スパイダーマンホームカミングを2022年最近見た

流行りに流されることを今年の目標にしたので。

スパイダーマン ノーウェイホームが話題なのでアマゾンプライムでホームカミングを見た。

私はサム・ライミの123しか見たことがない。他分アメイジングは見たことがない。見たのかもしれないが、記憶はない。

サム・ライミ版も3の記憶がほぼない。今ウィキペディア見てきたけど、やっぱ見てないわこれ。サンドマン記憶にないし。

そのくらい私はスパイダーマンについて、特別な思い入れはない。ご理解頂けたでしょうか。

アベンジャーズも見てたり見てなかったりする。ミーハー。エンドゲームも見てない。そのうちみます! ゆるして!


スパイダーマン1が公開されたのは2002年だ。2002年といえば世紀末も近く、世界の終わりは来なかったけど、マヤの暦ではまだ世紀末を迎えてないので、まだ予言が外れたわけではない……! セーフ……! 来る滅びの日に恐れ慄くがいい……! みたいな雰囲気だった気がする。

まだインターネットの世界は狭く、iMacのでかくて重くてオシャレなクリアボディーのアイツが幅を利かせていた時代だ。

そんな時代にビュンビュン摩天楼を駆けるビジュアルのスパイダーマンは子供心にカッコいい、と印象には残っている。

スパイダーマン2のトレイラームービーをシークバーが貯まるのが遅い回線(その頃はそれが普通の速さ)で見てワクワクしていたのを思い出す。

ただ私は2002年その後、アメリカンコミックヒーローへと傾倒することはなかった。スパイダーマンは普通に面白い映画ではあったが、人生に大きな影響を与えたかというとそうでもない。ベンおじさんの言葉が多少頭に残ったくらいだ。

大いなる力には大いなる責任が伴う。いわゆる貴族の責務、ノブレス・オブリージュ。

イギリスより旅だったアメリカでこの言葉が重要になるのはなんというか一周回ったのかしらね。雑なこと言うと詳しい人から殴られるので、そのあたりは触れません。詳しくもないし。

今回のホームカミングではベンおじさんが出てこないので、この重要な台詞は出てこない。これは大きな変化なんじゃないかしら。そのあたりはアイアンマンで散々やってるしね。

馴染みの店のおじさんが死にそうな目にあったけど、無事でよかったよベンオルタおじさん。

彼が生存したことで、カミングピーターは力に対しての責務をそこまで重く考えない。

トニーおじさんが説教するけど、あんまり聞く耳を持たないピーター。トニーおじさんも人に説教するガラじゃないしね。好き勝手やってきた人が、他人に対して力に対しての責任とかを説くのは、なかなか厳しいものがある。自己嫌悪もする。

しかし、スーツなしでヒーローになれないヤツに、スーツを着る資格はない(うろ覚え、そんなニュアンスだった気がする)というセリフはピーターに響く。

ヒーローとは何なのか。ガレキに埋もれ助けを求めるピーター。正直ここはかなり胸にきた。15の少年が誰かに助けを求めて泣く咽ぶ姿は痛々しい。助けに来てあげろよ社長……。

でもここで己の力を信じて、ヒーローになるべく自力で瓦礫から這い出る姿は、すげぇじゃん。ってなる。かっこいいよピーター。お前カッコいいよ。ヒーローだよ。


補助輪という言葉が劇中でてくる。この言葉はホームカミングをよく表している。

いざとなればアイアンマンが助けてくれる。ピーターの後ろにはアイアンマンが控えている。ピンチになってもだいじょうぶ。という安心感がある。

実際、危険な場面になるとアイアンマンがどこからともなく現れ、ピーターを助けてくれる。保護者だ。

めちゃくちゃ頭が良くて、肉体的にもすごい力を持つピーター。それでも心は15歳の少年でしかない。好きな娘には上手くアプローチできないし、俺スパイダーマンと知り合いだし! と墓穴を掘る。微笑ましいね。

多くの大人たちはピーター目線ではなく、トニー・スターク目線で、この映画を見るだろう。私もそうだ。ピーター少年をはらはら見守る心持ちで画面を見ていた。友達スーパーハッカーすぎるだろと思いながら見ていた。

2002年の時にスパイダーマンを初めて見た時の記憶が蘇ってくる、そしてあらためて昔と今の違いを感じさせてくれた。人はいつか大人になる。でもかつては大人だな……と思ってた人の年齢になっても、全然憧れた人の内面には程遠いんだよね……。外見ばかりが歳を取るばかり。それでも、やせ我慢でも、見た目だけでも取り繕って、子供には夢を見せてあげたい。大人も悪いもんじゃないぜ? と言ってあげたい。頑張れトニー。憧れのアイアンマンであり続けろ。

これは世代交代の物語であり、思春期の少年の物語でもある。しかしピーターはお行儀の良い少年であり、おとなたちからすると、理想の少年過ぎるきらいはある。まぁヒーロームービーなのだからそれはそうなんだろうけどさ。バナージ君みたいなものさ。悲しいという気持ちをなくしたくない! キャプテン!

これをみたティーンの人はピーターを見てどう思うんだろうね。感情移入できるのだろうか。

ただマーヴェル映画といえばストライクど真ん中、そんなこと気にするのは野暮だし気にせず楽しむのが吉でしょう。全方位を気にしては何も語れない。

心優しいピーターが健やかな青年になり、幸せな日々をおくれるようになることを祈るばかり。そして後方保護者面で、「立派になったなピーター……」と穏やかな顔ができれば嬉しい。

見ていて微笑ましい、心あたたまる楽しい映画でした。

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