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三角みづ紀 どこにでもあるケーキ

三角みづ紀詩集『どこにでもあるケーキ』をより深く潜るためのページです。読むまえ、読んだあと、どちらからでもご利用いただけます。

◎朗読「アイボリー」


◎「三角みづ紀と読書会」のご案内

『どこにでもあるケーキ』の刊行を記念して、三角さんを囲んで詩集を読む会を、刊行直後から8か月間連続で開催しました。無料で、ご予約不要、月に一度、オンラインで集まって詩を味わう時間です。
【読書会開催日】
第1回は2020年8月30日(日)に開催しました。

第2回は9月15日(火)に開催しました。
第3回は10月15日(木)に開催しました。
第4回は11月17日(火)に開催しました。
第5回は12月23日(水)に開催しました。
第6回は2021年1月21日(木)に開催しました。
第7回は2月25日(木)に開催しました。
第8回(最終回)は3月26日(金)に開催しました。

◎三角みづ紀の詩を読む

『どこにでもあるケーキ』は第8詩集、つまり三角さんはこれまでに7冊の詩集を刊行しています。ここでは、各詩集から7篇をえらびご紹介します。7冊の詩集から7篇の詩で49の詩篇。そして、最新第8詩集より7篇で合計56篇の詩をお楽しみください。

三角みづ紀 詩集タイトル一覧

第1詩集『オウバアキル』
第2詩集「カナシヤル』
第3詩集『錯覚しなければ』
第4詩集『はこいり』
第5詩集『隣人のいない部屋』
第6詩集『舵を弾く』
第7詩集『よいひかり』
最新 第8詩集『どこにでもあるケーキ』

◎『どこにでもあるケーキ』書店員さんからのご感想

全国の書店員さんに、本書への言葉をお寄せいただきました。それに応えて、三角みづ紀さんは絵葉書にお返事をしたためて、お住いの北海道から一枚一枚投函しています。
※書店員さんからのご感想の下に、三角さんがお返事を打ち直したものを記しました。ご感想やお返事は順次追加していきます。


著者とはほぼ同世代だが、ここにある言葉を掬い上げるために詩人はどれだけ深い時間に潜らねばならなかったのか。そのことを思うと胸が苦しくなる。苦しくなるがこの本にひろげられた一枚一枚の葉が打つ脈の音、持っている温もり、それらが忘れていた私の記憶をノックしてくれる。
blackbird books 吉川祥一郎様より

実際の記憶を詩として読んでいただくために、どのような景色をくわえるか。向き合いつづけていたら、わたしは13歳でした。『どこにでもあるケーキ』が誰かのドアを叩きますように。


誰もが通るあの不安定な時期に、お守りのように机に忍ばせておきたかったな。と、思ったけれど、それは大人になったいまも変わらなかったことに気づく。私たちはみな、いつだって、「あのころの自分」に背中を押されている。
本屋lighthouse 関口竜平様より

生きているわたしたちは、ずっと青春のなかにいて、悩んだり喜んだりする日々はかけがえのないもので、それらがつまった『どこにでもあるケーキ』をぜひとも読んでください。


思春期の、なにげなく、漫然と過ごしていた日々を思い出して、それらが実はとても大切で、かけがえのない時間だったのだと初めて思わされました。触れば弾けるような瑞々しさ、儚さ、希望、そして闇の深さ。思春期の一時期にのみ知りえるような神秘を、鮮明な形で湛える詩の力に驚かされます。
がたんごとん 吉田様より

大人にも、子供にも、よりそう一冊がつくりたくて13歳の心地に戻って、詩を書きました。『どこにでもあるケーキ』はどこにでもあるけれど、でも、手にとった誰かのどこにもないケーキです。


“たゆみなく生きる練習をしている やすみなく成熟する稽古をしている”練習や稽古をさぼりがちなわたしは、いまも生きることが不得手で、成熟しきれないままだ。でも、だからこそ、三角さんの詩を読み、やわらかな痛みを感じられたのだとしたら、それは幸せなことなのかもしれない。性別や時間をこえて、いまなお何者でもない自分を持つ全ての人に、響く言葉がここにはある。
らくだ舎 千葉様より

