八術八相の龍記録/下暗し

 エストレカル・エデュラ遺跡群調査プロジェクト
調査168日目 光遷世こうせんせ歴1823年第7月35日
 南側を中心に観測する事を決定してから18日が経過した。これまで同様、この灯台跡の存在意義が判明するような大きな発見は無かった。斯様な事を記述するべきではないのかもしれないが、シェセル調査官が以前述べていた通り、この灯台跡が建てられる目的となった存在が、今の世代では失われてしまっている可能性を本格的に考慮すべきなのかもしれない。そうでなくとも、灯台が建てられる理由というのはマリアゼル調査官が述べていた通り(21日目の記録を参照願う)いくつもあるような物ではなく、かつて6人体制で調査していた最初の30日間の時点で大きな発見が見られなかった時点で、我々はもっと別の可能性を考慮すべきだったのではないのだろうかと思案する。これについては、次の物資到着及び定期報告の場で改めて提起を行いたいと考えている。
  サン・マテューリオ灯台跡調査担当 ジェリコ・ユートバニエ

「……こんなところか……しっかしどうしたもんかな……」
提出する書類を一通り打ち込んだ調査官は、自らの調査拠点としている中空室と名付けられた、見張り台から少し階段を降りたところの部屋で一人ぼやいた。しばらくすると、脇の方からカタカタと音が鳴った事に気がついた。魔機術式加熱器が、水を沸騰させてその蓋の一部を震わせていた。徐に立ち上がると、ちょうど加熱器のスイッチが軽快な音を立てて自動的に切れた。前回の物資補給で特別に仕入れてもらったアレムの茶葉を慣れた手つきで小さな金網に放り込むと、タンブラーの中に入れてお湯を注ぎ込んだ。
「おや、これからまたひと仕事しようって腹積もりだったかな?」
中性的ではあるが凛とした、鈴のような声が階下から聞こえてきたのはちょうどその時だった。
「いいや、シェリー。ちょうど終わってゆっくりするところだ」
「それは良かった。一応、君の邪魔はしないようにしているんでね」
「そいつは何ともありがたい気遣いだ」
そんなやりとりをしている間に、シェリーはその姿を部屋の脇にある螺旋階段から姿を現した。薄く光を放つ金色とも銀色とも白色とも言い難い不思議な長い髪に、毛皮とも羽毛の集まりとも取れる未知の実体を首元に纏った、小柄で華奢な美しい少女だ。その少女の頭からは小さな角が一対と、耳元からわずかに見える襟飾りのような明るい鳥の子色の鱗が小さな花のように咲いていた。繊細な腰のラインから抵抗なく伸びた尻尾を見れば、彼女の種族はある程度予想がついたという物であった――最も、"魅龍[アフェクドラグ]"という固有の種族名は本人に聞いて初めて分かった事ではあったが。
「上等なアレムの茶葉を入れて貰ったんだ、試してみるかい」
「お、それはなかなか楽しそうだ、お願いできるかな?」
子供のようにぴょこぴょこと歩んできた彼女を横目に、タンブラーをもう一つ取り出すとさっきと同じ事を調査員の男はやってのけた。その様子を一頻り眺めた跡で、龍の少女は徐に言い出した。
「しかし、ここはいつ来ても摩訶不思議なところだね、ジェリコ。色々な場所を長い事巡ってきた僕でも、何もかもが分からない事だらけだ」
「全くだ」
そう言ってタンブラーを両手に腰を上げると、探究心の塊とも言えるその生命はぼやきに近い事を言い出した。
「光遷世の中でも北側の未開地であったアンプレンナ大陸からこのアンチェッタ小大陸にかけて広がるエストレカル・エデュラ遺跡群――こいつはとにかく分からん事だらけなのに、その上で一つ発見があるとその分からん事を山程連れて来るときた」
「成分解析から推定するにこの遺跡が作られたのははるか昔――君達が一般的に使っている暦で言えば大体1200年ほど前、光遷世歴500年後半から600年前半」
「その通り――それ言ったの1回だけのような気がするけど流石よく覚えてるな――んで、そんな謎だらけの遺跡群の中で3番目に大きな史跡がここ、サン・マテューリオ灯台跡ってわけだ」
ジェリコは、部屋の中程から少し外れたところにある遺跡のテーブルのような場所にタンブラーを置いて続けた。
「この通り、内部は多少砂埃こそ被っちゃいるが構造的には健在そのもの――ちょっと前からこれくらいの経年劣化対策はできるようになったから、こいつが今造られた物であれば別段疑問に思うような事じゃねぇが、そんな代物が1200年近く前に造られたここにあるとなれば話は別だ――そもそも、今ある技術でさえ1000年は愚か100年保つと言い切れるような物は無いだろう」
「そんな超技術の持ち主が、一体何故こんな古風な灯台を造らなければならなかったのか――何より、この灯台のどこに灯火が備え付けられていたのか、何のために造られたのか――君が調べているのはそんな事だったかな?」
「シェリー、君がここに来ていたのが十数年前じゃなく何百年も前だったらとつくづく思うよ――ともかく、この灯台には"灯台"というその看板に反して、灯火を灯せるような類いの物が一切見当たらない――ここは勿論、灯室にあたると思われる部分にも灯火に類するような何かがあったと思われるような物が何一つ見つからない。灯火の無い灯台なんて聞いた事が無い――であれば、灯火とは別の何かを用意していたんじゃないか、というのが今の我々の推測だ」
「そして君は、灯室から周囲を見回す事で、その"何か"を割り出すために何か見つからないかと探し回っているわけだ」
「探し回っているというとちょっと変だがね――確かに首は四六時中回しているが」
シェリーが置かれたタンブラーを手にとったところで、ジェリコは自分の手元の中身を啜って、一息ついた。その様子を見ていた魅龍が訊いた。
「損な役回りだと思った事はないのかい?」
「何を言う、何度もあるさ。だけど悪い事ばかりじゃない」
「ふうん、例えば?」
「君に遭遇できた事は無視できないだろうな」
タンブラーの中身をくいっと傾けたのを見届けたところで、ジェリコが返した。
「初めはここの遺跡に居た先人の末裔じゃないかと期待したんだがなぁー、流暢に『やぁ、ここで妖人に出会うとは思わなかったよ』なんて言われるからちょっと拍子抜けしちゃったよ」
「『あっちの大陸から火柱が上がった頃にここに来た』って言ったら露骨にがっかりしてたもんね、あれはなかなかに面白かったよ――しかし、火柱が上がったって情報だけでよく僕がここに来た年を正確に言い当てられたね」
「ウル=サンクラ大陸でここ最近火柱が上がったような事件なんて、"ウルガヴァスの大失火"ぐらいしか無いからな――下手すれば、ウル=サンクラ大陸で他の浮遊大陸から見ても分かるレベルの火柱が上がった事件なんざ、有史以来それしか無いと言っても過言ではない異常事態だからな」
「そういえば、僕それについて君に訊いた事ってあったかな?」
「確か無いな――じゃあ自分が見聞きした事と調べて分かった事をかいつまんで話そうか」
シェリーは、タンブラーを置いてその身をテーブルに乗り出した。

