八術八相の龍記録/邪悪の宿敵

第七並世の和平世なごみせは、夏も真っ盛りの頃を迎えた所であった。十六夜寮の通りの木々から毎年のようにけたたましく聞こえるセミの声を受けながら、野暮用を済ませた一人の学生がちょうど寮に戻ってきた所で徐に声が彼に掛かった。
「お、司龍しりゅうパイセンだ」
不躾な声の方向を向いてから、司龍が不機嫌そうに声を発した。
「お前何なんだ毎回その呼び方」
「パイセンそれ毎回言いますよね」
「はっ倒すぞクソガキ」
「ウィッスすんませーん」
「なんだこの太陽バカ、夏の暑さで元々壊れてたもんが元に戻ったかと思っていたが」
「俺っちはいつだって宮根みやねあきらっすよ、それ以上でもそれ以下でもないっす」
「それ以上でも以下でもねぇんならお前は誰でもねぇだろうがボケ」
「んな細かい事良いじゃないっすか、そんなんだからあのレディにあれこれ言われあー! すんません! ちょ、タンマタンマ」
おちゃらけた様子を崩さない明に司龍が掴みかかるのは必然であり、いつも通りの光景であった。
「てめぇは女追っかける前にまずその減らず口をどうにかしやがれクソが」
「口の悪さはお互い様じゃないっすかー」
返事をする代わりに、司龍は乱暴に明を突っぱねた。突っぱねられた側は多少の悪態をついて、その軽装を適当にさっさと整えて見せた。その様子を一頻り見届けてから、再び司龍が口を開いた。
「それで何の用だ、お前が突っかかって来る時は何かある時だろうが」
「さっき司龍さん宛に荷物が届いて、部屋に届けたんすよ――涼菓の詰め合わせだったんすけど」
それを聞いて眉をしかめて見せたのが司龍である。
「――『届けた』って事はあのクソアマ部屋に居たのか?」
「レディの事クソアマとか言っちゃダメっすよ――まあそれはいつも通りっすけど、そうっすね」
露骨に不機嫌な舌打ちをした相手を見て、明が言葉を継いだ。
「問題はそこじゃないんすよ先輩、それで届けたらあのレディが『貴方の取り分』って言ってくれたんすけど――」
「別にそれは構わねぇよ、変なもん渡された訳じゃねぇんだろ」
「いや、確かに変なもんじゃないんすけど、あのレディ、その場で箱開けるなり中身2、3個適当に拾い上げて――」
「投げて寄越しでもしたのか?」
「だったら話し掛けてないんすよ――それが、それ以外の全部を箱ごと俺っちに投げて寄越してきたもんで流石に悪くて」
司龍は天を仰いでため息を宙に吹き上げた。目の前にいるお調子者の目にさえ、言葉にならない怒りが空へ放たれた様子が見て取れたであろう。
「それで、自分のとこの冷蔵庫に入り切らなくて、食堂の冷蔵庫借りて入れてあるんで部屋行く前に持ってってくだせぇ」
「どの冷蔵庫だけか教えてくれ――後お前もそこまではついてこい、いくつかやる」

キンキンでは無いものの、悪くない具合に冷えて汗をかいた箱を手に、司龍は自分の部屋の扉を乱暴に開こうとしてみせた。無機質な扉は粗暴な力に抗う事なく、大袈裟に開いて部屋の中を廊下へ披露してのけた。この見慣れた見世物を拝んだ司龍は憤慨して叫びながら部屋へと殴り込んだ。
「部屋の鍵閉めろって言ってんだろうがクソアマァッ!!」
閉まろうとしている扉を後ろ手で荒々しく閉めると、靴をいい加減に脱ぎ散らかしてリビングへ通じる扉を乱暴にスライドさせた。スパーン、というある種の爽快ささえ感じさせるような快音と共に目に飛び込んだリビングには、何かのアニメキャラのコスプレか何かと見紛うレベルの露出をして、艶めかしい腰から伸ばした黒い龍の尻尾を蛇のようにくねらせた竜種の女性が椅子に座ってゼリーを齧った状態でこちらを向いていた。妖しい輝きを携えた紅い瞳が面白い物でも見るかのように、乱暴に入ってきた人間の男を超然とした態度で捉えていた。
「――君という奴はいつまで経っても大人にならないね、クソガキ」
