デカルトに帰る

今後の人生のテーマが見えてきました。

哲学に初めて触れたのは、高校3年の倫理でした。当時はデカルト、パスカル、ルソーというフランス出身の方々に感銘を受けるところ大きく、「氏の考えをもっと学びたい」という思いから哲学科へと進みました(大学でフランス語を選んだのもこれが理由です)。

大学では『方法序説』『省察』(ともにデカルト)をフランス語で読む機会に恵まれ、研究室で辞書をひきながらそれらを読む時間は私にとって最も楽しい時間となりました。
しかし卒業論文では、デカルトを研究テーマとしませんでした。当時の事情を顧みれば妥当な選択でしたし、結果として卒業できたので良かったとは思います。でも、です。「われ思う、ゆえにわれ在り」に感嘆し、「神の存在証明」に感服し、『方法序説』『省察』を夢中になって読み解こうとした私が、デカルトを学ぶことをなぜやめてしまったのか、と今さらながらに思うのです。あとこれは前にも書いたことですが、『省察』の原典(ラテン語)を読まずにいるのは哲学科出身としてどうなのかな……とも。

前置きが長くなりました。今後の人生のテーマを、以下の二つとします。

『方法序説』の原典を通読する(フランス語)
『省察』の原典を通読する(ラテン語)

卒論指導してくださった亡き恩師は、近世哲学などを専門としていました。別の先生から伝え聞いたところでは、この時代を研究する人が減っていることを危惧していたそうです。
とはいえ出来の悪い学生だった私が、今後の人生で博士を取ったり教鞭を執ったりできるようになるとは思えません。しかしかつて哲学科で学んだ者として、私なりに納得ゆくまでデカルトを研究したいのです(修士を取るか否かはこのさい置いておくとして)。そして可能であれば、氏の哲学の魅力を、何らかの形で伝えられるようになりたいです。

何年かかるか想像できませんが、やり遂げます。