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15歳の時の自分のために、作り続ける #うにーのつぶやき

以前、nanaを始めたキッカケについて書いた記事で、

<記事内引用>…というのがこれまでずっと語ってきた「nanaを始めたキッカケ」なんだけど、実はこれはアイデアを思いついた理由のひとつに過ぎなくて。振り返ってみると、もっともっとその時の色々な環境やコンプレックスといった内的要因があって、実はこれこそが実際に行動に移せた要因だなぁと、後になって気付きました。次はそのへんまとめていこ。

って書いておきながら全然まとめてなかったのでまとめる。

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世界中の人達とWe are the worldを歌いたい!というワクワクを糧に2011年5月に動き始めて、実際にプロダクトがリリースできたのが2012年8月。初期プロダクトのリリースまではすべてが新鮮でとにかく楽しかった。が、サービスリリース後の1年半は本当に厳しかった。ダウンロード数やアクティブユーザー数は早々に伸びなくなったし、2013年2月には会社の口座残高が2万円になったし、毎月翌月の資金繰りをしてたし、出資について口頭合意まで済んでたけど投資契約巻く寸前で御破算になったこともあった。

nana 初期KPI一例

(上記画像はリリース後1ヶ月間のnanaのKPIシート)

2012年後半から2013年はとにかくずっとそういう状況だった。実際当時は目の前のことに必死でとにかくもがいてたら、気が付けばなんとか山場は乗り越えられてた、みたいな。一旦の資金難を乗り越えられた後「なんで乗り越えられたんだろう」と自分で振り返るタイミングがあったんだけど、自分の中の理由としては2つある。

ひとつはモータースポーツ時代の経験。19歳の時にF1ドライバーになりたくて、モータースポーツの世界に飛び込んで無我夢中でやってきた。でも24歳の時、結局お金を理由に諦めざるを得なかった。あの時はマジで悔しくて悔しくて。もう自分の人生で二度と、お金を理由に何かを諦めることだけはしたくなかった。その意地が支えになってた。

そしてもうひとつ。こっちのほうが大切なんだけど、結局は己のためにnanaというサービスを作っているんだということ。もうちょい言うと、学生時代の、15歳の頃の自分に向けてサービスを作っている。nanaを作ろうと思ったキッカケは前述の通り“We are the world”だし、その先にある世界にワクワクしてるというのも勿論なんだけど、そういう「綺麗なモノ」を取り除いた根幹の軸にあるのは、コンプレックスや無力感や理不尽に対しての反発で、結局は15歳の頃の自分自身を救いたいからやっているんだな、と。

歌を始めたのが中学3年の頃。あの頃、自分には歌しかないと思っていた。ボイトレに通うわけでもなく独学でしかなかったけど、福島英先生の著書(ブレスヴォイストレーニング)を中心に読んでずっと練習してた。上手くなりたいという確かな熱量を持っていた。表現する場がほしくて、でも自分ひとりだと方法がわからなくて軽音楽部にも入ったがいまいち文化が合わず(世代的にもみんなロックが好き、自分はソウルやR&Bが好き、、、なら軽音部に入るなよって話なんだけど)結局歌わず文化祭ギリギリ前でやめた、なんてこともあった。

友達と呼べる人たちはいたけど、なんというか、自分の中ではずっとひとりの感覚だった。小さい頃から嫌なことがあってもニコニコ笑っていれば過ぎ去るだろうとやり過ごす、思っていても言いたいことが言えない人間だった。でも、歌っているときは、表現してるときはちゃんと自分を出せている気がした。言いたいこと言えてる気がしてた。ただそれは自分だけの世界でだった。それを誰かに発信する術を知らなかった。

その頃の自分にもしもnanaがあったら。
スマホで歌うだけで、世界に公開できる。
好きな波長が合う人と繋がれる。
どんな歌声であろうと、どんなサウンドであろうと、世界中には自分の音を認めてくれる人が一人はいるかもしれない。あの時、自分の音楽をもっといろんな人に届ける事ができていたら、もしかしたら別の人生があったかもしれない。

nanaを作った根本的なもの。We are the worldの、そのもっと奥底にあったのは、有り体に言ってしまえば 「自分の歌声を聞いて欲しい、自分の歌を認めて欲しい」という純粋な、しかしある種ドロドロとしたコンプレックスも混ざった欲求。誰かの演奏で歌いたい、セッションもしたい、作品を作り上げたい、自分の表現がしたい、誰かに認めてもらいたい。
それは、あの頃の自分が欲していて解決できなかったこと。ぼくは、あの頃の自分自身のためにnanaというサービスを作り続けている。

もし今も、15の頃のぼくのように音楽に熱量を持ちながらもそれをうまく表現する術を知らない子がどこかにいて、nanaがその子の居場所や救いになっていたら、これほど嬉しいことはない。nanaがそんな存在になっていることを、心の片隅でずっと願い続けている。

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