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見えてきた風景

こどもの頃のわたしは
嫌いなものが多かった。

流行りものが嫌い。
見た目のきれいなものが嫌い。
着飾ったものが嫌い。

大切なのは、見えない場所にあると
信じてたから。

おしゃれもしなかったし
テレビも見なかった。

何が流行ってるなんて
まるで興味がなかった。

見た目ばかりにとらわれてる
世の中をナナメに見てたし。

人も好きじゃなかった。

なにより、そんな自分自身も
大嫌いだったな。

わたしは、孤独な少女だった。


でも、いつしか家庭を持ち、
こどもが生まれ
この子達のためにできること。
と、悩んだり考えたり、
精一杯をかさねるうちに。

わたしは、大切なのは
人と関わり続けることと知った。

我が子たちを、わたしと同じ
孤独にさせたくなかったから。

わたしは、努力した。
自分の苦手と、自分の心の裏と、
向き合った。

そうしてるうちに、人と関わりを続けるに、
とても大切なのは、その人の
いいところを見つけることだと知った。

その人にしかない
素敵な宝物を、みつけて。
また、みつけて。

そうしていくうちに
見えないものが、見える場所に
滲み出ていることを知った。

内側だけでなく、
外側の、美しさも知った。

好きなものが、ひとつ
またひとつと増えていった。

見えるもの、
見えないもの。
内側と、外側。

どちらも、同じくらい
大切で、美しいものなんだ。

それが、わたしの
見えてきた風景。


人だけでなく、
たくさんのものを好きになることは
楽しく。しあわせな作業だ。


今、わたしは
たくさんの人と出会い、
関われている。

毎日会える人は家族だけ。
次に、たくさん会えるのは
職場の人。

それ以外の、友達や
いろんな出会いを重ねた
大好きな人達とは
数えたら、月に何回、
年に何回会えてるかわからない。

世の中が、こんな状況になり、
ますます、出会えた人と
過ごせる時間の少なさを痛感する。

だからこそ。

嫌い合う時間なんて、ない。
いがみ合う時間なんて、ない。

出会った意味なんて
考える必要も、ないのではないか。
と、思う。

ただ、ただ、
出会えて関われてるひとに、
ありがとう。

このきもちを、今日も重ねて。
後悔も、不安も、心配も、
どこか遠くへ置いてって。

今日という日を、
これからも、変わらず、
重ねていきたいと、思う。


そんなことを、書き残したくなった
三月の、終わりの日です。


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