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マスターズ陸上3年目56歳奇跡のようなシーズン

おじさんのマスターズ陸上も3年目に突入。
2022年…この年は生涯忘れられないシーズンとなりました。

昨季は初めてのマスターズ大会一勝、コロナ疾患による低調と復活、波乱万丈なシーズンでしたが、最終レースでは200mの面白さも知る事が出来ました。
冬季練習は200mから300mのロングスプリント系の厳しいメニューも取り入れるようになり、2シーズンの経験を経て冬季練習は自分なりに順調にこなせたと思います。

2022年の春、年度末の超多忙状態が落ち着き始めた4月初旬、高校陸上部時代の先輩OBからLINEが来ました。
日本陸上競技選手権におけるマスターズ種目が数年ぶりに開催されるという、日本マスターズ連合からの通達記事のことです。

以前から日本選手権でのマスターズ種目の存在は知ってはいました。
全国のマスターズ陸上選手から各クラス2,3名が選出され、100mをオープン種目として3クラス程度で混走するエキシビジョンレースです。
過去の日本選手権でのマスターズ100mの動画はYouTubeで観たことがあります。
地元神奈川のレジェンドも出場しており、出場したくても選出されなければ出場は出来ない、恐らくマスターズ陸上選手にとっては誇りにもなり得るエキシビジョンレースです。

先輩OBから頂いたLINEを読みながら「そんな舞台で走れる選手は羨ましいな。会場もヤンマースタジアム長居…国内の現役トップ選手と同じトラックで走れるということか…最高だろうな」と想像しようにも想像出来ない世界でした。
「まあ頑張って続けていれば呼んでもらえる時が来るかも知れないな」などと夢のような話しを冗談のように考えながら、シーズンインのレースに思いを馳せていました。

4月2週目の日曜日だったか、送られて来た私宛の封筒を妻が郵便受けから持って来てくれて、それは日本マスターズ連合から送られて来た封筒でした。
「何かの案内か?神奈川マスターズ連盟からじゃないのは珍しいな」などと思いながら封を開け、
中身の文書を見て
「えっ? え〜〜〜?」
驚嘆の声をあげてしまいました。
目の前にいた妻はびっくりして「なに?なに?」

それは、私を日本選手権のマスターズ種目出場へ推薦するという内容の、日本マスターズ連合からの案内だったのです。
“何が起きたのか分からない”とはこういう事です。「これは夢なのか?」と本気で思いました。

妻に「マスターズ連合から日本選手権に推薦された」と伝えたところ「凄いじゃん」とちょっと軽い反応…

選考基準は過去2年間のマスターズ大会の実績とのことですが、全国の中での自分の位置付けなど意識した事もない、駆け出しのペーペーマスターズのような感覚であった私です。
マスターズデビュー前を含めれば、これまで4年以上、挫折しながらも本気で取り組んできた事は自負出来ましたが、夢にも思わないような事が起きたと思いました。

案内にある出場意志表明の期日が明日に迫っていて、どうも郵便受けに数日間封筒が眠っていたようです。
一応大会開催日を確認し、否応なしで出場する意思を日本マスターズ連合へメールで伝えました。

その後に高校陸上部時代の恩師へ直電を入れ、
「先生、日本選手権のマスターズ部門に推薦を頂きました。」
「そうかぁ、凄いな、良かったな、おめでとう」「有難うございます」
いい歳して涙目になって声が震えてました。 
人生色々ありますが、こんな衝撃的な驚きと喜びを同時に味わった瞬間はこれまでの人生にはなかったと思います。

56歳、もう人生の秋が来ているような歳だけど、夏がまた来た…などと少しの間だけ感慨耽っていました。
しかし、考えてみれば日本選手権まで二ヶ月しかありません。
エキシビジョンとはいえ、全国から選ばれた者だけが走れるレースです。
想像しただけでドキドキしてきましたが「出来る限りの準備をしなくてはいけない」と身が引き締まる気がしました。

この驚きの出来事の後、エントリーしている春の試合は全て日本選手権に向けた準備と位置付けして、レース後の振り返りと改善を重要視していました。
身体の状態は良く、冬季から怪我なく推移していたのは幸いなことでした。

5月の東京マスターズ記録会、日本選手権前最後の試合。
現状を確認する上で大事な試合と思っていた事もあって前夜は眠れなくなってしまいました。
眠れたのは午前3時頃だったと思います。
会場の世田谷は初めて行く競技場でもあり、6時には起床し徹夜明けのような状態で電車とバスを乗り継いで会場に向かいました。

会場に行くと、さすがにボーっとしましたが気持ちは落ち着いていて「この試合を走れば次は長居だ」と考えていました。
心の中に炎が静かに燃えているような…良い状態の時の感覚です。

100m12“3台、200m25”5台
気象条件にも恵まれ、僅かですが共にマスターズベストとなりました。

冬季から春へとやってきたことは間違えてはいないと確信出来ました。
あと一ヶ月、走力を上げる事など考えても無駄な期間です。怪我をせず状態のキープと、疲れを十分に取る事に専念しようと思いました。