 ウル=サンクラ大陸というのは鉱物資源が莫大な浮島でな、というところからジェリコは語りだした。どれくらい前だったかは分からないが、シェリーも訪れた事自体はあるのでそれはなんとなく分かっている、という顔をしてみせた。
「簡単に言うと、光遷世歴の1807年第3月13日に、ウル=サンクラ大陸の中でも一番の古株であるウルガヴァス総合鉱業所がやらかして周囲の街ごと消し炭にしちまった事故だ。事故から10年――いや、もう15年以上経った今でさえ正確な死者・行方不明者が判明しない、有史以来最悪クラスの事故だ」
「『やらかした』って事は、ミスが明確な原因なんだね?」
「残念ながらそうだ。そもそもウルガヴァス総合鉱業所は採掘から精錬、なんなら合金の鍛造までひとまとめにしてやる総合の名に恥じない施設だったわけだが、採掘の工程で重大なやらかしがあった。ウルガヴァス鉱脈はサトナキウム鉱石主体の鉱脈で、純度が高く良質なサトナキウムが採れたんだが、サトナキウム鉱石は鉱石の時点で相当硬いという難点があってな。そこで、最初の頃は高温の劣化メニウンガスをぶち当てて、必要な部分を溶断するっていう荒業が取られていた――流石に今はもうこの方法じゃ採ってないはずだが」
「溶断するのはいいけど、下手に物を溶かしたらなんか別のガスとか出ちゃったりするんじゃないのかい?」
アレム茶を啜ったシェリーが聞いて、待っていたかのようにジェリコが頷いた。
「過酸化コアルムガスが出る――こいつは量が少ないうちに燃える分にはすんなり燃えて不燃性の気体になってくれるが、ある程度の量になるとその威力が文字通り爆発的に増す厄介な気体だ。しかも、瞬間的にとんでもない高温になるというから、近くに熱で反応しかねない代物があると大惨事は不可避だった。溶けると過酸化コアルムガスが出るサトナキウム鉱石のそばでそんな事をしたら、連鎖的に鉱石が溶けてあっという間に地下は可燃性のガスだらけだ」
「――で、それが現実になってしまった、と」
「……燃えずに残っていた計器記録では、異常値がしっかり出ていた。少し離れたところにあった補助システムの記録でも、計器の故障や警報装置の類いに異常が無かった事が確認できた。何度ともなく防ぐタイミングはあったはずだが、防がれなかった。結果は君が見た通りの有様だ。ウルガヴァス鉱脈の7割が一気呵成に反応して引火、採掘坑を押し広げ、はるか遠くの大陸からでも目撃されるほどの火柱となってしまったとこういうわけだ。焼けた死体が大陸の反対側にある最果ての農村、サンクラ=セクラの農地に落っこちたなんて記録まで残ってるのだから相当な威力だったんだろう」
「それだけの事があって、遠隔地が無事だったのかい――遠隔地と言っても、大陸をまたいでって事はなかったんだろうけど」
ジェリコは苦笑いを浮かべた。
「察しが良すぎるのも考えものだな――無論、遠隔地も無事ではない。吹き飛ばされた地表の一部が落石の如く空から降ってきたとか、ひどい物では建物がそのまますっ飛んできて街中に落ちたなんていう考えたくもない報告まであった。補助システムが置かれていた施設も半分は木っ端微塵で、もう半分も砂山地帯に飛ばされた――最も、それが幸いしてある程度のデータが後で回収できたんだが」
「じゃあ、それがなければ過失による事故だったとは分からなかったわけだ」
「もうしばらくは遅れる事になっただろうな――実は、運用がかなり怪しかったという証言が、まさに鉱業所にいて唯一生き延びた精錬担当の作業員から聞けたのがでかくてな、かつてそこに居て今は別の鉱業所で働いている奴にも聞いたらどうもその通りだと来たから大事だ」
「なるほど、それで"大失火"というわけだ」
茶をぐいっと飲んで天井を見上げてから返事がなされた。
「ウルガヴァスは結果的に壊滅、残された人々は殆どがサンクラミストに吸収されたが、一部は現地に残って復興を行っている――最も、あれだけの時間が経ってもなお、空いた大穴を整備できたかどうかという有様だがね」
シェリーは、窓から徐にウル=サンクラ大陸の方を見た。
「……そうか、僕が見ていたあの時、そんな悲惨な事が起きていたのか」
「何事も、疑問に思わなければ知る事も無いだろうからな、そういう意味合いで言えば俺がこうしている間にも、何か碌でもない事が起きてるかもしれないからな――だが、それでも俺は調査員として、ここが何なのかを調べる必要がある。まあ、調べないでいる事もできるかも知れないが、多分そうだったとしても俺はまた別の何かを調べてるだろうよ」
「君はそういう星の元に生まれているのかな」
「かも、しれないな」
ジェリコはシェリーの横顔を見てから、タンブラーの中に映る自分の顔を覗き込んだ。

「そうそう、君に会えてよかった事といえば、別の世界に飛べた事があったな――今思えば、あんな雑に飛んでしまって良かったのかと思うが」
シェリーは視線を窓の外に向けたまま、少し物思いに耽ってみせた。しばらくして、思い当たったようにジェリコの方を向いて口を開いた。
「――あぁ、それは本当ついさっきの事じゃないか。僕が他の魅龍のところに連れて行った時の話だろう」
「ついさっきって、40日は経ってるだろ――君の感覚からすればさっきなのかもしれないけど――ともかくそれだな。いやはや、魅龍って他にいるのかと聞いて『じゃ適当な奴に会いに行ってみるかい?』なんて言い出すからたまの休みをそれに使ってしまったよ全く」
「あっははは、良いじゃないか、大層な驚きがあったように見えたじゃないか」
笑いながら加熱器の電源を入れて、ジェリコが記憶を手繰り寄せた。

