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マスターズ陸上2年目…少し飛躍した55歳(後半)

マスターズ陸上2年目の2021年8月、前月の東京マスターズ選手権での結果は、更にモチベーションを上げる事となった。
秋の大会出場と、更なるシーズンベスト更新を目指して、暑いお盆休みもよく走ったと思う。

この頃はコロナβ株だったか、全国的にコロナが猛威を奮っている時だった。
お盆休み前に職場の一人が疾患し、その後二人がお盆休み明けに続いて疾患した。
コロナ禍と言ってもちょっと人ごとのような感覚だったのだが、8月末に自らが疾患してしまった。
3日間程で高熱は引いたが、倦怠感と味覚嗅覚障害は暫く続いた。

10日間の自宅療養で外出許可をもらい、社会復帰したが正に病み上がりで、何とも身体に力が入らない。
療養中にこっそり腹筋やスクワットをやったりしていたのだが、10日間ベッドで横になっている時間が殆どでは体力は明らかに奪われ、味と匂いも分からなければ食が進むはずもなく、体重は3kg近く落ちた。

コロナ療養前から出場を決めていた一般の大会は療養明けから2週間もなかったが、短期間でも身体を慣らして出場する事にした。
残る試合は3つ、2、3週おきにやってくる、今思えばちょっとハードな秋であった。

学生時代以来の一般の大会、試合会場は職場近くで、普段から練習で走りに行っている競技場であった。
やはり試合となると普段とは違う場所のような雰囲気になる。ましてやマスターズ陸上とは違い全世代が出場しており、中高生の男女も同じ試合を走るのだから妙なものである。
「この子達の眼に自分はどのように映るのだろうか」と思いながら、ちょっと恥ずかしい気持ちでウォームアップを行なっていたのを憶えている。

まだまだ病み上がり感が強かったので、短い距離を軽く数本流し「取り敢えず走れる」とは思ったのだが…
いざ本番、スタートをした瞬間
「???!!!」
全く脚が前に出てこない。
スタート直後から愕然として何もすることが出来ずに100mが終わってしまった。
タイムは13秒台だったと思う。恐らく陸上競技を始めて以来、生涯ワーストタイムであった。
コロナと10日間の療養は、思いのほか走る事への爪痕を残していった。

それまで頑張って来た事が吹き飛んでしまったような感じではあったが、まだマスターズの試合は2つ残っていた。
陸上競技には付け焼き刃は通用しない。
コロナ療養明けの感覚は短期間で戻せるものとは思えなかったが、それでも来シーズンへ繋げる意味で、このまま終わらせる気にはなれなかった。

身体への刺激入れに、坂ダッシュと階段駆け上がりを、秋の訪れを感じながら深夜の公園の坂と階段を駆け回った。
私にとっては不変の基本練習である。
「こんな時こそ基本に立ち帰える」である。

9月下旬の東日本マスターズ選手権の100mは逆風が強めだったが12“8台で少し上向いた。

そして2021年も最終戦、10月の東京マスターズ記録会。
まだまだ身体は戻ったとは言えなかったが、高校陸上部時代の恩師と先輩OBが応援に駆けつけてくれた。
状態からみても少々無謀な気はしたが、走りの幅を広げる事に繋がるのではと思い、この試合でマスターズ陸上、初の200mにもエントリーした。

先ずは100m、この時はウォームアップ中に脹ら脛を攣ってしまい、急遽、恩師がマッサージを施してくれた。
ちょっと恥ずかしいのと、申し訳ない気持ちではあったが、とても有難いことであった。
お陰で100mを攣らずに走り切る事が出来た。

100m結果 12“59

気象条件はまずまずだったので「昨年の初レースよりまだ遅いじゃん」と微妙な気分であったのだが、M55全体で3位の記録であった。

1時間位の待ち時間で200mのコールが始まったと思う。エントリー数は100mに比べれば半数位に減っていた。
「同じ短距離でも200となると嫌えんするだな」と盛大感は乏しかったが、同組には100mクラス1位2位の二人、一人は2年上のマスターズ界のレジェンドと言える選手である。
高校時代から同じ神奈川県、地区も一緒の強豪校の選手で、全国にも行った世代のヒーローであった。

その選手と同学年で、どこかライバル心を持っていた先輩OBと、高校陸上部時代の恩師も応援に来てくれていたのもあり、諦めずに走り切ろうと思ったのだった。

マスターズ陸上初めての200mmスタート、100mのUPで脹ら脛が攣った事もあり、「力まず身体を動かして行こう」と考えながらスターティングブロックに付いた。

私は100m上位ニ選手のイン側のレーン。
スタートから数歩、顔を上げると視界には二人がコーナーを回って行く姿が眼に映った。
その二人を私が追走して行く時は、何とも言いようがない楽しさを感じてしまった。

マスターズ陸上では全国トップレベルの二人、ましてや一人はあのレジェンドである。
ワクワクする光景の中に私が一緒にトラックで競っていた。
「この時がずっと続いて欲しい」と思えるような一瞬であったのである。

直線に入って二人に若干先行されているが、近差でせっているのは分かった。
130m位を過ぎると段々と蹴った支持脚が戻らなくなってきた。
150mを過ぎる頃には膝も前に出て来ない。
「ここで引いたら応援に来てくれている恩師と先輩OBに顔向け出来ないぞ」
「最後まで諦めるな」
心の中でリアルに自らに言い続けていたのを憶えている。
とにかく推進力を出そうと肘を後方に大きく振り続けた。
正に「全力」とはこう言う事である。

200m結果 25“59

レジェンドには僅か4/100秒、先着して組2位となった。
「出し切った…」がゴール後の心の声。
後で先輩OBに伺うと、200mは手に汗握るデットヒートだったと心底喜んでくれた。

シーズン最終戦として申し分ない、陸上競技の楽しさが全て詰まったような一日となった。

自分が日々努力してきたことを発揮し、同世代の選手と共に試し競い合える、マスターズ陸上の素晴らしさを知る2年目となったのである。

いよいよマスターズ陸上3年目は、想像もしていなかった夢のような出来事が起きていきます。




















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