日本選手権の2週間程前、マスターズの試合で良く顔を合わせるクラブチームの面々と競技場で偶然出会しました。
その日はコーチを招いての合同練習という事で一緒に練習会に参加させて頂き、ミニハードルを使った乗込みや切替動作、レースプランを考えたウェーブ走、スタートダッシュ。
合理的且つ戦略的とも言える、具体的でとても説得力のある指導です。
特にSDについてスタブロの位置など改善のポイントを細かくご指導頂いて、それまで正直悩んでいたスタートが大幅に改善されました。
このクラブチームとの出会いと、コーチ(コーチと言っても現役マスターズのレジェンドである)との出会いは、その後のマスターズ陸上活動に大きく影響した出会いだったのです。

日本選手権の四日前、水曜日の仕事帰り、最終調整に競技場へ出向きました。
既に強い緊張は始まっていたのですが、身体のキレはすこぶる良い。
SDも改善され、思い切った1歩目も出るようになってきました。
「日本選手権ではマスターズベストは絶対出せる」と確信していました。

いよいよ大阪へ出発の日、前夜はそこそこ眠れましたが、いかんせん大阪は初めて訪れる場所で、単身で行くだけでドキドキです。
大阪へ向かう新幹線の中ではこれまでの事を思い返していました。

あの封筒を頂いてからの二ヶ月は、緊張と不安と楽しみな気持ち、人生で初めて経験するような長く短い凝縮されたような日々でした。

出発前には高校陸上部の恩師、OB・OG、職場の仲間、会場へ招待した京都に住む息子夫婦、日頃から興味なさげですが「頑張って」と言ってくれた妻と娘、皆からの応援を受けて、どれもが力を貸してくれる気がしました。

2022年6月11日レース前日の午後、とうとうヤンマースタジアム長居に来ました。

梅雨の時期に開催される日本選手権、前日入りした日も小雨が降るあいにくの天気でした。
遥々応援に駆けつけてくれた先輩OBと、メインスタジアム隣で受付場所となっているサブトラとは言い難い立派な競技場前で待ち合わせし、私は選手のIDカード、先輩OBはコーチIDカードを頂き早速前日の軽い練習に入りました。

競技時間帯の関係から男子短距離陣はいなかったのですが、テレビや画像でしか観れないトップ選手がそこらじゅうにいます。
「関係者しか入れないこんな場所に選手として来ている自分は…」と思いつつ、お邪魔虫感が満載でトラックに入れず、バックストレート裏に併設された走路に先輩OBと大人しく入って行きました。
この時は「先輩OBが来てくれて良かった〜」と凄く感謝していました。
一人であの状況下ではその場にいる事さえ厳しかっただろうと思います。

一人でアップを行っていると、立命館大学の壹岐あいこ選手が同学のサポートらしき子とアップに来ました。
「わー!あいこちゃんだ」と心の中で言ったのですが、日本選手権レース前のアップに来ているところに声さえも掛けられませんでした。
テレビで観たままの可愛らしい選手でしたが、マーカー走を始めた壹岐選手の走りには度肝を抜かれたものです。テレビで観るのと実物を目の前で見るのでは大違いです。
3点SDからマーカーに向かうそのダイナミックな動きは凄まじいものを感じました。
「これくらい大きな動きをするべきなんだ」と国内女子トップレベルのスプリンターに敬服しましたが、一時は二人だけで同じ走路を走っていて感動してしまいました。

前日練習を終え先輩OBと別れ、初めての大阪の夜。街で夕食の海鮮丼と明日のための補給食やドリンクを買って一人宿に入りました。
仕事や旅行ならビールの一杯でも、というところですが、そんな心境にはなれません。
全ては明日のコンディションのためにと様々な行動を客観視していたのです。
「トップアスリートは何時もこんな気持ちで試合前を過ごしているのだろうか?」
と、想像の世界ですが「年がら年中こんな心境でいたら自分は間違いなく耐えられないな」
そう思いました。

日本選手権レース当日、雨の予報が嘘のような晴天の朝。
晴れ男の先輩OBのお陰だなと思いながら、会場への出発前、ユニフォームにナンバーカードを付け、高校陸上部OBOGのLINEグループへ写メと共に一言メッセージを載せました。
「頑張って来ます」

「いよいよだ」気持ちが乗って来ました。

緊張感が張り詰めていたせいか、宿を出て歩いて向かったヤンマースタジアム長居までの景色が思い出せません。
サブトラックに入ると地元神奈川と東京から選出されたマスターズ選手が多く「あれれ…」という感じでしたが、改めて「関東圏のレベルは高いんだな」と実感させられました。
荷物の置き場所を皆で陣取り、ちょっと同士になった気もして嬉しくもありました。