「確か、『違う世界に行くと会える』って言い出したのが始まりだったかな。1人になってから大分経って、日誌が120日目になるちょっと前くらいにそんな話を聞いたもんだったから、数日後にやってくる6日間の休みはそれに充ててしまおうと画策したんだ」
「『全員に会って6日間で足りる?』なんて大真面目に聞いてくるんだからこっちもなかなかびっくりしたって物だよ――まあ斯く言う僕もそれに対して『会うだけで良いなら飛び回るだけで良いから半日も要らない』なんて乱暴な事を言った覚えがあるけど」
水が沸く音がかき消されるほど、無謀な男は爆笑して見せた。
「今思うと俺も大概乱暴だったな、『よしじゃあ行くか』なんて言って案内頼んだんだからな――で、実際行くとなったら行くで『僕についてくると諸々の面倒が吹っ飛ぶから僕に乗ると良いよ』なんて破茶滅茶言われてまた面食らった覚えがあるってもんだ――そうだ、確か君の本来の大きさを知ったのは確かその時だったな」
シェリーはちらっと手を広げておどけるような仕草を一瞬して見せた。
「本来の大きさと言っても、2.3エメス3メートル弱ギリギリ無いくらいしかないけどね――普段はその半分。言われてみると、僕がその時初めて『魅龍の中で一番小さいのは僕だ』って話をしたんだったね――それも、『とびきり群を抜いて』って」
「そういえばそうだったなぁ、しかもそん時の俺はその『群を抜いて』ってのをそんな深刻に捉えてなかったんだ――だからこそ、最初に明洲世あしゅうせに飛んで……セラフィーナ様……だったかな――に出会った時に思考が吹っ飛んじまったんだよ」
「あれに関しては何というか、僕が事前に彼女の大まかなサイズを教えておくべきだったね。『とびきり群を抜いて』ってので伝わるかなぁと思ったりしたんだけど、君と僕とでは想定する大きさのオーダーに差があったらしい」
電源の切れた加熱器を持ち上げて、少しばかり中身の残るタンブラーにお湯を注ぎながら、続きを思い出して口を開いた。
「すっ飛んでって最初に思ったのは、世界がこことよく似てるって事だったな。勿論、基底面に溶鋼湖がたまにあるみたいな違いはあったが、浮遊大陸を主な活動圏として物事が動いてるってのは光遷世と同じだってところはちょっと親近感というか、安心感を覚えたってのが正直なところだった――なんせ、これまで『調査』といえば明らかに異質なところに突っ込んでいくような事が普通だったからな」
「明洲世を選んだのはそれもあったかな。そんなに環境が離れていない方が色々と良いかなって――まあ、あんまり似過ぎてるのもちょっと違うかと思って多少の変化がある場所にはしたけど……そもそも、魅龍に会いたいなんて風変わりな奴がそういないからさ」
「風変わりじゃなきゃ探検なんかできないさ――とはいえ、その先にいた魅龍がその浮遊大陸よりでかいとは思わんかったが。最初見た時頭がおかしくなったんかと思った」
「僕も本来の大きさの彼女に会ったのは久々だったから、『あれ、こんな大きかったかな』なんて思っちゃったよ。なんだったらその場で口に出したし」
鮮明に蘇る記憶をその瞼に想起しながらジェリコが笑ってタンブラーを傾けた。
「ふっはっはっ、ありゃ相手の反応も最高だったな。『お前こそそんなちっこかったか?』なんて真逆な事言うもんだから傑作だった――見た目の荒々しさとは違ってなかなか考え深い龍だったから結構驚いた。確か、君の本来の名前を聞いたのもその時だったかな――シェリーってのは略称・愛称で、本来の名前は別にある」
「……そうだね」
シェリーは、部屋の隅に転がっている腰掛けほどの遺物に座って、記憶を辿る者の眼を見据えた。
「――シェルエスフィカ=マリアンヌ。時折古文書に出てくる名前だから、それ聞いた時は『あーれどっかで聞いた事ある名前だな』ってなったもんだ」
「ふふ、という割にはそれを彼女から聞いた時あんまり興奮してなかったように見えたけど」
うーん、と一度唸って唇の下を何度か擦ってから、遭遇者は口を開いた。
「なんというか、薄々そんな気はしてたんだよな。だから、それ聞いた時『あぁ、やっぱりそういう事なんか』って感じにしかならなかったって感じなんかなぁ。正直自分でもよく分からん。まぁ、強いて言えばあん時はそれ以上に凄まじい発見があったからな――文字通り巨大な」
「なんとなく分かったと思うけど、彼女は知っての通り荒めの性格してるから、彼女が君に何かするんじゃないかと思ってちょっと肝を冷やしたよ――『なんか居るって言うから会いに来た』なんて飄々と抜かす君を見て、いたく気に入ったみたいだったから安心したけど」
「あの龍の姉ちゃんの性格はまだマシな方だ、街の方行きゃああんなんより無茶苦茶な性格した奴なんざ腐るほどいる……まああの図体で暴れられると確かに笑えないが」
笑えないという言葉が宙を舞った直後に響いたのは軽やかな笑い声であった。
「彼女は炎相――進化、再生、破壊を司る魅龍だ。きっと、君のその新しい所に飛び込んでくる進化的な行動を気に入ったんだろうね。僕もセラフィがあそこまですんなり誰かを気に入るのは久々に見たよ」
「とは言いつつ、『俺様の事はセラフィーナ様って呼ぶといい』なんて言ってたな。美しい名前にはちょっとしっくり来なかったな――正確には、確か……コルマエフィーナ=セラフィーナだったか?」
「おや、よく覚えていたね」
ハッとしたようにシェリーが目を開いた。彼女の尻尾が、どこか不思議なうねりを見せた。
「確かに色々雑だったが、あの旅で一番重要な事を教えてくれたのはあの御大だったからな。『お前のそばにいるそのちっこいのを除いて、他の魅龍は俺より大きいと思っときゃ間違いねぇ』って情報は心構えの上では大切だったぜ――それでも、『水相の奴はそん中でも一際でけぇし、闇相の奴はそれよりももっとでけぇ、空と同じかそんぐらいだと思っときゃ間違いねぇ』とか言い出したのは流石にビビったけどな」
「彼女にしては的確な話だったね……僕は彼女があんなに丁寧に物を話せるのかと感心したよ。風都世に行くって言ったらそこにいる彼女の扱い方も教えていたしね」
ジェリコは昨日の事のように思い出して火がついたように笑い出した。一頻り笑った後で、苦笑いをするシェリーに向き直って絞り出すように続けた。
「悪い悪い、今思い出してもあの時点ではあんまりに意味不明で思わず吹き出しちまった――だってどうだ、風相の魅龍に会うに際してのアドバイスが『あいつは胸でけぇって言ってやればそれで問題ない』なんだから」