おそらく、わたしのなかには、いまでも13歳の少女がいて、葛藤をつづけていて、おそらく、おおくの方のなかに、『どこにでもあるケーキ』の「わたし」がいます。


直視できないほどのイノセンスと、くらくらするような冷酷さ。ここに描かれた「わたし」は、確かに13歳だったわたしだ、とどうしても思ってしまう。教室のにおいを、制服のスカートの長さを、あの頃の気持ちを憶えている。何歳になっても、きっと誰の心の中にもいる「わたし」を、この詩集に見つけてください。
ジュンク堂書店池袋本店 市川真意様より 

ひどく臆病で、目立ちたくなくて、でも、たったひとりの「わたし」でいたいという気持ちは大人になっても変わらないかもしれません。『どこにでもあるケーキ』には、眩しい軋みがあふれています。


三つ編みが自分で編めないのは中1だろう、と考えながら読んでいたところ帯にもあとがきにもしっかり「13歳」と書かれていたのでした。季節の移り変わりと少女のゆるやかな成長が描かれていて、引き込まれました。枇杷の木が出てくることなどから北国の話ではないことはわかりましたが『眠れない夜に』に雪の描写があって北海道の人間としてはうれしかったです。(やっぱり冬は木枯らしが吹くだけじゃダメで雪が降らないと!) コンビニでマニキュアが買える現在の13歳にも買ってもらえるような売り場作りに努めます。かつての13歳にとってもリアルな13歳にとってもきっと大切な1冊になると思うので。
MARUZEN&ジュンク堂書店 札幌店 伊藤樹里様より

13歳の「わたし」は鹿児島で暮らしていて、大人になったわたしが祖父母を想ったら、おのずと北海道の風景が浮かびました。『どこにでもあるケーキ』は誰しもの宝物になる一冊です。


人生は思い通りにいかない。そんなことは分かっているのに、直面している時はそう思える余裕がない。一人の目線で描かれた33篇のこの詩集は、13歳と云う心も体も変化してく時期の繊細な感情を拾いあげています。大人になっても、忘れてはいけないものを思い出させてくれるように、体にスッと入ってくるような感覚がする、繰り返し読みたくなる1冊です。
二子玉川 蔦屋家電 BOOK 岩佐さかえ様より

『どこにでもあるケーキ』は記憶に深く深く潜って、13歳に戻って書いたものです。まるごと1冊が物語になっています。かぎりあるやわらかな痛みや眩しさは、ずっと宝物です。


まずは驚きました。私は著者より年下なのに、なんてみずみずしい文なんだ!と。生徒目線の収録作が多いという事実以上の何かがあると感じました(あとがきを読んで納得!)。言葉には出来なかったけど、自分が学生時代に感じていた反発心、目立ちたさと目立ちたくなさ、甘酸っぱい思い、世界ってなんて忙しなくて鬱陶しくて美しいんだという思い(多分今も少し感じている)が瑞々しい描写で描かれていて、和やかに、そしてたまにゾッとさせられながら楽しめました。本書が特別だと思った点は、青春のあの気持ちを、自分はもちろん、みんなも感じている、それをちゃんと捉えられていると感じたことです。自分の葛藤を描いた著作は多々あれど、それに留まらないのが素晴らしいと思いました。一番気になったのは『わたしの木』。私は名前が孔子の論語由来なので、論語を見ると「俺のや!」となるのです。しかし、私も植物由来が良かったなぁと。うたたねしてみたいなぁと。とても楽しめました。発売日をとても楽しみにしております。宜しくお願い致します。
紀伊國屋書店 梅田本店 橋本朋有様より

13歳の「わたし」は只中にいたので気づかないことも多くってふりかえれば、眩しさに驚きます。それらを一冊にしたのが『どこにでもあるケーキ』です。宝物の一篇を見つけてください。


