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紙とインクと塀 

私が生まれた時
それは無垢でありながらも硬質な白さを持つただの紙だった。

人と交わるたび、折れ曲がり、珈琲を浴びせられ、砂埃に塗れ、少しずつ薄汚れていったその紙は、大切な人と出会うたびにひと区画だけ漂白され無垢でありながらも硬質な白さを取り戻す。

そして大切な人との別れが来るたび、その漂白された区画も、周囲と同じくざらりと苦い香りのする紙に戻っていった。


また、大切な人との別れが来た。

胸に刺さったナイフの先端
一番深いところが焼け付くように収縮し
焦げた苦い香りがした

自身の胸底の鈍い赤から
ドロリ ドロリ
深い青
夜空より暗く深い勝色のインクが溢れ出てきた

手で押さえることもできず、ただ流れるのをみつめていた。
ただそのインクが他の区画に流れ出でてはいけないものだとも気が付いていた。


ポタリ ポタリ
そのインクが落ちていくのは、あの人へと割り振った区画
私の半生もの間、無垢でありながら輝かんばかりに白さを保ち続けた
何よりも大切な区画だった
砂埃も折れ曲がりも珈琲も何もかも
他の区画からの汚れがほんの少しもついていない
紙の中で一番真っ白で、大切な区画だった。

真っ白だったその区画にインクが映える。
他の汚れや痛みとは違って、紙そのものを溶かそうとするかのようだった。


理性はあった
このインクはきっと他の区画へとのびていくことだろう。
まだ胸元からインクは垂れ続けている。
手で押さえようとしても、もう手を動かすこともできない。
きっとまだ、今の私ではインクは止められない。
胸の奥底の赤い傷が熱を失うまでインクは流れ続けるだろう。

せめて、せめてと
その区画に塀を作ることにした
今まではその区画が他の汚れに汚染されないよう立っていた塀
折れ曲がることも、コーヒーの流れも、砂埃さえ通さなかった塀
もう崩れ去ってむしろ他の汚れを呼び込んでいるように見える塀

それを片付ける間もなく、インクが流れ出ないよう
高く、高く、塀を作り始めた

これはこの区画だけの話
他の区画には関係のない話
だから他の区画をこのインクで塗りつぶしてはいけない。

とぷり とぷりと 液面が上昇する
今はまだインクは塀の中を揺蕩う

インクが止まるのと
私が塀を作るのに疲れるの
一体どちらが先にやってくるのだろう





end

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