返事をする代わりに、司龍は肩にかけていたカバンをその女性の顔面めがけて全力で無慈悲に投げつけた。女龍は凄まじい速度のカバンを空いている左手で臆する事なく平然と受け止めてみせたが、単に手で受け止めただけだった事が災いしてカバンの撃力がそのまま彼女全体に伝わり、司龍とは反対側にがしゃん、と痛々しい音を立てて椅子ごとぶっ倒れた。しかし、それでも彼女は右手に持っていたゼリーだけは零れないよう、床と水平になるように自身が倒れきるまでキープし続けてみせた。
「――クソガキがそのままでかくなったようなてめぇが言うな、レエンカルナ」
口を開く前に、レエンカルナは左手のカバンをひょいっ、と部屋の隅にあるカラーボックスめがけて器用に投げ込んで見せた――普段、司龍のカバンが置いてある場所である。カバンは手で入れたのと謙遜無いかのような状態で、綺麗に普段の置き場である段に収まり、鎮座した。カバンが綺麗に収まったかどうかというタイミングで、部屋の扉が開く音が響いた。
「今取り込み中だ、後にしてくれ」
「あーらら、取り込み中だからと思って来たのだけれど」
声の主を認知した司龍は、脇を見て一息ついてから幾分穏やかにそれに応えた。
「――心配無用だ、神楽かぐらの姉御。これからおっぱじめる所だ」
「まあまあ、にしては既に片方伸されてるみたいだけど?」
「君という人も懲りないな、神楽――いや、人というよりは精霊だったかな?」
倒れたままのレエンカルナは、そう言うなり謎の力で逆再生のように元の姿勢に椅子ごと戻って見せ、部屋にやってきた神楽の方を向いた。司龍から見れば、どちらも深い紫色の髪をした女性なので姉妹のように見えない事も無かったが、神楽の方はレエンカルナと違い、この時期にも関わらず幾重にもレースを身に纏い、背中から幽かに覗かせる妖蝶の羽と相まって何とも綺羅びやかで妖艶な姿をしていた。司龍が初めてここにやってきて隣の部屋にいた彼女に挨拶をしに行った時から変わらないその姿は、彼女が蝶の精霊であるという事を教えられた時に全て納得がいった事を彼は今でも記憶している。最初こそ物腰柔らかで淑やかに見えた彼女だったが、レエンカルナが部屋に乱入するようになって司龍が日常茶飯事のように喧嘩をしだしてからというもの、面白いもの見たさで問答無用で部屋に入ってくるような大変に困った精霊である事が発覚し、今やその事実は多くの寮生に知れ渡る事となっていた。
「蝶の精霊だっていつも言ってるでしょレエンカルナちゃん、いつになったら覚えてくれるのぉ?」
「君だって私の竜種を覚えないじゃないか、それと同じ事ですよ。ほら神楽、私の種族名を言ってみたまえ」
神楽は、露骨に困った顔をした上に慌てふためいた。
「え、えーっと、ほら、アレでしょ、レエンカルナちゃん。そのー、あれ、あのー、なんとかドラグだったか、なんちゃらドラゴンだったか」
「――虚龍フォイトドラグですよ、姉御」
「あー! そうそうそれそれ、それ言おうと思ってたのよ」
「調子が良いようで羨ましいったらありゃしねぇ、全く」
呆れたように司龍が言い捨てて、台所の前の冷蔵庫へと向かっていった。
「なあに、司龍ちゃん、今度は何されたの?」
「人様の荷物勝手に受け取って勝手にてめぇの欲しい分だけ持っていってそのまんま横流ししやがった」
「君が私に合鍵なんて渡してるからじゃないか」
レエンカルナは悪びれる様子もなく飄々と返事をする。何度も見た光景だ、と神楽は感じ、司龍に目を向けるとやはり何度も見てきたように彼の顔は不機嫌な顔になっていた。
「無かった頃窓壊してまで入ってきたクソアマにだけは言われたかねぇわ畜生が、訳の分からん入り方されて変に周り騒がせるくらいならそっちの方がよっぽど面倒じゃねぇからと思って鍵渡したんだろうがボケ」
「まあ私の目的は最初からそれだったんだがね」
「窓壊す前に言いやがれクソが」
「悪いね、それが私のやり方なんだ」
