見出し画像

『だが、情熱はある』に日本のテレビドラマの可能性を見た

先日、『だが、情熱はある』のテレビドラマ最終回が放送された。

これはオードリー若林と南海キャンディーズ山里という2人の芸人の半生を描くテレビドラマだが、とにかくすごい。

私は所詮、にわかの部類に入るだろう。それくらい2人のことを詳しく知らない。

それでも、このドラマ、気がつけば、毎週涙を流すほど感動している私がいた。


しかし、断っておくが、この文章は盲目的にこのドラマを褒めるものではないし、ジャニーズも邦ドラも大嫌いな人間が書いているので、ほとんどの人にとっては、全く参考にならない。


日本のテレビドラマは、

もう限界を迎えていると思っている。

中学生くらいまで、なんとなく話題になるものは見ていたが、

とっくに見ることを辞めてしまった。

世間的にヒットしたテレビドラマで一番新しいのは半沢直樹だと思ってる。

そんな人間が、久しぶりにテレビドラマを1話から見た。


衝撃だった。

再現度は……まあ本人たちが見たら、全然違うというところもあるのだろうけれど、

魂の再現度は最高だった。いや、それも実際には分からないのだけど。

それでも、当てられてしまった。刺さりすぎた。


何者かになりたくて、

何者にもなれなくて、

社会の片隅でスポットライトの当たらない毎日を過ごす。

そういう自分は結局、

彼らのように、何者にもなれなかったのではなく、

どうしようもない不安とか、恐怖とか、そういう形のないものを

振り切って、走り出す勇気がなくて、

何者にもならないを選んだだけ。


だからこそ、成功というゴールが見えている2人が、

もがき苦しむ姿に心を揺さぶられた。


窓にぶつけて、落ちたシュークリーム食ってるシーンで号泣した。


この感動は、私がオードリーを好き、とか山里亮太を好きとか

そういうファンだったからというのは多いにある。

本当に、毎週、何かしらで泣いていた。


それと同時に、

日本のテレビドラマは、こういう活路があるのか、と思った。

もう日本のテレビドラマはやりたいことを一通りやり終えてると思う。

役者俳優を変えて、同じような内容の……。

まあこのあたりはまともに見ていない人間がとやかく言うものではないのだが。


でも、映画だけでも見たら分かるが、

アクション映画なんて日本は作れないし、作ったとしてもヒューマンドラマ。

当然テレビドラマはアクションなんて予算はないし、限られたフィールドの中で創意工夫をした

様々なヒューマンドラマを作り上げている。でももう限界でしょう。


そんな中で、

この再現VTRは、ある意味発明だったと思う。

再現VTRをテレビドラマ制作班が本気を出して作ると、こうなる。

しかも、どこを切り取っても愛があり、溢れんばかりの情熱の塊である。

このドラマを見た人の中で、あの漫才がどれくらいの再現度を誇るか、見比べに動画サイトまで行った人もいるだろうし、SNSで回ってきたのをみた人もいるだろう。


そして、その熱量は、間違いなく視聴者に伝わっている。

題材は問題じゃなく、これが芸人の再現VTRだったからヒットしたのではない。

この熱量に当てられる人間がたくさんいたからヒットしている。


これを履き違えた、再現VTRテレビドラマが今後、乱立するだろう。


間違えてほしくないのは、これが芸人の半生を描く再現VTRだからじゃない。

この熱量があったからだ。


普段私は、漫画、アニメ、ゲーム、洋画しか見ない。

徹底的に邦画、邦ドラを避けてきた。


いま、この熱量で作られるテレビドラマはどれだけあるのだろう?

知らないし見てないし、見る気も今後ないので、興味本位でそう思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?