MOVE 10



 ◆◆◆

 聞いた事もないようなお町の取り乱した声に二人は叩き起こされた。
 ホバーバイクを地下通路に引き入れて、キッドは暗闇の中へ滑り出した。地下通路はこれが初走行になる。ボウイが確認してからの筈だった。障害になりそうな岩などがないか、慎重に飛ばしていく。床に簡単な金属の板が並べてあるだけで、他は岩盤が剥き出しになっていた。所々、染み出した水が溜まっている。黴混じりの土の臭いがするが、ソドムの埃っぽさよりは湿度が心地よい。
 夕べ一人でこの通路を帰っていったシンの事を想像して、汗が吹き出るような恥ずかしさと気後れを感じつつ、無事に基地のゴミ処理施設に到着した。

「通路クリアだ、ぶっ飛ばしていいぞ」

 真っ先にボウイに連絡を入れる。ポンチョの到着までの少しの間、洞窟のフタ役を頼むためにエルドネを呼びに行ったボウイも、もうスタートを切るところのようだ。
 基地内の重要ポイントを繋ぐ動線が悪い。せっかく先行したのに上階に着くまでにボウイが追い付いて来そうだ。いずれなんとかしなければと感じながら、キッドは最上階のアラートハンガーにたどり着き、最初に着陸したままそこにある母船に駆け込む。
 お町は母船の中のキッチンにいた。

「キッド、、、!」

 足音を聞き付けたのか、キッチンから駆け出してきたお町は、まるでそこらに居る普通の女の子のようにキッドの胸に飛び込んだ。

「どうしよう、あたし、、どうしよう、、、!」

 初めてお町から男扱いされたような気分だった。戸惑う気持ちをそっと隠して、キッドはお町のなめらかな肩を押し戻す。

「アイザックとシンは?」

「ア、アイザックは手がかりが無いかって、部屋を見てる。シンは、、ねえ、わからない、、あの子なに考えてるの?自分の部屋から出てこないのよ!」

 言葉に詰まった。そっちは自分達のせいだ。

「わかった。、本当に居ないんだな?」

 メイが、居ないのである。キッチンに簡単な朝食が用意されていたが、料理もキッチンの空気も冷えきっていた。

「さがしたわよ!どこもかしこも!」

「ご、ごめん。今ボウイも来る。ブリッジでメイに呼び掛けて、ビーコン探してて。それぞれの通信機よりブリッジのが手っ取り早い。俺、シンのとこ行ってくるから、な?」

 心細げなお町につられていつになく丁寧に扱う。本人にそんなつもりはなかったが、キッドはキッドでお町をまともに女性扱いした事などなかったのかもしれない。

「着いたか?ボウイ」

『チッ!まだだよっ』

 通信機から聞こえる無遠慮な舌打ちがこの際、頼もしく思える。メイは居なくなる、お町は狼狽える、シンは立て籠る、アイザックなんか何してやがんだあの野郎、だ。まともなのはボウイ一人になってしまう。

「ブリッジにお町が居るから、話きいてやってくれ。あとポンチョにエルドネのこと知らせとけよ。シンが閉じ籠っちまってる。そっちは俺がなんとかするから」

『え、、ソレ、任せていいのか?』

「ああ。大丈夫」





 丁度いい高さにある母船のインターホンが妙に有り難い。キッドはシンの部屋の前でふっと軽く息を吐いた。
 すぐ隣や向かいの部屋で自分達が夜を過ごす時どんなだったか、シンは想像したり打ち消したり、きっと混乱しているだろう。それを思うとまともに顔を会わせるのは度胸が要るが、そこは開き直るしかない。世の中の人間、みな開き直って生きている。キッドだけはそれをしなくていいなんてことはないのだ。

「シン!俺だ!居るんだろ?」

 インターホンを押し続けながらキッドは少し大きめの声で呼び掛けた。なにもかも、まずは顔を見てから話がしたい。ここから出てきてもらうのが先だ。

「聞こえてるだろ?シン!メイから何か聞いてないか?」

 押しっぱなしでだんだん指が疲れてくる。指先をこんな雑な使い方をするとは、やはり少し力みすぎているかもしれない。指を代え腕を代え、何度も呼び掛ける。こんなに手間がかかるのは今まで隠していた酬いだ。原因を作ったからこの結果だ。
 シンの事は後回しにしようかと、迷いも生じるが、そのたびにキッドは思い直して呼び掛けた。こればかりは次にバトンを回す相手はない。

「シン!頼む、出てきてくれ!なあ、ブラスターでドア、、焼き切らなきゃ、、だめなのか、、?シン!」

 時間が過ぎるほど、どんどんメイへの心配が増してきていたし、今はボウイが言いくるめているだろうが、他の者がここへ来てしまえばこっちの話はなしくずしになりかねない。本気でブラスターを手にしようかと思った頃合い。シュッとドアが開いた。

