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ミステリ小説と植物。小説を組み立てるように植物をみてはいけないと思ったさいきん。

タイトルが紛らわしいのですが、ミステリ小説に出てくる植物の紹介ではありません。


以前、ミステリ小説を趣味の範囲で数本書いたことがあります。
内田康夫ミステリ賞ベスト8が思い出です。

ミステリの組み立ては、(わたしにとっては)ほかのジャンルの小説を趣味で書くのとはまったく別の組み立て方で、事件のトリックとオチ、そこまでの伏線をひいていく感じです。(頭の中身がいろいろとっ散らかったら小説を書いてしまうと楽になります。おすすめ。)

わたしの植物の眺め方はそのときの癖が残っているのかなぁと思いました。じぶんがいわゆる擬人的(というか、じぶんの都合でみる)にみるから、擬人的ではなく、専門家の観方にあこがれと尊敬があります。

わたしの今の癖を赦していると、因果集めが安易になるので、頭の使い方、現象の観方を変えねばならないなぁと最近そう思っています。


わたしは「家庭菜園」とは別に、ある植物系の図鑑と出合って、その図鑑の魅力は、内容はもちろん超一流なのですが、そのほかの面でもたいへんなきらめきをもっていると今もずっと信じて疑っていません。
専門家用なのだと思いますが、学習者に姿勢で教えるいまどきめずらしい威厳を感じまして、とても惹かれました。
その図鑑に励まされて(この図鑑を使いこなせるように成長したいという)、そのように生活を組んで植物を眺めるようになって一年数か月くらいになるのかなぁ。

「依存先(こころのよりどころ、おきどころ)をひとつにしない」が人間の成熟の条件と思っていますから、さまざまな図鑑と出合う可能性を閉じていませんが、好きな図鑑はずっと好きな図鑑です。

我が家の葉ゴボウの花。