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「汗かけ恥かけ文をかけ。」を読んで

渡辺道治著「汗かけ恥かけ文をかけ。」を読みました。今の自分にあまりにも刺さったので、ど平日の夜中だけど、いてもたってもいられず感想を書き出すことにします。

教師の力量形成の上で、いわゆる修業時代というものが誰しもあります。「向山の教師修行十年」なんかは教育者の名著です。当然、道治先生にもそうしたしゃにむにな時代があったわけです。

量質転化の法則

量質転化の法則とは、量が質に転化していく、量をこなすことが質の向上につながる、そういう意味で私は捉えています。これは教師だけでなく、多くのことに言えることのはずです。私自身、サッカーを経験していますが、やはり上達への道に圧倒的な練習量というのは不可欠です。
道治先生自身からもこの「量質転化の法則」について伺ったこともあるので、そこについて私も信じていました。
しかし、本書では見出しに「量質転化の嘘」とあります。まずそこが衝撃でした。
中を見ると、このようなことが書いてありました。(以下、要旨)

ただの量ではいけない。
量にも「作業」と「稽古」が存在し、質に転化するのは「稽古」の量をこなした時だ。

ここは誰しも思い当たる節があります。
教師であれば、書道教室に通いながらも全く字が上達しない児童なんてのもざらに見るものです。

我々が日常で思考なしにこなしているものは作業であり、日常のほとんどが作業です。作業も効率化しないかというとそんなこともないですが、伸び率は「稽古」のそれとは全く異なるはずです。

ここを勘違いしちゃいけない。
量は安心材料として強く働きます。

「このくらいやったから大丈夫だ」
「こんなにやったのだから成果もあるはず」

そうして結果を見て愕然するという経験は誰しもあるのではないでしょうか。

作業はあくまで作業なのです。
量の「質」を担保するからこそ、質が向上していく。量と質とは全く別物なのではなく、表裏一体というか、量の一部が質であり、質の一部が量なのだと思います。

たくさんやる→質が下がるので質を上がる→量が下がるので量を上げる→質が…

あくまで質を担保しつつ量を上げていくこと。それが量質転化の法則なのでしょう。
本書の中でも、1年目に100号、2年目に200号と量を増やしていますが、決して質は下げておらず、むしろ3年目には、1トピックで2枚分書き上げるという質的部分も同時に課題としています。
量とか、質とか分けた話ではなく、どっちも担保して研鑽していくことが、「量質転化の法則」なのだと思います。

インプットとアウトプット

インがあるからアウトがある。アウトがあるからインがある。鶏が先か卵が先かみたいな話ですが、全くもって同意です。

私も学級通信を年間280号ほど出しますが、学級通信を日常的に書くと常にアウトプット前提の生活になります。学校での日常も、「あ、今の輝きはすばらしいな。これは明日の通信に載せよう」と言った具合に出す前提だからこそ、インのアンテナが高くなります。
アウトプットの副次的効果として、インプットが強化されるのです。
出涸らしはどれだけ絞っても、濃茶にはなりえません。
自分のアウトプットが拙いというのは、インプットが拙いからに他ならないでしょう。


道治先生はここに相当な労力をかけたと言います。通信500枚や1000枚などという圧倒的数値を聞かされると意味不明な感じもしますが、これは天才的な才能だけで片付けられる話などではなく(もちろんそうした断片も否定できませんが)、あくまでそこに至るまでの「相当な負荷」のもとによる稽古的量があったからなのだと気付かされます。
圧倒的な実践と自分にはかなりの距離があります。しかし、その間には確実に人間らしい泥に塗れた歩みが存在するのだと、心が奮い立つ思いでした。

スタンスを変える

5年目に道治先生は、圧倒的量の目標からスタンスが変わります。この年に「返ってくる数を増やすこと」を目標にし始めるのです。

「質」の性質が全く異なります。
そもそも「相手の反応」という時点で未知数なわけですから、ここを目標にするのはかなりのハードルといえます。

この年に発行した号数は188号。
いかに1号の質を上げたかがわかります。
ここにBBQ型学級経営の真髄があると思いました。

私もBBQ型に憧れて、1年ほど実践をしてみました。
ある程度の自信もありました。なにしろ280号ほど出してたわけですから。
しかし、思ったほど反響は少なく、なんの違いがあるのだろうと思いました。

そこがやはり質である気がします。
相手にどう届くかまで設計して書く。
私は今まで子どもに響くことしか考えていなかったので、大きな反響も少なかったのかもしれません。