「し、シン、、」

 全身から力が抜ける。情けない顔のままシンに飛び付きそうになって、とどまった。無神経に触れたらさらに要らぬ想像を引き出してしまいそうだ。

「キッド、、覗いたりして、ゴメン!!!」

「え、、」

 要らぬ想像はキッドの方だった。わずかにそんな考えを巡らせる間に、シンは勢いよく頭を下げていた。完全に先を取られてキッドはたじろぐ。それをしなければならなかったのは自分の方だったのに。
 それに引き換え、シンの、、そう、この成長ぶりときたらどうだろう。まだバリバリに怒っているとばかり思っていたのに。

「シン、、お前、、」

 大きく、なった。なんだかすごいものを見せられた気がして、胸がいっぱいになる。自分の事は脇に置いて、ただシンの成長が頼もしく、嬉しい。

「すまん!黙ってて、悪かった」

 気を取り直し、これに甘えたら負けとばかり、キッドも頭を下げた。

「、、、ほんとに、、ボウイと、、」

 シンはシンなりに混乱していた。聞こえてきた二人のやりとり、どう見たってキスにしか見えないキス。それを何か別の解釈が出来る余地がなかったのかと。ふざけてだって、例え罰ゲームでだって、特にキッドがそんな事をするとは思えなかった。自分の勘違いでとんでもないセリフを投げてしまったのではないかと、不安が拭えずにいたのだ。
 キッドが縦に頷く。ここで顔を赤くしたくはない。堂々として見えるだろうかと気にしながら。

「付き合ってる。アイツのこと、愛してるよ」

 本人にさえ言わないも同然の言葉だった。

「シン、この話は少し落ち着いてからでいいか?今はメイが心配だ」

「あ、、うん」

「それとな、ボウイには当たらないでやってくれ。ぜんぶ、俺のせいだから」

「わかんないけど、、、わかった。それで、、、あのさ、ポヨンは?どっかで見なかった?もし姉ちゃんが連れてったなら、そのうち帰ってくると思うんだけど」

 シン曰く、もしへそを曲げて飛び出したのであったとしても、ポヨンと一緒であれば日が暮れる前には戻る。気晴らしのプチ家出だろうと言う。メイがそんな行動に出たことはないが、そこは実の姉弟のカンである。と言うより、自分ならそうすると。その場合、ポヨンを人に見られて騒ぎになるよりは、地下基地周辺の野山で過ごす。
 ポヨンを置いていったのであれば、まったくもってこちらの気の回しすぎであり、単に出かけているというパターンがひとつ。この場合、探すべきはメイが用のありそうな人の多い場所だ。そしてもうひとつのパターンは、覚悟のマジ家出である。
 お町をブリッジに置いて、到着したボウイと三人でポヨン大捜索である。アステロイドの基地であれば生体センサーがあった。プライベートの事もあるので普段はオフにしていたが、ポヨン探しと言えばセンサー頼みだった。
 不必要なドアは閉まっているとはいえ、慣れぬ基地だ。小一時間ほどもかかってそれぞれブリッジに戻ってきた。ポヨンは居ない。

「戻って来ると思うんだけどなぁ、、」

 シンはのんきに首を捻っているが、キッドもボウイも落ち着かない。

「とにかくさ、一通り外を探してみようぜ?じっとしてらんねえよ俺ちゃん」

「案外、近くに居れば、笑い話で終われるしな」

「この山の周辺頼むわ。俺ちゃんの方が街中はわかる。朝市も立ってるはずだから」

 二人だけでサクサク決めるとそろって走り去ってしまった。
 今までと何も変わったところのない二人の背中を、シンが複雑な気分で見送っていると、後ろでお町が呟いた。

「遅い、、」

 通信システムのパネルとにらめっこをしていた彼女は、いきなりパネルを叩いて立ち上がった。

「遅すぎるわよ!いったい何してるの、アイザックは!シン、ここお願い!」

 狼狽から怒り心頭にジャンプしたお町をもまた見送って、シンがため息混じりに通信席についた。

「なにやってんだよ、姉ちゃんは。おーい、姉ちゃーん、お姉さまー、姉上さまー、、、おーい、、、」

 身内ゆえか、子供なのか、彼はそんなノリであった。



 

 光速母船の中は使い勝手がいい。途中からではあろうが、J9 のメンバーが外宇宙に出る事を目的として造られている。
 その使い勝手と居心地の良さに配慮を施した人物の写真がメイのデスクには置いてある。ラスプーチン、そしてエドモン兄弟。マカローネやグラターノの写真も並んでいた。彼らはそれぞれに、リン・ホー姉弟の行く末と、若くして彼ら双子の養育を決めたアイザックとを気にかけ、見守っていた人々である。
 インテリアの面では殺風景と言わざるを得ないが、なかなか混乱している室内。何しろ今は引っ越しの途中であり、母船は中継ぎの経由地のようなものだ。プラスチックのコンテナあり、木の皮の籠あり、布袋あり。メイの物でない品までこの部屋に詰め込まれているが、それらはだいたいこの星に来てから増えた物ばかりだ。
 木星破壊のさなか、最後までJ9 基地にいたメイとシンでさえ、運び出せた物などほとんどない。一枚の木の板にクリップされた写真も、こちらへ来て改めてプリントした物だ。
 それ見たことかと、マカローネが、、、お前がしっかりせんでどうすると、エドモンが、、、。ラスプーチンならば、、、、。
 手作りの小さな赤いリュックと、四枚のメモをメイのデスクに並べたまま、アイザックは呆然と座っていた。
 メイとシンが、世間で言うところの難しい年頃になった今、相談できる年長者が居ない事に愕然とする。亡くした者達への思いと共に、振り切ってきた己の親族をまた思ったが、自分が伯父を慕い感謝していた気持ちと、メイの自分への気持ちとのあまりの違いに途方に暮れるばかりだ。
 ドアの電子音が短く音をたて、インターホンからの声もないまま開いた。途端に、ドアの内側でうずうずしていたポヨンが飛び出し、お町と衝突する。

