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マスターズ陸上2年目…少し飛躍した55歳(前半)

2021年1月、前年11月のマスターズ陸上初レースでの怪我は順調に回復して冬季の練習を暮れから開始した。

先ずは怪我をしずらい身体をつくること。それに怪我をしない走り方も考えていかなければと初戦を反省したが、初レースを走り切り、予想以上のタイムも残せたことでモチベーションは更に上がったと思う。

この頃はまだまだ試行錯誤、いや、その辺は今でも大して変わらないが、YouTubeの動画を参考に練習方法を試しては現代陸上のキーワード「反発」を意識して、速いスプリンターの大きな接地音を真似してバンバン叩いて走っていた。

私レベルの走りで、大きい接地音が出たからといって乗れているかと言えばそうでもない。下ろし急いだ支持脚が前寄り接地になり、重心は乗らず前方への推進力は弱まる。
マスターズ陸上出場に向けた練習を行ってきた2年近くの間に、それが癖の一つになっていた。

2年目は少し意識を変えて行った。
一番は一歩一歩、支持脚に重心を積極的に乗せて、特にお尻、中臀筋付近で受け止める。そして短時間で地面を離れる。叩かずに「乗る」のである。これを意識して練習を行うようにした。

短距離走における接地の瞬間は、脚首や膝関節を固めろと言われるが、これも意識したことで逆に膝や腿と、腕の力みまで知らず知らずのうちに産み出していた。
これは春先に高校陸上部時代の恩師に走りを見て頂いた時に即ご指摘を頂いた。
自分では出来てるつもりでも、実際にはそうではないことはよくある。
より良くするために優秀な指導者に見てもらうことも大事なことだと実感した。
全速で走る上で身体を上手くコントロールすることはとても難しい事で、正に技術なのだ。

マスターズ陸上2年目はシーズンに入ってもコロナ禍真っ最中であった。
春の大会はほぼ中止で、暖かくなるゴールデンウィークも一人公園の坂や階段を走り回っていた。競技場ではマーカーやミニハードルを使った練習を繰り返して走りの基礎を磨いた。

ただ、前年と比べ変化が大きかったのが体重で、64kgから夏前には67kg程まで増えていた。
理由は筋トレの強度と量を増やし、リカバリーを考え食事量も増やしたことで筋肉量が増えた為、多分…
高校時から40年近く、63kg前後で大きな変動なくこれまで来たので、生涯最重量の日々ではあったのだが、太ったわけではなかったので重い感覚はなかった。

接地からの反発と、それを受け止める身体。大昔の現役時代には考えもしなかったが、反発を受け止めながら前に進んでいく感覚は少しずつ感じる事が出来るようになってきた。
過去に何度もハムストリングスを肉離れして走る事さえ怖かった頃からすれば「大丈夫だ」と自信を持てるようになって来たのである。
55歳という年齢は「お爺ちゃんになる手前」の感覚であったので、そんな歳でも身体が成長する事が出来るのだなと思えたのであった。

ようやく決まった2年目のマスターズ初戦は7月の東京マスターズ選手権であった。
八王子市にある上柚木競技場。既に真夏の暑さの中、ウォームアップは少なめにして体力を温存したのだが「暑い…はぁ〜」と溜め息が出た。

スタートリストを確認すると昨年のマスターズ初レースで同組を走らせて頂いた、格好良いあの劇速の選手が同組であった。
当然にモチベーションと緊張は最高潮となったが、マスターズの2試合目、M 55では初レースである。
勝敗よりも「これまでの成果を感じる事が出来るか」が一番大事なところだと思っていた。
スタート地点にコールへ行き、コース外で腰を下ろして、炎天下の中で自分の出番を待った。

いよいよ私の組が近づき、腰を上げると立ち眩みがする始末であったが、スタートライン後方に並ぶと嫌な緊張はなくなった。
私なりに満足した練習が出来てきたと感じていた事と、怪我への不安が減少した事で「楽しむ」モードになれた気がした。

マスターズ2試合目とは言え、約9ヶ月ぶりの本番レース。ピストル音と共にダッシュするのも前年11月の初レース以来であった。

私はスタートがあまり好きではなく、学生時代からスタートに重きを置かないところがあった。
故にスタートの緊張感が薄かったとも言える。
先輩OB方からは「やる気のないスタートだな」と良く言われるのだが、「フライングせず出れれば良い」と思っていたので、この日はその気持ちがちょっと復活した感覚であった。

2回目の100mレース、初レースとは違う感覚で自らの力を出せたと感じた。

結果 1着 12“39

「おっ、去年より速い」と嬉しくはあったのだが思い返せば後半は減速しまいと、後ろ方向に蹴り続けた。「脚が流れる」という状況をゴールまで引きずり「こんな走りをしていたら、また怪我をする」と少し自己嫌悪になってしまった。

この頃は一次二次の加速区間、トップスピード区間、減速区間といった走り方を考えると言うか、そもそもそういう事に対策を取った練習などしておらず、スタートを楽に出る意識以外は「全てダッシュ」だったのである。

とは言え、マスターズ2年目のシーズン初戦は予想もしていなかったM55・100m  1等賞を頂くことが出来た。
この結果には一緒に参戦していた先輩OBや、高校陸上部時代の恩師も驚きを隠せない様子で、大いに喜んでくれた。

コロナ禍のマスターズ2年目、シーズン前半はこのレースの参加だけに終わったが、まだまだ改善点や強化すべきところが多く「伸びしろはあるぞ」
と秋に向かってモチベーションは上がったのだった。







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