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あと2か月程で58歳になるおじさん…でも気持ちはスプリンターである

私は少し普通のおじさんと違うところがある。
54歳の時からマスターズ陸上に参加しており、フルタイム、いや激務と言ってもいい仕事をしながら日々時間を見つけてはトレーニングをして春から秋のシーズンの間は色んな競技場で陸上競技のレースに出ている。
陸上競技と言っても色々あるが、私の種目は短距離…主に100mと200mである。
恐らく世のおじさん達が「走る」と言ったら大抵の人はマラソン、ジョギングを想像すると思う。
私は良い歳して「短距離」である。
マスターズ陸上もこの春から5シーズン目になる。なんとなく節目の年になる気がして、今までの事を書き記したくなったので書くことにした。

高校時代は陸上部に所属し短距離種目を行っていたが、3年卒業と同時に陸上を引退してしまい、何かやり残した気持ちがずっとあったのである。
多分25年振り位だったのではと思うが2016年6月に行われた高校陸上部のOB会を機に、OB3人でその秋頃からマスターズ陸上の大会出場を目指しトレーニングを開始した。引退後30年以上も時は経過しており、若い頃にはテニスに勤しんでいたが、相手がいないと出来ない事が面倒になり一人でも出来る自転車ロードを12年程、少し重なってマラソンを3年と、元々得意ではない有酸素運動系を40歳前頃から趣味としてきた。「やっぱり歳考えれば有酸素系だな」と自分を納得させていたが、突き詰めて練習を行っていくと市民レースやマラソン大会出場と、良いのか悪いのか本気モードでのめり込みがちになる私としては、有酸素系は自分の舞台ではないなと感じていた。
子供の頃から一番得意な駆けっこで、高校時の不完全燃焼を払拭したい思いで始めたわけだが、びっくりするほど瞬発系の筋肉は無くなっており、全力で走ってもフワフワとして前に進んでいる感覚はないし肉離れまで起こす始末である。
最終的にはマスターズ陸上の初レースまでに5回位ハムストリングスの肉離れをしたと思う。
学生の頃は肉離れどころか筋肉系の怪我などしたことがなかったこともあり、「やっぱりこんな歳で短距離種目など無理なのか?」と思いながらも2017年にマスターズ陸上競技連盟に登録し5月開催の記録会に初エントリーした。当時の練習は一体何をしていたのか記憶にないほど漠然と行っていて、結局記録会の2週間程前に練習で3度目の肉離れを起こし大会を棄権した。
一緒にトレーニングを開始した高校陸上部OBの先輩は、この大会でマスターズデビューを果たしたのだった。

その時は悔しい気持ちの反面、続ける気力をなくしてしまった。怪我ばかりする自分に嫌気をさし「いい歳して短距離などやるものではないんだ」「仕事が忙しく過ぎて練習する時間がない」
お恥ずかしいが完全に白旗モードになった。
それから約2年が経ち、やるべき事をやらずに自分に言い訳して現実から逃げているだけだということは分かっていた。「やっぱりトラックを思い通りに全力で走りたい。」「同じ世代の人達もあんなに走れているし、もっと歳上の人達もだ」
2019年春までロードバイクが主な運動に戻り「走る」という点では身体は鈍りきってしまったが、「もう一度やり直してみよう」と決心し、3ヶ月程はジョグを続けて、単純に走れる身体へと慣らしていった。夏頃からスプリントトレーニング的なものをOB先輩と行ったりして徐々に身体が短距離を走れる身体になっていった。

その頃、元オリンピアンの朝原氏のコラムを読んだことがある。朝原氏も現役引退後にマスターズ陸上への誘いがあり、10年位まともにトレーニングはしておらず、開始早々に何度も肉離れを起こしたそうだ。朝原氏の考えと言っていた気はするが、若い時の筋肉は細くても強くバネがあり速く走ることが出来たが、加齢により若い頃と同じ筋肉量では身体がついてこない。そのためウェイトトレーニングで筋肉量を増やす必要性を感じ実行したそうだ。

それまで短距離走=走る練習が基本で、現代の陸上競技の考え方なども全く知らなかった私は、ウェイトやいわゆる筋トレは筋肉が付いて体重が増し脚の速さに繋がらないなどと勝手に思っていた。この朝原氏のコラムを読み、また2年近く前に肉離れで初レースとなるはずだったマスターズ陸上の記録会を棄権した時、高校陸上部の恩師から「まず身体をつくらないと怪我ばかりするぞ」と助言を頂いた事を思い出した。それからは走る事より優先的に身体造りから進めようと考えるようになった。

昔とは陸上競技の練習方法や考え方は随分と変わっており、全く考えもしなかったポイントが現代の陸上競技にはある。もはや走る事も技術として捉えられている事が分かってきた。
「ドリル?」「反発?」「乗込み?」「前さばき?」「蹴らない?」
走る上で昔は聞いたことないワードばかりである。「走るのだから地面蹴って進むに決まってるじゃないか」と誰でも思うだろうが、現代の短距離競技では蹴らない、と言うより蹴る意識を棄てると言った方がいいか。左右の脚を素早く切り替えていくのに、蹴っていては脚は後方に取り残される。膝関節や脚首の伸展は抑えて股関節の伸展と腱の伸長反射で前方へ弾ませる。より大きな反発力を得るため接地する脚に軸をしっかり乗せていく。始めた頃は「そんなこと昔は聞いたことないぞ」の連続だった気がする。
昔は前腿は高く挙げ後ろ脚は強く蹴る。接地時間とか切り替え動作・タイミングなど考える余地などなかったのである。