 風都世に飛んだ後の事に思いを馳せる。破茶滅茶な旅は始まったばかりであったが、それでも今思い返せば相当濃密な時間を過ごしていたのだ、とジェリコは気づいて感慨深い物が心に込み上げるのを感じた――果たして、斯様な想いを前にしたのは一体いつの事であっただろうか。自分が思う以上に過ぎていた時の残響に思いを馳せた後、ジェリコが顔を上げた。
「まあそんな破茶滅茶を経由して風都世に着いたわけだ。今思い出してもあの世界は素晴らしい。この世界に似て大きな浮遊大陸がいくつもあるが、輪を描くように並んでいるというのは何とも興味深い――そして輪の中心とも言える空域は、文字通り空の領域。澄んだ空気と幾ばくかの蒸気雲――そして、その領域を統べる者と名乗る魅龍がいるだけの空間ときた」
「正確には観測気球も飛んでいたけどね。僕はどちらかと言うとそこに乗ってた子の方が興味深かったね」
「あーっと確か……アルテーシャって人だったか。見た目俺より若そうなのに、俺より危険な事に挑んでるってのは見習わなきゃいけない点だな――あれ?そういや、俺どうして彼とまともに話できてたんだ?国はおろか世界が違ってたってのに」
少し荒れた髪を整えながら、ふとジェリコが気がついた。
「あぁ、僕とヴェロニカの間で融通してたのをそっち側にも通しただけさ――疑問に思われなかったから僕も説明するのを忘れていたよ」
「ヴェロニカ……あれ、彼女は『アンシュ』って呼んでくれって言ってたような気がするが」
「僕は昔っからヴェロニカって呼んでるからその名残さ……彼女、ある時『ヴェロニカだとなんか可愛くないからアンシュの方がいい』って言い出したのさ」
「俺は彼女のちゃんとした名前が一番だと思うけどなぁ。アンシェゲイナ=ヴェロニカなんていかした名前、そう探して見つかるもんじゃないと思うが」
「あっははは、彼女の名前をいかしてるって表現したのは君が最初のような気がするよ」
小さな魅龍はころころと笑って自分の肩をひと撫でしてから言葉を継いだ。
「彼女は――会ったから分かると思うけど、余裕たっぷりに振る舞ってはいるけど内心は結構無垢で幼稚なところがあってね。想定外の事が起きると派手に取り乱す事も珍しくないんだ……ほら、僕達が会いに行った時もそうだったろう?」
「そういえばそうだったな。『えぇ!?シェリー!?なんで!?』ってめっちゃ驚いてたな」
「気球に乗ってた彼も『アンシュさんが狼狽えてるの久々に見た』って言ってたからな……『久々』って事は前にも何かあったんだろうな」
「外見から分かる事はそう多くないのさ、ジェリコ――余裕に満ちあふれているように見える者が、本当に余裕綽々でいるとは限らない。その事を悟られないためにあえてそのように取り繕っているだけだ、という事も考えられる」
「なかなかに耳の痛い話だな」
タンブラーの中に己の顔を見出した男が、弱気に呟いた。その様子を、小首を傾げた龍が興味深そうに眺めて、続く言葉を見極めようと身構えた。
「俺はこう見えて他人とどうこう言い合うってのが本来得意じゃなくてな。そりゃ、他人の考えが分からんってのはその通りなんだが、それでもある程度察せられるようにはした方が何かと心配せずに済むんじゃないかと考えてね――蓋を開けてみたら、世の中は察する事すら困難な奴だらけだったとこういうわけなんだが」
「あっははは、僕だって君の事はよく分からないけど、話ができてるならそれで良いじゃないかと思ってるよ。その辺りの事はあまり深く考えないようにしているんだ」
「俺もそれぐらい割り切って考えられたら良いんだがな。まあそんな事言っても仕方ないんだが」
無垢な微笑みを見せる少女の方を向いてから、己の目線を天井に向けて返した。目線の先には、何年前から灯っているのか分からないような、淡い光を放っている結晶体が物も言わず埋め込まれている。
「まあ、話を元に戻してみようじゃないか。ヴェロニカに会って話をした後で、僕らはまた別の世界に飛んでいった」
気分を察した龍の少女が、思い出の続きの埃を払って彼に託した。

