていますよね。そうなると、その人個人よりも、役割から得られるアイデンティティに比重が置かれる気がします。例えば長女長男、先輩後輩、上司と部下など、そのグループや役割の型の中では個人であることより役割が個人の名前に取って代わるくらい印象が強かったり、またその役割によって個人のパーソナリティーが影響を受けることも少なくないと思います。それは「個人」という視点から見ると「個人」の抑圧のようにも見えるなあと思ってしまいます。もちろんその文化にうまく適合している方もいらっしゃると思うし、それはそれでいいと思いますが、私は不適合者だったのでとにかく合わないと感じていました。

私があまり好きでない日本の言葉に「みんなが我慢しているんだからおまえも我慢しろ」みたいな言い回しがあります。私にはこの状況が、我慢を集団の論理のように見せて相手に押し付けようとしている構造にも見えます。私は個人的にこう言う押し付けが好きではありません。。私は自発的な動機付けの方が好きなので。確かにこれは私の好みで会って、多くの人に当てはまることかどうかはまた分かりませんが、少なくとも私と感覚の近い方は、自発的動機付けを妨げるような考え方の押し付けは、社会通念として適切であったとしても、そのような考え方の押し付けをする行為はどうもその人の自分勝手のように思えてなんとなく釈然としないと感じます。

話がこんがらがってまいりまして、途中から言いたい内容が破綻しておりますが…今回の落とし所をひとまず、不自然で嫌々やりたくもない社会規範に沿っているように見える行動をしようとする、またそれを他者にも押し付ける、押し付ける過程でうまく押し付けられないと怒ったり苛立ちを露わにする場合がある。それを避けるためにまた社会規範に沿ったように見える行動をしよとして疲れる。みたいな状況が日本にはあるのかなと思いますし、私はそう言う精神のやりとりがどうも苦手なのでそこからは適切な距離をとっています。


今回の文章はたたき台なのでだいぶめちゃくちゃですが、ここを切り口としてまた自分の思っていることを、今度は明確に伝わるように、記事を書きたいと思います。

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