感想ですが、はじめに、塩川さんの装画と三角さんの詩が嬉しくなるほどぴったりでした!13歳の頃のあの何ともいえない独特な疎外感と喪失感は全体的にあるのに、家族から向けられた愛情に対する多幸感もしっかりあり、「どこにでもあるものでもあり唯一のものでもありたい」不安と自信が揺れ動く感じが伝わりました。とても素敵な本でした。個人的には「ロートの日」が好きです!
ブックスアルペジオ 書店員様より

13歳の「わたし」が抱く感情、教室での疎外感や特別感。少女たちは、今もわたしたちのなかにいて、塩川いづみさんの絵のように、孤独を大切に睨んでいます。『どこにでもあるケーキ』が宝物になりますように。


私が三角さんの詩と初めて出会ったのは、2016年の年末。ナナロク社さんから出ている『よいひかり』でした。年始初めの1冊と思って選んだ本でした。「ああ この本と出会ってよかったなぁ」と思ったのをすごく覚えています。その頃は、自分の病気と向き合っていてつらい日々が多かった時だったのだけれど、三角さんの詩は、私の中で程よい距離を感じて、その距離感の中で何かがすっと入ってくる言葉がそこにあったように思います。『どこにでもあるケーキ』もまた、私には程よい距離があって、べったりでもなく、冷たくもなく、ふっと心に余白を与えてくれる。言葉と言葉の余白にふっと引っ張られ、自分がかつて13歳だったところへ引っ張られトリップしてしまう。ハッと我に返ると目の前には、また言葉があって。戻ってくると胸が少しキュウっとなっていて。。そんなことの繰り返しで、何回でも読んでしまう。もしかしたら、13歳の私に戻ることのできるタイムマシーンかもしれない。
おひさまゆうびん舎 窪田様より

余白の分だけ誰かの心に届いて、余白の数だけ誰かの経験になるのかもしれません。『どこにでもあるケーキ』は、あらゆるひとへの手紙でもあります。


三角さんの詩集、拝読しました。読んでいたら、「切実」という言葉が浮かんできました。大人になるにつれ、手放したり、しまい込んだりしたそれが
ここには確かにあって、手放すことも、しまい込むこともできなかった三角さんがちょっとうらやましくもありました。送っていただいてありがとうございます。
橙書店 田尻久子様より

不器用なひとが詩人になり、おなじく不器用なひとが詩を読む。日々、不器用って豊かだなと感じます。切実で贅沢なあの頃が『どこにでもあるケーキ』には詰まっています。


みずみずしく、密やかに鋭敏で、脆いところと堅牢なところどちらも持ち合わせている、実際にその頃に戻ることはないけれどこうしてずっと秘めているのかもしれない。13歳の自分も降りてきて、そこにいました。
Amleteron アマヤフミヨ様より

13歳のわたしを、13歳のわたしが愛おしく思うことは難しい。でも振りかえったら、たしかにつややかに光っている。『どこにでもあるケーキ』は痛みや優しさの宝箱です。


13歳の三角さんのポエジーを38歳の三角さんがポエムにしたのだと思う。でも、もしかしたらポエムにしたのは25歳の三角さんかもしれないとも思いました。
ひとやすみ書店 城下康明様より

13歳のわたしも38歳のわたしも大差なく、その流れのなかには、あらゆる瞬間のわたしがいました。『どこにでもあるケーキ』にはあらゆるひとびとの記憶が詰まっています。


できれば思い出したくなかった13歳の自分に突然再会してしまった。自身に何の存在価値も見いだせなかった不安で不機嫌な日々。なのに今振り返って淡い懐かしささえ感じるのは、過ぎた年月のせいだろうか?
わおん書房 廣部貴子様より

不安で不機嫌な日々を触ってみたら、あんがい悪いものではなくて、撫でつづけたら宝石になるのかもしれません。『どこにでもあるケーキ』は、ふつふつと輝く詩集です。


用意された空間で、守られながら過ごしていた学生時代を思い出しました。規定の髪型をして、規定の服を着て、枠からはみ出さないように過ごしているけれど、心のなかでは、どこか、わたしは皆とは違うとあの頃の私も思っていました。「わたしは皆とはちがう 全員がささやかにあらがう でも完全にちがうのはこわい」「そっと低い鼻をつまんで なにもかも下手なんだ」皆とは違うと思いながらも、いざとなると何をするにも上手くいかない。もどかしくもやもやした心が、一瞬で蘇ります。あの頃抱えていた漠然とした不安に寄り添ってくれる、お守りのような本でした。
丸善 お茶の水店 細井百合様より

