不幸話バトル国際戦で大敗した思い出

 一つの出会い

病気がちであまり学校に通えず、引きこもりをしていた20歳。不幸だなとかネガティブな話ばっかり考えていた日々でした。

社会復帰をしようとしていた頃たまたま出会った黒人の女子高生が居ました。

忘れられない身の上話

彼女が語る生い立ちに衝撃を受けました。ルワンダ人の彼女は、ルワンダ虐殺後の難民キャンプ生まれの子と話し始めました。お兄さんや家族はなんとかルワンダから隣国?に逃げたそうです。

ルワンダ虐殺は世界史専攻であったのでサラリと名前は聞いたことがあり、私が生まれたあとにこんな事件があったなんて信じられないなと感じましたが、遠い国のお話でした。

第二次世界大戦などずっと昔に行われた戦争と同じような感覚で生きていたので、同じ空間にいる少女から発せられる言葉に信じられないなと言う気持ちでした。

その後、日本にやってきて東北地方に家族で暮らし始めたのですが、彼女が高校上がる頃3.11東日本大震災起こり被災したそうです。

ルワンダ虐殺は遠いお話でしか無かったのですが、3.11という身近に感じた災害の話と合わせて聞いてしまったので、壮絶という言葉しか浮かびませんでした。

そんな彼女は、自身の経験から国際的に活躍する看護師になりたいと語っていました。初めてあった人の夢でしたが、心の底から叶えてほしいと強く、強く、思いました。

不幸と感じていたけれど

私不幸で可哀想だなと当時思って居ましたが、衣食住困らずに暮らすことが出来る事や危険な思いをしないで生きられる事の幸せを噛み締めました。

私の方が歳上なのに夢も持てず不幸嘆くだけで何してるんだろうと、不甲斐なくて泣きそうになった事は今でも覚えてます。

終わりに

連絡先など知らないので、彼女の夢が叶ったかも知ることは出来なかった部分や、話を盛っている部分などあったかも知れません。

しかし私はこの出会いがなかったら今の幸せに気がつけなかったなと思います。会えないけどありがとう。

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