何やら悪態をつきながら司龍が台所でごそごそ作業をしていたかと思うと、唐突に声が上がった。
「姉御お茶とコーヒーならどっちの方が好きとかはあるか?」
「あら、じゃあメロンジュースを」
「分かった抹茶だな」
「ごめんごめん冗談よ、麦茶はある?」
「冷えたのしか無ぇけど良いよな?」
「大歓迎ね――寧ろこの時期に冷えてない物を用意する方が難しいんじゃなくて?」
「そこでゼリーしばいてるクソアマは場合によって冷えてねぇ方が良いとか抜かしやがるんだこれが」
首を傾げた神楽に向けて麦茶を差し出しつつ、司龍が応えた。それを受けて、淑女は虚龍の方に眼差しを傾けた。
「何か冷えてない方が良い理由とかあって?」
「私なりの流儀ですよ、神楽。私にとってはそれが風流なのです」
「何が風流だ馬鹿ったれ、『甘い物食べる時に冷たい物出されたら舌が馬鹿になる』ってこの前キレてただろうが」
「あら繊細」
「良い物は良いまま味わうべきですから」
「その癖決まりは守らねぇんだな」
「私が良しとする物が守るべき規則ですから」
嫌味どころの騒ぎではない発言が投槍の如く飛んでいったが、投げられた本人は特に狼狽える事もなく、あいも変わらず平然と返してみせた。その様子に辟易した司龍もいつも通りに『ほざいてろ』、と悪態をつきながら涼菓を神楽の前にいくつか並べた。
「好きなもん選べ」
「あらら、レエンカルナちゃん食べたのってどれかある?」
「そこの抹茶水ようかんとみかんゼリー、あと今食べてるあんずゼリーですね、どれもヒトの作った物にしては悪くないでしょう」
「司龍ちゃん、彼女の言う『悪くない』ってどれくらいの言葉なの?」
「大体『うまい』と同じようなもんだ」
台所で自分用にコーヒーを注ぐ司龍が遠くから返事をした。改めて神楽は手元の涼菓に目をやり、結局一番近くにあった物に手を伸ばした。

「そういえば、司龍ちゃんがレエンカルナちゃんと一緒になってたのって7年前って言ってたっけね?」
「一緒になったんじゃねぇ、こいつが勝手に付き纏ってんだ」
司龍は『こしあん』と書かれた水ようかんを雑に一口掻き込んだ後で、角張った備え付けのスプーンでレエンカルナを指した。
「寮に来た時一緒じゃなかったのには何か理由があるの?」
「この不届き者が行き先も告げずに勝手にいなくなったからですよ」
「邪悪極まりない奴がどの口で不届き者とか抜かしやがるんだ馬鹿ったれ」
「私は邪悪の宿敵とも言うべき存在なので一向に構わないと思うがね」
間髪を入れずに繰り広げられる応酬に、神楽の頬が思わず緩んだ。
「てめぇが正義の味方だとでも?正義の方から願い下げを食らうだろうよ」
「誰が『正義の味方』だなんて言ったのですか?私は『邪悪の宿敵』としか言っていませんよ。正義なんてものの味方なんか滅んでもしませんよ私は」
「勝手にしろ」
司龍は呆れて天を仰ぎ、羊羹に向き直って再びぼやいた。
「つくづく訳の分かんねぇ奴だ、7年前に突然現れて意味もなく付き纏ってきたかと思えば『私は境界の宿敵だ』とか言い出すし、今度は『邪悪の宿敵』ときた。芝居だとしたら猫が脚本を書いた方がよっぽど売れるだろうよ」
「そう言えばレエンカルナちゃんそんな事言ってたわね――『私は境界の宿敵』って。あんまりに意味が分からなくて今でも覚えてるわ」
「それの意味は俺も今でも分かってねぇ――聞いたってまともに答えやしねぇ」
「全く心外だな、私は極めて誠実に返事を毎回しているじゃないか」
「じゃあ改めて聞くがどういう意味だ」
「言葉通りの意味です――私は『境界』の宿敵である者」
司龍はきょとんとしている神楽に向き直って肩を竦めた。
「ほれ見ろ、このザマだ――意味なんて分かるもんか」
当のレエンカルナはその苦情を一笑に付した。
「だから言葉通りと言っているじゃないか、司龍。私は単なる『境界』の宿敵、別に『境界』がどの境界かなんて事は定めていない」