大人だから大変なことはあるけれど子供だから大変なことはあって、『どこにでもあるケーキ』があらゆるひとびとのお守りになりますように。


遠い昔、記憶の中の13歳。心の中にひそむ、思春期のうまく発散できないもどかしさがリアルな言葉でつづられており、昔を思い出しながら、共感する場面がとても多かったです。かつて13歳だった人にも、リアル中学生にも味わっていただきたい1冊だと思います。
八重洲ブックセンター 豊島順子様より

もっとも不安定で、もっとも儚くて、世界のうつくしさと対峙していた13歳。『どこにでもあるケーキ』はお守りみたいな詩集です。


世界とはじめて出合ったときの初々しさ。体にしみわたることば。十三歳になっていた詩人は、世界の美しさや複雑さを、息をひそめて記述する。三角さんの繊細な詩集、いまこんなことばがよみたかった。
Title 辻山良雄様より

13歳のわたしを13歳のわたしが直視することは難しく、時間を経たからこそ、あの頃の感情を抱きしめられるのかもしれません。『どこにでもあるケーキ』には脆くて強い日々が詰まっています。


自身の思い出を重ねながらひとりの13歳を描いた33篇の書き下ろし作品。10代の不安な気持ちや、世界の捉え方がきらきら光っているように書かれていて、瑞々しさが詩に表れています。
青山ブックセンター  青木麻衣様より

なにもかもが新鮮で、なにもかもが特別で自分の感情に出会いつづけていた、あの頃。『どこにでもあるケーキ』は13歳の記憶へと深く潜った詩集です。


美しく佇むこの小さな詩集を開けば、あの頃の感情があざやかによみがえる。不安や怒り、自尊心のもつれ。半径1メートルの繭に包まれながら世の中を感じようともがいていた。そう、まるで本書の詩のいう「獣」のように。飼いならしたと思っていたけれど、その獣はまだ胸の中に息づいている。過去といまを結び、鋭敏に、柔らかに世界をまなざす力を取り戻してくれる、愛おしい一冊。
今野書店 水越麻由子様より

ひどく繊細なのに、たくましい。13歳のわたしたちの想いは胸の奥にずっと残っていて『どこにでもあるケーキ』はあざやかに切り取られた記憶の物語です。


自分の意志とは関係なく成熟していく身体と、こころのなかで時折り暴れる獣。「わたしたち」の一部にはなりたくないけど、確たる「わたし」が見つかっているわけでもない。両親のこと、どこか遠くの悲しい出来事、ちいさな猫。なにもかもが下手で、すべてに抗っていて、でもひとつも忘れたくないと思っていた、あの頃。赤く小口を染められた手のひらサイズの美しい本は、グラシン紙で巻かれページをめくるごとにかさかさと指にまとわりつく。清らかで同時に煩わしいこの手ざわりがことばと響きあって、心の中にしまってあった箱からさまざまな感情が漏れてくるようで。きっと詩だから、それを素手でつかむことができるんだろうと思う。
ON READING 黒田杏子様より

ひとはいろいろなことを忘れてしまうけれど、ぜったいに忘れられない感触があって、『どこにでもあるケーキ』にはぎこちなく心地良い日々があふれています。


常日頃、今の私は中学35年生とか口にしていますが絶対に戻りたくない季節は中学生だったな、を思い出しました。もっさりしてて、イラついてて、能天気な感じ。こんなきれいな本として手元に置けるのなら、安心して
忘れてられるな、と思った次第です。(あと、家の子が中学3年生でして、
親として接してしまっているせいで見落としていることがたくさんあって、何のために本とか読んできたんだろと思うことばかりなんですが、そういや、そんなもんだったね13歳、と気楽になれました)
東京都 書店員・オオウラウタコ様より

