母親に愛されるための期待に見切りをつける

私は母親が子供のことを心から大切に思っているわけではないことに気がついていた。
長い時間を1つの家で過ごしていれば、些細な態度から相手がどんなメンタリティで生きているか察することができる。

母という人は、「良い母親」と世間の価値観でされているところの「母親らしい振る舞い、行動」をすることに関心を持ってはいた。しかし、母という人自身は、自分より年下の人間や、子供、将来を担う世代の人達に関心は薄い人だった。
母という人は、根本的に自分の楽しみのほうが好きな人だ。

母親の内心を推測すると、「本当は遊んでいたい、美味しいものを食べてアニメやドラマを見ていたら幸せ」だけど、「大人に認められたいから、人に勧められた相手と結婚し、旦那も子どもも特に好きでもないが、自分の子供を生み、世間体がある上突き放す明確な理由もないから子育てをする」といったところだと思われる。

子供に限らず、私の母という人は、自分の周りにいる人の扱いがだいたい適当なんだ。
結局自分が一番大好きってことが行動から透けて見えるような人だった。
自分のために人にやさしくするような一面が白々しい、そんなひとが私の「お母さん」だった。

どんな人間でも「母親」になってしまえば社会に居場所がある、人に認められる、そんな夢を持たないでほしかった。

独身の時に対人関係がうまくいかなかった人が、家族ができたら愛され受け入れられるなんて、そんな甘い話はない。
自己主張が強いだけの人、人と仲良くできない人が嫌がられるのは当然。

お母さんが人のために行動するときは全部結局自分が得をするときだけ。
そんな人に私が子どもとして愛されるわけもないし、たとえ愛情らしい振る舞いをされたところで、「良い母親になるため、そしてがんばってるお母さんとして周りから受け入れられるためのパフォーマンス」に過ぎないことはわかる。

お母さんは、主婦で居続けるために、
「良い母親」らしく振る舞わないといけなかった。
本当はだれにも対して関心がないのに、「母親であり妻である」という立場にすがりつくために、良い親、いい妻らしく振る舞った。そして内心不満とストレスをためて、結局家族に八つ当たりをして家を飛び出していった。

全部本人の独りよがりだ。 あの人はたぶん性格的に子供と暮らすことに向いていない。
自分が子供みたいな性格をしているからだ。



私は、私のことを適当な扱いをする人は好きになれない。ましてや自分の承認のために可愛がられていたなんて、絶対に嫌だ。
私はお母さんの世間体を満足させるために生きてない。
大人の事情は重い。

人を打算的に自分のメリットのために扱うのが大人の一面なら、そんな大人になるのは嫌だ。

打算でつながっていたお母さんとさよならしよう。
もう他人の自己中さに私の時間は割かない。

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