善とは

はじめまして。笹食レッサです。
私の短所について書いてみようと思います。

「考えすぎる事」

が私の短所です。
例えば、今日あった事で言うと…

仕事帰り、数メートル先を右手に「白杖」、左手に「杖」のようなものを持った人が、車道すれすれを歩いていました。
歩道ではあるのですが、白線の内です。
もう2〜3メートル寄れば、点字ブロックのある広い歩道を歩けます。

あと数メートルですれ違うと言う時、目の前で白杖が手から滑り落ちました。

視力はどのぐらい残っているのか分かりませんが、手探りで徐々にしゃがみ込む形になりながら探しています。
気づけば声をかけていました。

「すみません。杖拾いますよ。」

そう言って、白杖の持ち手を軽く手に当てます。

「すいません。ありがとうございます。」
その人はお礼を言うと、再び歩きはじめます。

「いえいえ。」
レッサはそう言うとその場を離れました。
しかし…

このまま車道側に寄っちゃったら、事故るじゃん!

ふと思い、すぐに引き返しました。
「すいません。そこ車近いです。」
急に話しかけたので、多分驚かせてしまいました。反省。

「そこは車道側なので、こっちに移りませんか?」
レッサが聞くと、すぐ返答が返ってきました。

「こっちってどっちですか?」
そうです。目が見えていないのです。
「あっち」「こっち」といってもわからないのです。
レッサはない語彙力で話しかけます。

「一旦後ろを向いて、少し歩いてください。」

少しと言うのもきっと分かりにくかったですね。
「もう少し、もう少し…そこで右を向いてください。」
ゆっくりと行動を見守ります。

「そこ小さい段差があるので気をつけてくださいね。」
器用に白杖を使用し、段差を超えました。

「前に4歩歩いたら、点字ブロックがありますよ。」
そうして無事に安全な歩道上に案内する事が出来たのです。

ふと気になって、
「何かお探しでした?」
と聞いた所、大きめの車をバスと勘違いしたとの事。
うっっっっすらとは見えてるって事が分かりました。

その人は目的地は分かりそうとの事だったので、その場でさよならしました。

ここまではよかったのです…

これは必要な善だったのか?

そんな考えで頭がいっぱいになります。

もしかしたらいつも車道側を歩いているかもしれません。
もしそうだったら、いつもと違う道で迷っちゃうのでは?

最後まで付き添ってあげるべきだった?中途半端?

なぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!
いつもこうやって後悔してしまうのです。

人助けも中途半端だと、それは嫌がらせと同等なのではないか。そんな風に思ってしまうのです。
歩道に上げたの自体、本人が望んでいた事なのだろうか。
人の心が覗けたらいいのに。

今日の人が無事に目的地にたどり着けてますように。

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