「次に行ったのは奇楊世きようせで、次いで氾水世はんずいせ。どっちも面白い世界だった。奇楊世の方は、基底面に汽水が張ってる所はここと同じだが、巨木が並んでるってのはなかなかに新鮮だったな。氾水世の方はここによく似ている世界だ――違う所といえば、基底面に張ってる汽水の水位が異様に高いって所だな。一番低い大陸じゃ、汽水面まで何千エメスしか無いらしいって言うから驚きだ。でも、あれなら汽水面に降りてあれこれやるって事も可能ってわけだ」
記憶を語る調査員は、これまで通り訪れた世界の情景から話を始めた。なるほど、この生命はどうやら大枠から物事の理解を始めるのだな、とその様子を見ていた女龍は一人で勝手にふんふんと小さく頷いた。その様子を気に留める事もなく、ジェリコは先を続ける。
「そこに居た魅龍もまぁなんというかでかいなんてもんじゃなかったな――何がと聞かれると本当に色々、としか返せないのがなかなかアレなところだが」
「まぁあの2人は特に体が大きいからね――水相のルナに関してはセラフィから聞いていたから心構えはできていたと思うけど」
「森に居た彼女の方も相当だったのに、水のとこに居た方はそれよりも大きいんだからたまげたもんだよ――あれ何食って過ごしてるんだか。ともかく、先に行った奇楊世で出会ったジュリアンと、その後で行った氾水世のルナ、このお二人さんは性格は違うけど性質はよく似てるなぁと感じた」
「おや、そうかい?」
シェリーが急に身を翻して、すたすたと早足に歩いてジェリコの隣にやってきた。その目は普段の達観したような目とは異なるものである事に気づいて、ジェリコは表情を険しくした。
「お、何か変な事を言ったかな?」
「いいや――寧ろ、興味深い言葉だと思って。確かにあの2人は木相と水相だから相性は良いんだけど、性質が似ているという見方をした事はないから、何故そう感じたのか興味があるんだ」
「君ほどの存在に興味を抱いてもらえるとは光栄ってもんだ。じゃあ、木の方の彼女から話をしようか――そういや、魅龍ってみんな女性の姿してたけど精神はどうだったんだか――あぁいや、それは後でいい。確か……そう、ジェグドラシア=ジュリアン……ええと、彼女は確かそれが名前で苗字に当たるものが別にあるんだったか」
「ラ・トリアフォルク――ジェグドラシア=ジュリアン・ラ・トリアフォルクが彼女の正式な名称だね。ジェグドラシア=ジュリアンが名にあたるけど、その時点で既に長いからジュリアンとだけ呼んでるし、本人もそうするように言っているはずだ――魅龍は厄介な事に、どいつもこいつも名前が長くてね――僕もだけど」
「でまぁ、その彼女だが、性質が非常にわかりやすい事この上ない。彼女は典型的な賢者だろう。知識もあり、知性もある。取り乱す事もなく、あらゆる状況においても物事を適切に見据える事ができるだろう――実際、一緒に会いに行った時も『珍しい来客ですね』くらいにしか言ってなかったしな」
シェリーがくるりとその身を翻して、ジェリコの隣にこてん、と腰掛けながらそれに応じた。
「確かに彼女は滅多な事じゃ驚かないね……僕が最後に彼女が驚いたのを見たのなんて、もうどれくらい前か正確に言えないくらい前だからなぁ――君を連れて行ったらもうちょっと何か言ってくれるんじゃないかと実は期待していたんだけども、そうでもなかったからちょっと残念だったよ」
「まぁー、あの御仁驚かせるって言ったらよっぽどだろうなぁ。それこそアンシュさん呼んできて下から突風でぶっ飛ばすくらいの事したって怪しいだろう」
龍の少女は、それを聞いて突然意味深な笑みを浮かべた。
「んふふ、実はね、ジェリコ。昔ヴェロニカがそれジュリアンにやった事があったんだよ」
ジェリコが上半身を勢いよく起こして、妖艶な笑顔のシェリーの方を向いて叫んだ。
「マジで!?どうなったの!?」
その様子の何を見て満足したのかは分からないが、魅龍は少し笑って溜めを作ってから教えてみせた。
「んっふっふ……ジュリアンがすっ飛んで行ったんだけど、身の丈くらい飛んだ所で冷静に蔦を生やして基底面に張り付いたのさ。無論、ヴェロニカの仕業だという事はすぐに露呈して『何やってるの貴女』って言ってたよ――ただ、その際に問題が発生して、その暴風に巻き込まれて無関係な妖人が笑えないくらい高空まで吹き上げられちゃってね。その子が全力で慌てて空に向けて妖気放射をしたんだけども止まらない事態になっちゃった。ジュリアンが茎と蔦でどうにか回収して無事だったんだけど、無関係な子を巻き込んだとあって、驚きこそしなかったけど流石にその時は怒ってたね」
「その巻き込まれた奴、よう無事だったなぁ」
「いやあれを無事と呼んで良いのかは色々と疑問だけどね――どちらかと言うと『たまたま死ななかっただけ』と形容した方が正しいと思うよ」
「まぁそれもそうか……あぁ、でだ、話を元に戻さねぇと。そんな訳で、木を操る方の魅龍は冷静でいるわけだが、水場にいる彼女は立ち居振る舞いこそ無邪気だがその本質は冷静だ」
魅龍は目を細めて、考察を述べる妖人の顔を悪戯に見つめてみせた。見つめられた男がふと窓に目をやると、景色はすっかり暗くなり、空に輝いている天球だけが、夜闇を仄かに金色に照らしている。
「水場に居た彼女――ルナリアム……いや、その前に何かついてたな……えー、流石に記憶が曖昧になってきたな……ハイエ……なんだったっけ?」
「ハイルエヴァンデ=ルナリアム・ソルクァネファイだね。君の言葉だとルクァって発音できないんだったかな?」
「あーっと……できなくは無いんだが変になるんだ――ああいや、それはあんまり問題じゃなくてだな――そう、ルナリアムの気質の話だ。彼女は好奇心の塊みたいなもんで、ありとあらゆる物に目を輝かせる事ができる――彼女のような人物にこそ調査隊に入ってもらいたいもんだが――しかしそれでいて、無用に深い所まで足を突っ込むような真似はしない。興味は持っても一線は超えない、知識こそ多くはないが、それでも知性はある。ここがジュリアンとルナリアムのよく似た部分だと思っている」
僕は君よりその辺深く知ってるけどね、と思いつつ、シェリーは彼の言う事に耳を傾け続けた――よく考えてみれば、自分は彼女達をよく知らない人物が彼女たちをどのように評するのか、聞いた事もなければ想像した事も無かった。そもそもそんな事をする事自体に意味がないと考えていたのが一番の理由であったが、雄弁なジェリコの姿を見ていた彼女には唐突にそのような興味が湧いてきたというのが実際のところであった。そんな彼女の新鮮な好奇心を知る事なく、ジェリコは続けた。
「普通、知らん物にぶち当たった時にどういう反応を示すかってのでそいつの方向性はなんとなく分かったりする――よく言われる例えに、分からんボタンがあった時にどうするかってやつがあるな」
「『押すな』って書いてある物を押したくなるアレとはまた別の話だね――何なのか分からないボタンを押すかどうかって話かな」
「大体そんな所だな。最も、それだけだと好奇心が旺盛なだけなのか、ただ単に向こう見ずなだけなのか分からんから何とも言えないって見方もできる――向こう見ずじゃなきゃ好奇心なんか持てないと言われりゃその通りかも知れんが」
「じゃあこれならどうだろう。そのボタンに『発射』って書いてある」
ボタンを押すような仕草をしながら、シェリーが訊いた。目に見えぬボタンによってか、ジェリコは陽気な笑い声を上げた。
「そいつぁいい、完璧だ。その『発射』を見て何を思うかこそそいつの性格が一番出るだろう――何も考えず『面白そうだから』と押すか?『何が発射されるか?』と考えるか?考えるとしたらどういう推測をするだろうか?近くに発射されそうな代物があるか?それとも自分がいる建物が発射されるか?或いは、もっと規模の大きな物がすっ飛んでいくと想像するか?」
「――もしくは、何も起こらないと考えるか」
両の手のひらを軽妙に踊らせて天に向けつつ、シェリーが付け足した。加えられた可能性を吟味し、ジェリコはその通り、と言わんばかりに大きく頷いた。
「別の考え方もあるだろう……例えば、何が飛ぶ、ではなく、どこに飛ぶ、とか――いつ飛ぶ、とか、そういう考えに至る奴もいてもおかしくあるまい。正直、どれを考えたかというよりかは、何を理由にどこまで考えたかって事の方が重要かも知れないな。何を理由にどこまで考えるかってのは言うだけなら結構簡単だが、実際世の中を見てみると意外とこれが難しい事が分かる――そもそも、思考の材料を見つけられない奴が意外と多い」
「どちらかというと、材料を探そうとしない人の方が多い、と形容した方が僕はしっくり来るかな――要は、そもそも考えようともしないって話になっちゃうんだけど」
「それはもう議論の範疇を大きく逸脱してしまうな――ともかく、その思考の材料を見つける、という所に関してはクリアしたとしよう。ここから、その材料を適切に調理して正しい推論を行えるかというのは意外に困難な話だ……この辺は、もしかすると俺らと君らとで前提のレベルが違ってるのかもしれないが、人間の血が入っている俺らには『自分の信じたいように物事を解釈したがる』という、極めて致命的で無意識――もしくは意識上のバイアスが掛かっている。『人は本当の意味で客観視などできない』って話はこの辺からくる話だろう」
「考え方が明らかにおかしい子はちょいちょい居るからね――もしかすると、おかしいと分かった上でそれをどうにか誤魔化す為に強引に声を大きくしたり強い物言いをしたりしてるのかもしれないけど――それはともかく、確かにその辺は人には難しいみたいだね。最も、僕ら魅龍――厳密には魅龍に限った話ではないけど、僕らにだって思考のバイアスは多少なりとも存在する。そうだなぁ……セラフィやヴェロニカ、ランティあたりは結構そのバイアスが強い方だね――と言っても、君らに比べると大した事ないレベルだけどね。反対に、ジュリアンやシャロナ、ナヴィはあんまりそういうのが無いね。僕とルナはその真中くらいかな……自分の事を自分で評価するのはなかなかどうして難しいけどね」
角の生えた頭をジェリコの方に向けて、地べたに寝そべるような格好をゆっくり取りながらシェリーが評した。
「そうだなぁ……確かにジュリアンはあんまりそういうの無いって感じだったな。強いて言えば知識があり過ぎるが故に個々を理解するのは苦手なのかなって気はちょっとしたな。ルナリアムは知識に偏重していないが故に見たものを見たまま受け入れる事もできる柔軟性がある。その辺はちょっとした違いかな……あの2人の後に会ったランティーカはまた不思議だったな」
ジェリコは傍らに置いてあったカバンから、汲んできた水を入れたボトルを取り出しながら、記憶の参照先をまた少し未来へとずらした。