とはいえ、その中でもありがたいことに感想を寄せてくださる家庭もありました。その通信を読み返すとある共通点があります。
そこには「圧倒的な子どもの事実」があったのです。

・子どもが涙して喜び合った逆上がり達成
・1ヶ月近く練習し続けた鉄棒技の達成(前方支持回転等)
・掃除から見つけ出した報恩感謝の念についての日記
などです。

圧倒的な子どもの成長という事実に大きな反響がありました。
それが道治先生のいう「期待値以上」というところだったのだと思います。
逆にいうとそれ以外はあまり響かなかった。

つまり、「返ってくる数を増やすこと」を目標にする上で、学級経営力の向上と授業力の向上は切っては切れない存在なのです。
そう言った意味での号数の現象なのではないかと私は思っています。力をかけるところが「通信を書くこと」から「響く通信を書くこと」になることによって、通信を書くまでの過程により力を入れた。だからこその号数の減少。

私の今の目標はここだと思いました。
BBQ型をやってみたけれども上手くいかないという人はきっと似たようなところじゃないかなと思うのです。
このスタンスの転換こそが、もうワンステップ上に進むために非常に重要だと感じました。

条件付きでない愛の存在

「いやぁ今日も朝から元気で嬉しいよ。」
「今日も全員揃ったか。先生はクラスに全員揃うだけで何か嬉しいんだよね。」

道治先生はこう言いますが、この簡単な言葉の難しさは経験しているほど痛感するのではないでしょうか。たまにではありません。日常的にこうした言葉を我々教師が発せているのかと言う点の難しさについてです。

ここについても最近近しい体験がありました。
対応に困っていたAくんです。(感想とは外れますが少し書きます)

Aくんはコミュニケーションが少し得意でない、ちょっぴりヤンチャで言葉がキツい、運動の得意な男の子です。どこのクラスにもいるようなタイプではないでしょうか。

そんなAくんにどうしたら教師の想いが伝わるか、考えていましたし、実際に色々試してみましたが、全く響きませんでした。
そんなAくんが大きく変わったできごとがありました。
それは、Aくんの本音を聞けた時です。

生活アンケートをとった後にAくんの名前がよく上がったので個別に事情を聞いた時です。

「おれ、実はがんばりたいねん。けど、〇〇に邪魔される時もあって上手くいかへん。」

「頑張りたい」という彼の本音をそこで初めて聞きました。他責的な言い方が気になりはしましたが、彼の本音が聞けたことが本当に嬉しくて、そしてそれが頑張りたい思いだったことがすごく嬉しくて、その自分の嬉しさを彼にそのまま伝えました。

「君がそう思ってくれているって先生知らなかったよ。そうだな、頑張りたい気持ちはあるよな。よしわかった。絶対そこに協力するよ!」
そんなことを言いました。

すると、彼の私への態度が一変し始めたのです。
そこから粘れる時間が増えました。諦めないことが増えました。明らかに保健室に行くことが減りました。

温かい言葉というのは、これほどまでに「効くのか」と思ったのです。

話を戻します。

道治先生はそれを日常的に、常にやっている。
だからこそ、子どもたちにも土台が出来上がっているし、話が通りやすいのだと思いました。道治先生の語りが上手いのは言うまでもないですが、そこに対してのアプローチはもっと土台のところから行われているのです。
それこそが無条件の愛。見返りを求めないプレゼント。
こうした温かさこそが、すべての基礎になってくるのだと読みながら、そうだなぁと頷かずにはいられませんでした。

最後に

やはり、この本は道治先生も「教師の力量形成」についての本、とおっしゃるように、そこの層を狙っていることが明確でした。

私の層。つまり初任者を抜けた若手教師です。

一定の経験を積んだ人であれば、これらの授業がどれだけの労力をかけたものか具体的にイメージできると思います。
それと同時にどういうステップなのかも明確にイメージできると思います。
もちろん、道治先生の天性のおしゃべり上手による部分も多くありますが、今までの圧倒的な実践の根幹に気づくことができる、その一端を知ることができる良書でした。

教職5年目の自分に、これほどなくやる気に火をつけてもらいました。

教師は4月にある程度の状況がリセットされる特殊性を持った職業です。
3月のリセット直前に、新たなスタートを切る前にこの本を、この経験年数で読めたことに幸運しか感じません。
道治先生ほどとはいきませんが、もうしばし道治先生を見習って修行しようと思います。

気づけばこんなにも(3800字)書いてしまいました。
それほどに自分に響いた本でした。
道治先生素晴らしい本をありがとうございました。

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