「随分スケールの大きな話ねぇ、流石はファイトドラグ」
虚龍フォイトドラグな」
「そうそうそれそれ」
「――寧ろ、姉御はその説明で分かるのか」
司龍はすっかり調子を乱されて頭を抱えながら神楽に聞いた。レエンカルナの方は我関せずと言いたげなレベルでずっと平然とした態度を崩していない。
「まあある程度、しかも憶測が多分に含まれるけどなんとなく、ね――司龍ちゃん、境界って言葉は色んな所で良く使うけど、そもそも『境界』って何か考えた事はある?」
返しの神楽の問いに答える前に、司龍はまず一息入れて、それから答えを述べた。
「――物事、領域の境目。狭い意味だと土地の境目って意味合いで境界とか言う場合もある」
答えを聞いて、出題者はひとまずそれに満足し、頷いた。
「辞書引いたら大抵そうやって書いてあるわね。実際、普通『境界』と言えば境目――わかりやすくする為に境界線なんて言う人もいるものね――ある物とそうでない物、もしくはある一方ともう一方とを区分けするような何か、とも言えるわ」
「俺ん中だと大抵、条件とか線とかって印象だ――明の馬鹿野郎は『境界の形なんて沢山ある』、『そもそも効果の無い境界まで世の中にはある』とか訳分からん事をほざいてやがったが」
「あらあら、あの子女の子追っかけては口説いてるお調子者だと思ったけど結構良い所気づくのね――『効果の無い境界』ってのがとっても良い表現」
男は乱暴に水ようかんをまた一口放り込んだ。
「『効果の無い境界』の何が面白いって言うんだ?役に立たない境界なんざこの世の中に腐る程あんだろ」
「そこが大事なのよ司龍ちゃん――どんな物事でも良いのだけれど、ある物事に何らかの境界を設けたいと考えた時、差し当たって障害になりそうな事があるとしたらどんな物があると思う?」
司龍は、口の中の甘味を丁寧に噛み締めながら、無い頭を捻ってみた。
「……両方に当てはまるような奴が居るととりあえず困る――その逆もそうだな――両方に当てはまらないような奴」
神楽はうんうんと満足げに頷いて、欲しい回答が得られた事を示してみせた。
「そうね、それらはいわば『仕切られる物』の問題ね――じゃ逆に、『仕切る物』に問題があるとすればどんなのがあるかしら?」
「『仕切る物』の問題だぁ……?」
眉をしかめた司龍を見て、神楽は一瞬しまった、という顔をしてから言葉を継いだ。
「そうね――何か箱があってそこにある――お菓子でもビー玉でもいいわ、とにかく何かを――簡単の為に2つに仕切って欲しいって言われた時、その仕切りに問題がある時ってどんなのが考えられるかしら」
追加の情報を咀嚼してから、司龍は手元の水ようかんに視線を向け、ゆっくりと匙を入れて一切れ作ってから、つぶやくように答えだした。
「――例えば、仕切りが大きすぎて箱に入らない――その逆もそうだ、小さすぎて仕分けの用を成さない。脆すぎるってのも同じ理由でダメだ」
「君という奴は黙って聞いていても碌な事を言わないな、どれだけ発想が矮小なのか手に取るように分かるよ」
それまでずっと2人のやり取りを黙って聞いていたレエンカルナが唐突に言い出したので、司龍はぎょっとして彼女の方に目を向けた。その目には無言の抗議の意思が込められているのが見て取れる。
「役に立たない『仕切り』なんてこの世の中に腐るほどあるじゃないか――神楽の例で言えば、仕切りたい物が通れるくらいの穴が空いちゃってる仕切りなんてもんはわかりやすく用をなさない――仕切りの素材が危険な物で、仕切ったら仕切られた側が無事じゃ済まないなんで場合もあるだろう。あとこれは必ずしも仕切りの問題とは限らないが、仕切り方の条件をどう足掻いても満たせないような仕切りもある意味役に立たない」
「仕切り方の条件を満たせないってのはどういう事だ」