 氾水世の後に訪れた結貂世けってんせもまた特異的な場所だった、というジェリコの声を、シェリーは横になったまま顔だけ相手の方に向けてふんふんと聞いていた。その声と一緒に、ちょろちょろと水の音が混ざって聞こえている。
「なにせあの世界はここと違って基底面にも大陸みたいな物があったからな。そもそも、浮遊大陸の高度もここと違ってそんなに高くない――もしかすると、基底面の高度がここと比べてはるかに高いのかもしれないが――ともかく、基底面に張ってる汽水も極めて薄い、3エメス4メートル弱超えるか超えないかくらいだ。だからこそ、寝そべってるあの人――というかあの龍はなかなかにインパクトがあったな」
「ガルロアンチュ=ランティーカ・エフェトゥーリオ、僕はランティって呼んでるけど、彼女は"アンティラフィオ"ってあだ名で呼ばれるのが好きだね」
そう言った所で、シェリーの耳にカチッ、という機械音が飛び込んだ。もうしばらくすれば、水の沸く音が聞こえてくる事を期待して密かに思考の片隅で時を数えはじめた。そんな事など知るわけがない妖人は構わず話を続けた。
「その名前なぁ、呼んでくれって言われたんだけどうまく発音できなくてな。それ言ったら不機嫌に『じゃランティーカでもなんでもいい』って言われたなぁ――怒らせたり嫌われたりしたかな……」
「あー、そんな事は無いに等しいと考えていいよ。彼女は常にあんな感じの声色だからね」
「それなら良いんだが――彼女もあまり色々は言わなかったけど、なかなか不思議なカリスマ性の持ち主だった。言葉の濃度が高いというか、必要な事を最小限の事で伝えているというか、全体的として言うことに重みがあった」
「ランティはあまり色々話したがらないからね。ただ話してて分かったと思うけど、別に話が苦手な訳じゃあない」
「そいつぁすぐに分かったな。いわゆる話下手とか言うんじゃなくて、余計な事を言うのを嫌ってるだけって感じだった――まぁ、ちょっと言葉が少なすぎて判断に迷う事もちょいとあったが」
魅龍は気の抜けたようにこてん、と転がって、僅かな間を置いてから口を開いた。
「彼女の悪い所の一つだね……実際、僕らも時折彼女の言いたい事を慮る事ができない――大半の場合は状況であるとか話の筋から類推できるんだけどね」
ジェリコはそっぽを向いているシェリーの方をちらり、と一瞥してから視線を元に戻した。その後で、思慮を少し巡らせた――ただそれだけの事を言うのに、何を考える必要があったのだろうか。彼女は返事をする際にしばしば物思いに耽るような素振りを見せる事はあったが、それは基本的に計算が必要であるとか、人の感情が絡むであるとか言った状態で起きうる事で、『言葉が少ないが故に真意をはかりかねる』という発言に同意するだけの何に思慮を巡らせなければならなかったのか――調査員の男は何故かこのタイミングでその事が異様に気になった。その事を聞く代わりに、妖人は違う方面から攻める事にした。
「そういやそれで気になったんだが、魅龍の間にも話しやすいとか話しにくいとかってあるのかい?」
「あるね。魔龍だろうと機龍だろうと、その辺は意思体のやりとりだからね、どうしても話がずっこける事はあるさ」
結局その辺は言葉の限界なんだろうなぁ、と妖人は呟いた。その後に、シューッ、という加熱器の音が、空席になった二人の聴覚に滑り込んできた。
「……そうだね、その関連で話をすると、魅龍の中で話が拗れやすい奴はもう2人いて、それが今まだちゃんと話に出てきてないシャロナとナヴィなんだ――最も、魅龍の中では、というだけであって、話が拗れない奴の方が少なかったりするんだけど」
「シャロナ……蒼來世そうらいせにいた子だな。確か、妖人に育てられたっていう不思議な子だったか」
「そう、そして僕らの中で言えばぶっちぎりで幼い子だね。幼い分まだ疎通がうまい事できないみたいだ」
ジェリコはそれを聞いて苦笑いを浮かべ、加熱器の方に一度目を落とした。
「幼いであれだったら十分立派だと思うけどなぁ……まぁ魅龍の中じゃ確かに幼いになるのかもしれないが……それはともかく、彼女は単純にいい子過ぎるって所があるが故じゃないか? と俺は思ったな。なんというか、言葉を選び過ぎてるというか――そう、気を遣いすぎてる」
シェリーはふうん、と息を漏らして押し黙った。何か気に障るような事を言っただろうか――いや、彼女の事だから何か思慮する事にでも思い当たったのだろう、と勝手に結論づけた所で、返答が返ってきた。
「気を遣いすぎてる、か。妖人社会に居たが故の弊害なのかもしれないね。僕らはあまりそういう事を気にしなくても大事にならないからいいのだけれど、彼女がかつて居た場所は確かにそういうわけにはいかないからね」
「『弊害』ってのはまた随分な言い方だなお前、俺らからすればそれは『暗黙の了解』、言ってしまえば『常識』だ――最も、その常識を知らない奴が腐るほど居る事を思うとそれを常識と呼んでしまうのは何か違うような気がするが――ともかく、程度は考慮するにしたって気遣いは必要だと思ってる。ただ、彼女はそれがちょっと過ぎると言いたいんだ」
光の少女が再び思慮に入ったまさにその瞬間に、カツン、という音が加熱器から響いた。それを聞いて男はそそくさと茶葉に手を伸ばし、タンブラーに放り込むと加熱器にも手を伸ばした。湯を注ぐ音とともに、少女の声が響いてきた。
「確かに、『弊害』というのは少し誤りだったね。言われてみるまで深く考えた事が無かったけど、僕らの言う『気遣い』と君らの言う『気遣い』ではベクトルが違ってるんだね」
「ほう、と言うと――要るかい?」
「あ、頼むよ――そう、僕らは基本的にあった事や思った事、考えた事はその場で伝え合う事の方を気遣いだと思っている。君らはそういう事であっても、相手にとって不都合であればそれを意図的に隠蔽する場合があって、それを気遣いと呼んでいる。僕らは例えそれが相手に不都合であったとしても伝える事が正しい事だと考えてそれを気遣いと呼んでいる――不都合な事こそ早く伝えるべきだろうって事さ」
湯を注ぎ終えるとともに、ジェリコは唸った。
「確かにそういう考え方の奴は俺らの中にも居る、間違っちゃいない考えだ。これはもう環境の違いとしか言えないのかもしれん」
「環境の違い、か。あまり意識した事が無かったな――」
そう言ってシェリーは器の中をくんくんとにおった。ジェリコはその様子をタンブラーを啜って眺めていた。

