2.撮りたいものが、ない!?からの、スランプ脱出
前回の展示は4年前、2015年1月でした。
「女装の軌跡と幸福論」という仰々しいタイトルは、6年間みっちり女装に携わる中で、自分なりに人の在り方や女装文化の輪郭が見えたことで、幾分かの表現者としての気負いもあってつけたものです。
前回の作品の一部
2010年前半くらいまでは「女装をする人はみんな男が好きで、変態趣味という固定観念がありましたが、「女装男子」が流行語大賞にノミネートされたり、男の娘ブームが巻き起こってテレビや雑誌などでどんどん取り上げられたことで、ポジティブにとらえられるようになっていったのです。
(そういえば写真集の出版に併せて、台湾で展示もしてました。)
そんな中でも、若くてきれいなものが至高という流れに違和感が募り、みなが自分の好きな装いを楽しめばいいじゃない、というメッセージを込め、満を持しての展示でした。
年齢、パートナーシップ、女装へのスタンスなどできるだけ幅広い人たちを偏りなく撮ることにつとめ、その時点で女装で表現したかったことはやりきりました。
そして展示以降は女装ヒゲ女装外国人・レディビアードのタレントプロデュースに注力し、更に固定概念を突き崩すことを信条に彼をモデルに作品制作をつづけました。2年半後にまた同じ場所で展示をさせていただくことになります。
ここではたと気づくんですね。私は自分が関わった人の価値観をちょっとだけでも変えることにすごい生きがいを感じているって。
その観点では、女装を通してできることは確かにほとんどやりつくしてしまったのです。そもそも私、純女なのであくまで観測者、外野ですし。
なので、また女装をテーマに展示を、というお話を画廊から頂いたときは、正直なところ自分からはもう何も出ないと思っていました。だからこそ、企画を立て、新しい人たちと組んで違う切り口からの作品制作を、と協議を重ねていました。
それが急転直下、完全なる自分の個展となったので、もう内心大パニックです。前と同じ方針では、わざわざ全面使わせていただく意義に薄い。しかも前回数年かけて撮りためたものを、1か月で仕上げるのはほぼ無理。やるからにはきっちり、面白くて新しいものをお見せしたい… お話をいただいて舞い上がったのも一瞬で、帰路はすごいプレッシャーで鬱々としていました。
以下、臨場感たっぷりにくだけていきます。
撮れない、撮れない、どうしよう。
でも、とにかく一週間後にはリリースを打つ。
展示テーマを決めて、メインビジュアルを送らないといけない。
ここで、ごく初期からモデルとして手伝ってくれていたなじみのモデル、円谷くん(Twitter)の出番。
私の乞うままに女装し続けてくれている稀有なフリー素材モデルで、とにかくNGがなくて快く手伝ってくれる、彼なしでは私のキャリアはないと言ってもいいほどのミューズ。
ごく短期間でスケジュールを切ってくれて、私の好きなネタに付き合ってくれて、気心が知れているのは彼しかいない。
いざ連絡。
一分で決まった。
何を撮るかも決まってないのに。
この時に、彼になにをやってほしいか、真剣に逡巡した。
そういえば、女装において私の作品作りには枠があった。社会にとって、鑑賞者にとって、モデルの体験にとって、なにがしかの爪痕が残せるようなことを念頭に置いて、その中で自分がどう撮るかと考えていた。
けれど表現者・発信者として女装業界に負っていた義務を果たした今、何も遠慮することはないだろう。自分の内側にある趣味を開放するときじゃないか。乳首だって出していいだろう。前回は女装=エロ、変態趣味という印象を避けるために極めて慎重に自主規制していた。
女装ならではのインパクトあるビジュアルづくりには、きれいな顔と平たい胸が欠かせない。それに自分が好きなものを組み合わせれば、また情熱が蘇る…
おりしも、5月に人間家具イベントをフェティッシュバーをお借りして開催する運びになったところである。私のフェティッシュファッション愛を開放する時がまさしく今。
(上は先日omnifocalさんに撮影していただいた人間テーブルと私です)
今やるのは、フェティッシュだ!おりしもトーチャーガーデン用に買っておいたオープンバストのヒモみたいなブラがある。これだ!!!
というわけで、メインビジュアルの絵がぶわっと降りてきて、同時に自分の好きなことを好きなだけしていいんだ、という肯定感が沸き起こり、いける、これはいけるぞ、と勢いづいていくのを感じました。
そして次の日、各方面へ撮影依頼を出していくことになります。
つづく。
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