コールの1時間半前位から、それぞれアップを開始したと思います。
今度はマスターズ選手達もいて現役選手の少ない時間帯、遠慮なくトラックに入ることが出来、いつもと変わらないアップメニューをこなすことが出来ました。
合流した先輩OBもアップの終わる頃にはスタンドでの観戦のため「頑張れ」と告げ離れ、私はメインスタジアムのコール場所近くへ早めに移動してモンスターを飲みながら「どんなレースになるかな」などと考えながら気を落ち着かせました。

最初のコールを行い、選手ゲート奥の控え場所の椅子に腰を下ろしました。
さすがに何時ものマスターズ大会とは違います。対応がきめ細やかで堅調であり、ゆとりも感じました(普段のマスターズが駄目という意味ではありません)

いよいよマスターズ種目の開始時間が近づいてきます。スタジアム内フィールドの外周を皆で歩き、100mスタート地点、控え場所の椅子に各組毎に再度腰を下ろしました。

目の前にはいつもテレビで観ていた100mスタート地点、背面の“ヤマザキ”の大きな看板。
「日本選手権に来た」という実感が一番湧いた瞬間です。

「一緒に走るのはM50からM60迄の全国から選ばれた選手達。なんて光栄なんだろう」
「順位はどうでもいい。最高の走りをしたい」
スタートを待つ間、そんな事を考えながら今までにない気持ちの高揚を感じていました。

日本選手権マスターズ100mは若い世代の組からスタートしていきます。1組に数クラスが混走するためマスターズ男子が始まると私達の組もあっという間にスタートの時が来ました。
前の組のスタートを、あの大きなヤマザキの看板の裏でストレッチをしながら待ちます。
この時は緊張の中、色々な感情が渦巻いていましたが、最後は「この機会を与えてくれたことに感謝、応援してくれる皆へ感謝、そして走りを楽しむ」
そう思いながら集中は高まっていきました。

時は来ました。
二週間前にコーチにご指導頂いた位置へスターティングブロックをセットし、一度軽くスタートのチェックの後、スタートライン後ろに並びヤンマースタジアム長居の全景を見ました。
選手としてこの場所に立てた事に心から誇りを感じました。

場内アナウンスが選手一人一人をコールして行きます。マスターズデビュー以来初めて私の名前をアナウンスでコールされ、右手を挙げました。

On your mark…
ブロックに着き深呼吸をしました。
Set…

切れ良くスタートを切れたと思います。
大会でよく一緒になりいつも敗れる東京マスターズのMさんが左隣のレーンにおり、スタートは僅かに先行していました。
身体は良く動いていました。

午後の日差しを眩しく感じながらゴールラインに近づくな中、隣のMさんが先行していきます。

後半、出力をせずピッチを上げて減速を抑える事をレース前は考えていたのですが、意に反して逆の事をしてしまい脚が流れバランスを崩しながらのゴールになってしまいました。

タイム12“20 (+1.7)

ゴール前のミスはあったものの、良い追風も手伝ってマスターズベストを更新出来ました。
場内の電光掲示板には「SB」と表示され、アナウンスも着順、名前、タイムに「シーズンベスト」まで言って頂きました。

夢のような時間は終わりました。

一緒に走った皆さんも安堵している様子。
私だけではない、恐らく誰もが凄い緊張やプレッシャーを感じながら今日の日を迎えたに違いない、そう思うと世代関係なく同士であると思えました。
競技後はマスターズメンバーで集合写真を撮りヤンマースタジアム長居を後にしました。

陸上競技を志すものとって、日本選手権は国内最高峰の場であり特別であると昔から思ってきました。
30何年ぶりに短距離の練習を始め、マスターズ陸上に出場し現代の陸上の事を知ってくると、尚更に日本選手権の重さを感じるようになりました。

学生時代はそんな夢を見るようなレベルの選手ではなかったですが、この機会をいただいた事で大会の壮大感、緊迫感、空気感を肌で感じることが出来ました。
このような機会を与えて下さった日本マスターズ連合には本当に感謝しかないと思います。
私の生涯の宝になったことは言うまでもありません。

解散後に観戦に招待していた息子夫婦と焼肉を食べ、ビールも久しぶりに飲みました。格別でした。
息子も「良いもの観れた」と何かを感じてくれたようです。

帰りの新幹線の中で、この二日間のことを思い返しながら、気持ちそのままツイートを入れました。

「夢の時間は終わりました。
マスターズ界トップレベルの皆さんと、同じ時間を共有出来た事。
また、この舞台で自己ベストを出せた事。
オープン種目とは言え、国内トップの現役アスリートの皆さんと同じ長居を走らせて頂いた事。
幸せな時間を有難うございました。
このカードはメダルと一緒です。」

「少し休んだら、また夏と秋の大会でマスターズベストを目指して頑張ろう」と思いながら、のぞみ号の車窓から夜の景色を眺めていました。


自分の記憶を文字にしておきたくて、クリエイターでもないのに思い出話しを長々と書いてしまいました。
読んで下さった方、有難うございます。






















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