そのような新しい陸上競技への興味は日に日に増して、平日でも家での筋トレを週に何日か行ったり、走る練習も深夜に道路や公園、階段を走り、休日は競技場を走るようになり2019年は過ぎていった。

2020年正月、一人年始の初練習で自らの不注意から肉離れをまた起こしたが、この頃には起きた事を反省し次に繋げるメンタルになっていたと思う。身体造りをもっと強化しようと、トータル60kgのダンベルも購入した。
しかし2020年はコロナ元年。
春のシーズンイン後も大会は次から次へと中止となった。いささか寂しくはあったが練習する期間が増えたと前向きに捉えた。暑い季節も競技場に出向きお盆休みは合宿気分でトレーニングを地道に続けた。いい歳しても短パンの日焼けの跡が誇らしくも思えたのだった。
ようやく11月の東京マスターズ記録会開催が決まり、この大会がマスターズ陸上競技デビューであり、2020年最初で最後、1シーズンにただ一度の公認レース出場であった。
私はその時54歳、マスターズのクラスはM50(50歳から54歳)であり、次年度は55歳になるのでM50クラスで走ったのも最初で最後である。
60mと100mにエントリーし今思えば60mに出たのはこのレースが今のところ最初で最後だ。
何せ30年以上振りの本物の大会である。ましてやマスターズは初めてで勝手分からず、緊張のしまくりであったが2つ上の先輩OBも一緒にエントリーしていたのが心強かった。
コロナ禍一年目で、会場入りには体調管理シートを提出し、手指の消毒をしてゲートを潜った。
最初の60m、スタートのピストルすら30年以上振りである。現代は「on your mark   set」昔は「位置について 用意」だったので、前でスタートする各組を眺めていてもシックリ来ない。より緊張は高まった気がする。
同組を走った一人の選手の身体を見た時は驚嘆した。引き締まった身体、脚はスプリンター然としており血管が浮き出ていた。自分との身体の違いに「こんな人と走るのか?」と思わず口に出そうになってしまった。その選手が周りの人達に挨拶したり声を掛けられていたので、常連の速い選手である事はすぐに察しはついた。
M50、最初で最後の60mは思いっきり力んだ。それに尽きるが、タイムは7“9台だったと思う。トップはやはり前述した選手だったが、よせば良いのに全力で追ってしまった。
ここで最悪な事が起きた。短い60mの終盤にハムストリングスを肉離れしてしまったのである。
レース中は無我夢中ではっきり覚えていないが、ゴール後に「やったな」と思う違和感を感じた。
陣取った場所まで「あ〜あ」と溜め息をつきながら戻り、時間が経つにつれジンジンと痛みが増してくる。
一緒に出場した先輩OBと、応援に駆けつけてくれた後輩OBには肉離れした事を何となく言い出せずにいた。「やっとここまで来てそんな事があってたまるか」と現実の事だと受け止めたくなかったのもあり、素直に言ってしまったらOB先輩から「棄権しろ」と言われるのは当然のことだからである。
次の100mまで1時間位の待ち時間だったか、「どうする?走るか?棄権するか?」「走ったら怪我が長期化するかも知れない」「何が起きても最終戦だ」
自問自答を繰り返した。
自らの答えは「走る」であった。
記録などどうでも良いから結果が欲しかった。
筋断裂に至るような大怪我になるかも知れないが、ここで諦めたら2017年に逆戻りである。1年半準備してきて30何年振りに100mを走り切れた。その結果があれば少しでも自分を肯定出来ると思ったのだ。

100mでも60mで負けた格好いい選手が同組だった。しかし周りの選手を気にしている余裕などあるはずもない。走るとは決めたが「レース途中でバチんと筋断裂したらどうしよう」「とにかく力まず出力も抑えて行こう」様々な思いが頭の中を巡っていた。
実際のレースではスタートと同時に痛みが走り「止まるか?」という思いが30m付近まで過っていたが、中盤以降も恐怖感の中で「早くゴール来い」と念じていた。
組3着…しかし気持ちの良いものでは全くなかった。当然である。
そんなこんなでタイムなど出るはずなく、クールダウンも出来ず撤収の準備に入ったが、速報タイムが出ると12“55と出た。風も公認であった。
私達の世代だと100m12秒台で走れればそこそこの速さであると認識していたため、聞いた瞬間とても不思議な気持ちになった。何せ練習では自らストップウォッチを握ってセルフでタイムを偶に測る程度しかしておらず、良い状態でも13秒を切れれば今は良いだろうと思っていたし、ましてや怪我した直後の脚で失意のドン底での走りである。
正に結果オーライではあったが、それから3週間は怪我のリカバリー、2週間はジョグさえも出来なかった事は言うまでもない。

マスターズ初試合は少しほろ苦いが、次年度に繋がる貴重な経験となった。
「やってきた事は間違えではなかった」「またあの格好良い選手と競えるように準備していこう」と思えた、とても良いマスターズ陸上デビュー戦だったのである。

書いてたらすごい長文になってしまった😓
またマスターズ2年目以降も書き記すかな。


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