「環境というと、個人的にここと大きく違うなって感じたのは最後に行った極陽世きょくようせだったな――あれ、"きょくようぜ"だったか?」
「どちらでも良い、という事になっているね」
お茶を啜ってから、シェリーが補った。
「そもそも、その世界の性質から、極陰世きょくいんせと呼んでも問題はない事になっている。あの世界の構造の不思議さについては、君も見たから分かっていると思うけど」
うんうんと頷きながら、ジェリコは自分が見たものを鮮明に想起した。
「何から何まで不思議な世界だったなぁ……なにせ、俺らがこの世界で基底面と呼んでいる、汽水なり岩石なり何なり張ってるはずの場所に何も張ってないんだからな。代わりに、基底面から上の世界が鏡写しのようにそっくりそのまま上下逆さまにひっついたような形をしている――だから、あの世界でいう基底面は重力平面と呼ばれていて、その平面に向かって重力が発生しているという実に興味深い世界だ。ちょうどその平面に浮遊大陸が浮いているから、大陸の上側と下側でそれぞれ街や国が形成されてるときた」
あの世界の地図は今見てもワクワクする、とつぶやきながら、調査員は活き活きと傍らに置いてあったリュックの中身をゴソゴソと漁り始めた。龍の少女は、その様子を面白そうに眺めながら、リュックの方へ少しずつ近づいた。
「お、あったあったこれだ」
ジェリコは丸められた布を勢い良く取り出し、目にも留まらぬ手早さで床に広げてみせた。布には鏡写しになったような模様が縫われており、片方は淡いオレンジ色に、もう片方は薄い藍色の背景があしらわれている。
「この橙色の方が陽界と呼ばれて、光が射している側、そして藍色の方が陰界と呼ばれる光が射していない側の地図になっている」
「常に昼の側と、常に夜の側なんていう風に呼ばれている事もあるね。実際、違う並世に行くとそんな風に呼んだ方が分かる人も多いみたいだ」
「彼女がいるのはその常に夜の側の空だったな。と言っても、空の大半が彼女に埋め尽くされていたような気がしたが――まさかセラフィーナが言ってた事そのままだとは恐れ入ったが」
綿あめといい勝負の軽い笑い声が、部屋を抜けて夜闇へと浮かんでいった。
「ナヴィは魅龍の中で一番大きい体してるからね、あまりに大きすぎるから普段はそこらに今の僕と同じスケールの分身をばら撒いて遊んでるような子だ」
「……ディオシアン=ナヴァロス・アンフレマ……あぁ、『ナヴァロス』のところで"ナヴィ"か。彼女と一緒にいた観測者の少女はシアンと呼んでいたような気がしたから結構考えちゃったな――いや、俺が驚いたのはそこじゃなくてだな――」

 ジェリコは、極陽世の暗空を埋め尽くすナヴィの姿を見上げた状態から、ゆっくりと目の前にいるナヴィの写し身へとその視線を下ろした。
「しかし、同じ魅龍でここまで大きさに違いがあるってのもなかなか興味深い物だ……蒼來世にいたシャロナって子は本人曰く幼いらしいがあのサイズだったからな……」
「私は彼女よりは永く生きていますね、ただ彼女のサイズはおそらくあれより大きくはならないと思いますよ」
「寧ろ私はシアンさんと同じ魅龍で、私達と同じかそれより一回り大きいくらいのサイズの方が居るという方が驚きです」
「まあ、私と貴女が生まれたの殆ど同じ時期でしたけどね」
「へぇ、ナヴィさんとシェリーって大体同い年……え?」