「さっきの神楽の例で言えば、2つに分けろと言われているのに仕切りがTの字になってる場合がそうさ、何をどうあがいても3つに分ける事になってしまう――つまり『こういう条件を満たすように分けてくれ』という要求を実現する方法が存在しない仕切りの事だ――たださっき言ったように、これに関しては仕切りの問題とは限らない場合が存在する事は留意しないといけない」
「仕切りの問題じゃないなら何の問題だ」
「君という奴は少しは自分の頭で考えるという事をしたらどうなんだ――ともかく、仕切りの問題でない場合『条件そのもの』に致命的な瑕疵がある場合。具体例を出すなら、性別の仕切りが満たす条件として『2つに分ける』なんて条件を出した場合さ。20世紀代でさえ、男性・女性という分け方が問題になっていたという記録が出ているように、今のこのご時世、性別を聞くための選択肢を2つしか用意できないなんてのはあまりにも知性が無い」
「そもそも性別って概念が存在しねぇ種族なんざ山程いるし、人間みたく男女の2つで話のできない種族だっているからな、分ける数で指定するにしたって2つってのはあまりにもボンクラだ」
「だからこの場合、仕切りが満たすべき条件としては『如何なる性別であっても必ずどれか1つそれだけに一意に定める事ができる』という条件を設定するべきなのだよ。仕切りが満たすべき条件が不適当ならそれに従って生まれた仕切りなんてのは大抵不都合を起こす事になっているものだよ」
司龍は目の前の女龍がここまで流暢に、しかも合理的に話を返してくるとは思っていなかったので思わず押し黙った。その沈黙に気づいた神楽が、慌てて自分の言いたかった事に触れる決断をした。
「まあ何よりね、仕切る事、つまり境界を設ける事には色々な形の問題があるわけなんだけど、レエンカルナちゃんが何かそういった問題になるとすれば、これまで挙げた中だとどの部類に入る問題かしら?」
「…俺は勝手に仕切られる側の問題に入るんじゃねぇかと思ったんだが、身も蓋もねぇ事言うならそもそもこいつを何かで仕切ろうって考え自体が間違いなのかもしれねぇな。こいつは自由過ぎて何かの枠に入れようっていう試み自体無茶過ぎる」
「要はそういう事よ司龍ちゃん、レエンカルナちゃんに限った話じゃないんだけども、生命を何かで仕切ろうとか区別しようって話自体がそもそもどうなのって所から話が始まるのよ。社会を形成するに際して最低限必要な区別ってのは存在するけど、必要かどうか疑わしい区別なんて世の中探せば山程あるわ――それに、他人から『こういうもの』って区別される事を望まない人なんて、本人が口に出さないだけで心の中でそう感じている人は山程いるでしょ」
乱暴にコーヒーを流し込んだ後で司龍がため息をついてからそれに対して返事をした。
「分からんじゃねぇな、俺だって根っからの不良みたいに言われるとトサカにくるしな――『良くはない』という意味合いじゃあんまし文句言えたもんじゃねぇが」
「なあに司龍、私だって君と同じですよ――私はどこにでも属しているし、どこにも属していないだけです――私は境界の宿敵であるが故に」
司龍はふぅん、とだけ言って急速に興味を失った。
「とりあえずどういう奴だって言われたくねぇってのは分かった」
「ちょっと違うが今の君ならその認識でも構わないだろう」
「言ってる事がさっきとは違ぇじゃねぇかクソアマ」
「うふふ、仲良いのね貴方達」
「何をどう見たらそう見えるんだ姉御は」
どこか呆れたような男は、手元に残っていた水羊羹の残りを気怠げに掻き込んでため息をついた。女龍は机に転がっていた涼菓を適当に2つ拾い上げると、片方を雑に司龍の方に放り投げてからもう一方の蓋をはがした。
「あんだよ」
「餞別さ、受け取るが良い」
「本当におさらばできりゃ良いんだがな」
乱暴に吐き捨ててから、司龍がコーヒーを啜ってみせた。
どこか普段より苦いような気がした。

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