もう戻らない季節があって、それらを煮詰めて大切に食べていく。『どこにでもあるケーキ』は本棚に置いておきたい鮮やかな13歳の記憶です。


「わたし」というひらがなでできた銃口を覗きこめば、世界地図や井戸や星座線にまぎれて、数多の13歳の「わたし」が見える。成熟と未熟、明確と曖昧のはざまで、まなざしだけを鋭くして。あなたからさほど遠くない世界に、わたしはいまも生きているし、たぶんこれからもそうだ。歓待でも祝福のためでもなく、これは「わたし」が「わたし」のためにほおばる特別なケーキ。
三省堂書店成城店 大塚真祐子様より

ただ生きているだけでは足りない気持ちで世界を睨みつけていた日々。『どこにでもあるケーキ』はどこにでもいる特別な13歳の物語です。


13歳の少女の中にはいろんな生き物がいる。本人もそれを受容できたり できなかったり…… まわりもみんな自分とおんなじ、と思ったり いや自分だけだと思ってみたり…… 私はもう親(というより祖母かしら…!?)の世代だけれど確かに自分も通ってきた道……当時の気持ちがよみがえる。それはここに綴られた言葉がまっすぐだから。読む人の“あのころ”の感情を呼び起こす言葉の数々がそこにはあった。
平安堂長野店 町田佳世子様より

13歳の思い出はたやすくなくて、小さな傷として残ったりもする。
『どこにでもあるケーキ』はそれすら愛おしく感じる詩集です。


「なんでもない」自分が「なんでもなく」なりたいと静かにもがく。十三歳の記憶を全編アナログコトバで再構成。「チョーク」には幻想的でハッとさせられ、「わたしの木」では自己投影する。「曇り硝子」という自分のフィルターを取りのぞいても、相似型の25年後の自分と出合う。13歳へまきもどす記憶の旅のプロセスは、同時に世代を越える普遍的作品に見事に結実。
三角の花園であり「81/2」である。
ちくさ正文館書店 古田一晴様より 

見つからないタイムカプセルは今でも見つからなくて
『どこにでもあるケーキ』はあの頃のわたしが詰まった宝石箱です。


「どこにでもあるケーキ」読ませていただきました。何気ない言葉からつむがれる繊細で美しい詩に心掴まれ、三編みだった頃を思い出して懐かしいような心許ないようななんとも言えない気持ちになりました。この詩を読んで、当時好きで読んでいた江國香織さんの「すいかの匂い」を思い出しました。
ジュンク堂書店 鹿児島店 有村様より 

いまはもうちがう家族が住んでいる、常盤の一軒家を思い出しながら編んだ詩篇です。『どこにでもあるケーキ』はすべてが新鮮で戸惑っていた13歳のとびきりの物語です。


三角さんが紡ぎ出した33篇の詩は、自分が13歳だった頃の少し苦い記憶を蘇らせ、かつての時間をなぞり直すような、これまでにない読書体験でした。きっと読む人それぞれの「あのときの記憶」が蘇るのだろうな、と思います。装丁も装画もとても好みで、三角さんの詩をとおして過去の自分を思い出すという行為も、自分と向き合うような時間が増えている今の時期に、より意味が増してくるな、という印象も受けました。
本屋B&B 西山友美様より

これはひとりの13歳の日々ではなく、すべての13歳の日々でもある。『どこにでもあるケーキ』はあらゆるひとの眩しいあの頃です。


壊れそうに繊細なのに、触るとしっかりそこにある。そして、甘やかな舌触りとかすかな苦みを残す、深く、いつまでも続く味わい。「どこにでもある」けれど、「どこにもない」特別な「ケーキ」。素敵な詩篇が詰まった宝石箱のような1冊です。。
湘南 蔦屋書店 八木寧子様より

