父さんの理想の女の子なんていないんだよ。

夢見てたいなら一生液晶画面でも見てたら良いよ。
人間性で判断されるなら、好かれるでも嫌われるでも納得ができる。しかし、身体的性別でふんわりとした決めつけが行われるのが気持ち悪い。自分が思い描いている「女の人」像を人に貼り付けるのは、相手にとって窮屈だよ。
人に対する解像度が低すぎる。

人の夢に合わせた人間像は、添加物と砂糖と油でできた加工食品みたいなもので、ごまかしの多いものだし、長期的には悪いものだ。

そんな嘘の演技で好かれるよりは、自然体、素材のままで距離を置かれる方が良い。

しかし父について「は?」と思うところは、「(俺が夢見る理想的な)女として振る舞わない女性は、女ではない」という考えがあるところだ。あまりにも人というものを単純化し過ぎではないだろうか。
人格の多様性、なんて気が付かないのか?
しかし父なら「(俺が夢見る理想的な)男として振る舞わない男性は、男ではない」とも言いそうだな。
人間の類型が単純なんだろう。

たぶんあの人の世界には、規格品のような男/女/子供/老人ばかりがある。
人の人格、それぞれの経験などは考慮に入れられることはない。なぜなら世の中は俺/俺以外の人で区切られていて、その重要度は
俺≫≫俺以外の人
だからだ。

すべての言動は、俺の重要性を他者に知らしめるために行われるのだろう。

付き合いたくないな。。


「立派な俺」という虚像を持ち上げてくれる人が好きなんだろう。重い。自分で選んだことの責任を取らないで人になすりつけるところ、それが優しさ(要求する側が人の優しさを当てにするなよと思う。善意は無限ではない)だと思っているところ、周りを見ろと思う。言えば良いのか。

優しさと都合の良さの違いってなんだ。
他者を思うことと自分を蔑ろにすることはきっと違う。

そもそもああいう解像度の低そうな人には中途半端なコミュニケーションをするべきではなかったのかも知れない。
「人として当たり前の社交」が「好意(あいつ俺のこと好きなんじゃない?)」と受け取られるのが、ミスコミュニケーションだ。適当に喋ってるだけなんだけどな。。。
そもそものところ、「人として扱われる」だけで好意になるのか?そうだとしたら大変だろうと思う。どうしようもないけど。

父のことが嫌いだ。
彼の押し付けた理想像にこだわらず生活する。これが大切だ。

やっぱり本当はよくわからない人だった。無理やり仲間感を出すのが無理なんだ。理解者じゃないし。。。

幼い子供は、父母の言うことは絶対的なものだと思って過ごす。しかし現実的には彼らも不完全な人であることを知る。
人対人の関係性においては、苦手な人、合わない考え方とは距離を置くのが良い。
望んでもないのに異質なものに触れて感化されるのは面倒くさいから。
自分から異質さに触れに行く場合を除いてはそういう不快感は減らしていきたい。

お父さんが望む女の人なんてどこにもいないんだよ。人を勝手に特定の型にはめようとすると嫌がられるよ。当たり前だと思うけど。

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