「あはは、そういえば僕生まれた時期とかその辺について言った事無かったね」
床に広げた地図を丁寧に巻きながら、ジェリコも思わず笑い声を上げた。
「実際どうなんだ、同じ時期に生まれた奴があのサイズになってるってのは」
「僕はあんまり気にしなかったからなんとも、としか形容できないね。体の大きさとか体型とかを気にする奴がいないわけじゃないけど、僕はそうじゃなかったって話だね」
「彼女もあんまりそんなの気にするタイプじゃなさそうだったし、それもそうか――なにせ、『寝てたら大きくなってたようですね』とか言ってたからな。『寝る子は育つ』、とはどこの世界の慣用句だったか」
改めて笑い声が一頻り響いたところで、ジェリコは丸めた地図をリュックに、取り出した時とは打って変わって、丁寧に、ゆっくりとしまい込んだ。物がしっかりと収まったのを確認してからリュックの蓋を閉じて、ふと男は口を開いた。
「こう考えてみると、俺らと君らの違いって一体どこにあるんだろうな。体の大きさとか外見とかその辺が違うのは良いとして、精神的、思考的な違いというのはどの辺にあるんだろうか」
「……さあ、実は僕もそこが結構気になっている所だったりしてね。僕はなかなか面倒極まりない考えを持っていてね」
シェリーは置いてあったタンブラーの中身を啜ってから後を続けた。
「僕はね、何かしら違いはあると考えてはいるんだ――ただ、その違いが何かと聞かれるとなかなかに答えづらい……いや、白状すれば、僕自身も分かっていないのかもしれない。ただ、僕なりに一つ違いを挙げるとするなら、全体の事をあまり僕らは気にしないという所はあるんじゃないかな、なんて考えるよ」
「全体の事を気にしない、か。確かに君もそうだけど、魅龍が魅龍全体に悪いから、とか良いから、みたいな事は言ってない気がするな」
「君らはよく何かしらの組織や集団を挙げて、『何々に迷惑が掛かるから』、とか『全体の利益にならないから』、とかいう事を言うけど、僕らはそういう事を気にしないんだ――まあ、僕らは8体しかいないからってのはあるかもしれないけどね」
ジェリコはうーん、と唸ってから口を開いた。
「あんまりその辺は大きな要因じゃないように思うな。俺らは下手すると2人でも相手の事を気にする。仮に親しい間柄だったとしても多分それは変わらんし……うっかりすると親しい方が相手の事を気遣うだろうな。君らのように、8人しかいなかったとしてもその8人が互いの事を知っているのなら、きっと俺ら妖人は互いの事を気にして変な動きをしたりしなかったりするだろう」
今度はシェリーが興味深そうにふーん、と息を漏らした。
「というと、同じ8人でも互いの事をよく知らないような集団だとその傾向は小さくなったりするのかい?僕らはどちらかというとそっちの方が危険なように思うんだけどな――相手に与える影響が予測しづらいという意味で」
「あー……いや、多分そんな事は無いだろうな……そういう奴もいるかもしれんが……んー……違うな、もしかしたらそうなのかも知れん。少なくとも妖人の中だけで話をするなら、知らん奴相手なら何をやってもいいみたいに考えてる奴がいないわけじゃないからな……」
ジェリコは、無機質な天井にため息を投げつけてから、今一度手元のタンブラーの中へ視線を放り込んだ。
「妖人と魅龍の違い云々の前に、まず妖人が何者なのかを知らないといけなさそうだな。俺らは自分でも、自分が何者なのか理解なんてできちゃいないのかも知れん。色々な物、人――あるいはもっと大きく存在とひと括りにしてしまってもいいかも知れんが――そういう物と出会う度に、自分との違いを感じ取る事はできるが、逆を言えば『違いは何か』という形でしか自分達の本質を知る事ができないのかも知れん……なるほど、これは俺もあまり考えた事がなかったな」
「――本質、か。僕らもあまり自分達の本質がどういう物か、というのはあまり考えていないように思うな……そもそも、そんな事気にしなくても困らないからね」
2人はタンブラーの中身を啜ってから、困ったような笑みを互いにぶつけ合った。
「俺らも同じかも知れんな。別に自分が何者かなんて気にしないでも人生は何とでもなってしまう事の方が多いからなぁ。それこそ、一から自分について考えるなんて、この史跡を一から調べるより難しいだろうからな」
それを聞いて、魅龍の少女は唐突に現実をぶっきらぼうに叩きつけた。
「そういえば、そっちは君どうするんだい?ここの灯台跡の意義をどうやって見つけるのか、みたいな話を最初にしていたような気がするけど」
「ああああああ、お前ここでそういう事言うかお前……」
唸り声を上げながら、ジェリコはタンブラーを傍らの遺構の上に置いてみせた。
「まー、もうあらかた見張り台から観測できるような物は全部見てしまった感があるからなぁ……それこそ、冗談でも何でもなくここを一からまた調べ直すでもしない限り何か発見も無いだろうしな……最も、最初の30日であれだけの人数割いて調べたのに気づかんかった事があるかって言われると怪しいがな」
「案外あるかも知れないじゃないか――意外とこの灯台跡から遠くないところに」
んふふ、と妙に色っぽい声で含み笑いを漏らしながら、外を眺めに窓際に移った魅龍が背を向けたまま投げかけた。妖人はふはは、と大きな笑いでそれを受け止めた。
「なるほど、『遠見は足元の蠍に倒るる』って奴だな……確かに、こっからじゃ遠くしか見られないからな――よし、じゃ寝る前にちょっとこの塔の周りでも散歩してみるか」
ジェリコは、リュックからランタンをさっと取り出すと、慣れた手付きで火を入れて、外へ通じる下り階段をそそくさと降りていった。

 外に出ると、夜風がいい具合に吹き抜ける音がわずかにするばかりの空間へと誘われた。なるほど、思えばこの灯台跡を夜に見上げた事はなかったな、と考えた男はどこか活き活きとしながら塔を見上げた。さっきまで自分が居た部屋の窓の一つから、シェリーがこちらを見下ろしていた。相手は自分の姿が認知された事を察すると、おどけたように片手をぴろぴろと踊らせてみせた。それに応えるように、ランタンを少しだけ揺さぶると、そのまま視線を上の方へと滑らせていった。ほぼ円柱だが、わずかに角張った所もある無機質、だが美しい外壁が星空に照らされて淡く光っている。そのまま灯室の大窓に目をやると、最初にここにやってきた時に見張り台に置いてきた魔力ランタンの真紅の光が微かに漏れ出ている――ことを確認するやいなや、ジェリコの視線はさらにその上へと一気に引き込まれた。
「……なんだあれ……?あんな模様あったか……?」
灯室のさらに上の部分の外壁に、見慣れない模様――どちらかといえば印章か何かに近い模様が1つ、青白く浮かび上がっていた。紋様から放たれる光が光の薄い幕を夜空に張っており、その事からすぐに強い指向性を持った光である事はすぐに分かった。
「何か面白い物でも見つかったかい」
視界の下側から、シェリーの声が響いた。
「興味深い物が見つかった」
「ふふ、それは『面白い』とはまた違うのかい?」
「勘違いされちゃ困るな、『面白くない』なんて言ってないだろ?」
やれやれ、と言いたげな表情を浮かべて、シェリーが窓の中に引っ込んだ。その様子を見る間もなく、ジェリコは塔の中へと駆け込んだ。拠点にしている部屋への階段を登りながら、明日以降の調査計画を組み上げた。階段を登りきったところで、調査員はその計画の第一段階に着手した。

追記 光遷世歴1823年第7月35日9限68度
 9限過ぎに第一塔の見張り台上部の外壁に紋様が現出している事を確認した。シェルエスフィカ=マリアンヌ女史の協力の下、紋様を撮影したので、共有データベースのサン・マテューリオ灯台跡部門に配置する。現時点でこの紋様が意味する所や紋様の現出原理は不明ではあるが、この灯台跡の意義を調査するにあたって大変に興味深い物である事に疑う余地はないと思われる。また、この発見に伴い、主な調査を夜間に行ってみる事とする。日中の調査についても、今一度外壁などから分かる事がないか、注意深く調査を行ってみる事とする。今後の調査結果次第ではあるが、次回の定期報告の場は泊まり込みで行う事を提案する事になるかも知れないので、その覚悟をしておいて頂きたい事をここに明記しておく。今後の調査報告に期待して頂けると幸いである。
  サン・マテューリオ灯台跡調査担当 ジェリコ・ユートバニエ

再追記 光遷世歴1823年第7月35日9限76度
 シェルエスフィカ=マリアンヌ女史が協力報酬(※)として要求しているので、次回の物資補給の際、前回特別に依頼したアレムの茶葉を再度支給するよう要請する。
 ※これは建前で、本人(龍?)がいたく気に入ったから、というのが本当。
  サン・マテューリオ灯台跡調査担当 ジェリコ・ユートバニエ

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