あの頃は本当に夜が怖かったしあの頃は本当に切実でとても冷静だった。『どこにでもあるケーキ』はありきたりで特別な13歳の物語です。


13歳のころとても仲がよくて、いつも一緒にいた友人のことを思い出しました。会っているときはたわいのないことで笑いころげ、会っていない時はたくさんの手紙を書き 自分が彼女なのか、彼女が自分なのか境界線があいまいになるほど、いつも一緒にいた友人。その頃のことが強烈に思い出され、そして今彼女は元気だろうかとおもいました。 ひとつの物語のようで、読み進むうちに、私の記憶も引き出されていくようでした。私は、誰もいない音楽室にこっそり忍び込むのがすごく好きだったことを思い出しました。…とりとめのない感想になってしまいましたが、、 思いがけず、普段なかなか呼び起こされることのない記憶に飛ばされ、あの頃の自分がなんだか愛おしいような気持にもなりました(私は三角さんとほぼ同年代です)。豊かな時間をありがとうございます。 
紀伊國屋書店札幌本店 林下沙代様より

13歳を大切にめくってみたら、繊細すぎるあの頃がとても眩しくて、儚かった。『どこにでもあるケーキ』はすべてを柔らかく肯定する詩集です。


最初に「オウバアキル」を読んだのは2004年のことでした。この16年間は、三角さんにとってむしろ若返るための時間だったのでしょうか。
丸善 丸の内本店   杉木茂弘様より

カエルが怖かった私は、大人になることはカエルになることだと思っていた。黒くてちっぽけなオタマジャクシも、いつしか尾ひれが無くなって、手足がにょきにょき生えてきて、体もふっくらと肉が付き、発する声は低くてじっとりまとわりつく。いちどそう思い込むと、ぐんぐんのびる身長も、だんだんふくらむ胸も、むりやり着せられている居心地の悪い服のようだった。しかも、皮膚にびっちりとはりついて、ぜんぜん脱げない服。カエルの呪いは強烈で、大人になった今も、さほどふくらみはしなかった体をながめながら、水をかいて泳ぐカエルの四肢を思い出している。『どこにでもあるケーキ』の「わたし」は、ふくらんでゆく自分を最初に「ケーキ」と例えていた。オーブンに入れると、熱でふんわりとふくらんでゆくスポンジ。なるほどそれなら気持ち悪くないし、ナマモノだけどイキモノではないし、私もいっそケーキの呪いならばよかったのに、と夢想した。でも、ケーキの呪いは最後まで続かない。どこにでもいる「わたし」には、だんだんと大事なものが増えてくる。
ポニーテールのあの子。父と母と見た流星群。猫のぽっぽ。渡せないマフラーを渡したいきみ。音もなく光る万年筆。
かけがえのないものに囲まれる女の子は、ナマモノで、イキモノで、そこにしかいない「わたし」になる。生まれて、ふくらんで、燃えつきて、また新しい一日をはじめる。そのくりかえしで、十三才の女の子は、十四才になる。十三才の「私」のとなりに「わたし」がいてくれたら、「私」はカエルの呪いを恐れない、べつの「私」になっていたかもしれない。いや、今からでも。 
本の学校今井ブックセンター  小谷裕香様より

どうしようもなく変わってゆく13歳の心や身体の煩わしさ。よくわからない世界への畏れと憧れ。世界の大部分を占めていた教室の雰囲気や、日々の世界の美しさ。もう忘れていた、懐かしい私と出会えた詩集でした。これからも、きっと何度も頁をめくると思います。
梅田 蔦屋書店  永山裕美様より

十三歳の時、世界がどんな風に見えてたかなんて、もう思い出せない。光景の断片らしきものは浮かんできても、感情や感覚みたいなものは、どう頑張っても、もう蘇ってこない。ここに納められているのは、詩人が十三歳に「戻って」紡いだ言葉たち。細部まで、みずみずしい。あの頃の感受性が、生きたまま刻まれている。詩人というのは、ほんとうにすごいな、と思う。
本屋ルヌガンガ 中村様より

38歳の詩人が13歳になって書いてみたという1冊の詩集。どこにでもある自分やケーキのようである自分をもてあまし、愛しみ、どこか他人事のように眺めている…そんなすべての年齢の女たちへおすすめしたい。とても素敵な本でした。
HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE 花田菜々子様より




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