労働耐用年数を過ぎたら切り捨てられるのが営利組織。

私は親族の大人たちが嫌いだが、彼らが根っからの悪人だというわけではないのかもしれないと思った。
そもそも学校を卒業したら定年になるまで働くという昭和の社会制度に正当性がなかったのかもしれない。
普通に考えて、18~22歳から60歳まで自分が建てたわけではない会社の利益のために仕事をするなんて、誰がそんな風に生きていたいだろうか。
他人のお金儲けのために日々を、それも何十年も過ごし続けるなんて、まともな判断力のある人ができるわけがない。

一つの組織に飼いならされた挙句年を取ったら切り離される、そんな風に生きた1会社員としての父親はかわいそうだと思う。
しかし、彼はお金こそが権力のもとだと思っている。その割に自分で金儲けをしようと思うような利口さは持ち合わせていなかった。結果として組織の中での地位を誇り、出世して昇給してもらうことが彼にとってお金を得るもっともよい方法だった。

そんな生き方して何が幸せなんだろう。


まあ、地位権力と金が好きな人もいるということで、、、
会社勤めだと定年になったら立場を失うわけですが、それに気づかないわけでもないだろうから、多分本人なりに納得してああいう生き方をしたのだと思う。

人が用意したポジションの中で優劣を競っているのは、周りから見るとなかなか滑稽に映る。
しかし大人たちもまた組織の構造の犠牲者、洗脳された側の人なのかもしれない。そう思うと、個人個人を敵視して憎む必要もないのかもしれない。

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