「ポヨン!!あなたここに居たの?!あ、待って、待って!行かないで。もうちょっとここにいて?ね?」

 暴れるポヨンをお町がなだめながら抱きかかえる。ポヨンはしきりとドアを意識していた。メイを探しに行きたいのだ。
 ではシンの言うことを信じるならば、メイはキッドかボウイがすぐに見つけて帰ってくるか、最初から心配している通り、だ。

「お町、、」

 怒鳴り込むつもりで来たお町だったが、ポヨンとの衝突でうっかり気勢をそがれてしまった。椅子から動こうとしないアイザックに静かに歩み寄る。

「ポヨンのリュックに入っていたんだ、、」

 アイザックは飾りも何もないシンプルなメモを四枚、お町に差し出した。

 お町へ、、心配しないで。
 ボウイへ、、ありがとう。
 シンへ、、ポヨンをお願い。
 キッドへ、、好き嫌いするくらいならちゃんと文句言ってください。注文してくれれば屋台より美味しいもの作ります!!

 キッドが見たら仰天する事間違いなしである。これではキッドが原因で飛び出したようにしか見えない。
 メモは四枚、だった。

「自分宛のメッセージが無いからって、ショック受けてる場合じゃないでしょう?!」

 メモはポヨンのリュックから出てきた。連れていくか迷った果てに、メモを残したのではないか。お町は部屋の中を二、三、目を走らせて確かめた。護身用のブラスターもちゃんと、無い。通信機も持っていったようで安堵したが、ビーコンも出さず、応答もしないのであれば本人頼みだ。

「わかってるんでしょう!あの子、もう帰って来ないわよ!」

 ぐっと、一段深く俯いたアイザックの顔を真っ直ぐな黒髪が隠す。

「あんなに夢中で、、分析していたのに?データを放り出して?部屋を、、こんなに散らかしたままで?アステロイドで、調理師や栄養管理の資格に挑戦しようとしていたんだ。一からやり直しだと、張り切っていた。母船の操縦もシミュレートを卒業する所だ。ポンチョについて回って、たくさんの人と知り合いになりたいとも言った。それを全部、メイが放り出したと言うのか?」

「アイザック!!」

 抱いていたポヨンを勢いよくアイザックにトスし、次の瞬間、パン!と、いい音をたててお町の手がアイザックの頬を打つ。

「まだ、、子供の一時の我が儘だと思ってるの?」

 痛むてのひらを握りしめ、お町は涙を押さえ込むように赤い髪を大きく後ろへ払った。

「こんな事なら!もっとずっと前に、あなたにハニートラップでも何でも仕掛けておけば良かったんだわ!虜にして、それから手酷く裏切って!みんな傷つけて、捨てて!ここから出ていけば良かったのよっ。そしたら、そしたら、、、っ、、」

 そうしたら。傷ついた自分のそばにメイが居る奇跡をアイザックとて思い知っただろう。その時メイがどれだけ大人の女性か気づいただろう。
 大見得を切りながらも涙を押さえ込む事には成功できていなかったが、こぼれ落ちるものをもうお町はかまわなかった。

「あんまり早くから恋愛なんかしちゃったら、アタシみたいになるとでも?そんなわけないじゃない!あの子がアタシみたいな女になんて、なるわけないじゃない!心配なら今からでも居なくなってあげるわよ、変な影響与えなくてすむでしょう!」

「お町、、何を、、」

 感情に引きずられて理屈の筋が混乱している。お町にしては珍しいことで、アイザックも動揺して瞬きを繰り返したが、彼女は見事に己を引き戻した。

「、、ごめんなさい。余計なことまで、言ったわ」

 自分の代わりにお町を椅子に座らせ、アイザックはそばに膝をついた。

「すまない、お町。悪影響などと思ってはいない。君にはいつも感謝と尊敬を捧げている。そんな風に思わないで欲しい」

「アイザック、、アタシをほめてどうするの。しっかりして?そう言う本当の気持ちを、メイに言ってあげて欲しいの。どうしてもダメなら仕方ない。でもね、たしなめたり、言い聞かせるんじゃなくて、その時はちゃんとフッてあげて?」

 ほんの小さく、、それは瞼を少し下げただけの事だったが、アイザックは頷いた。

「メイをこのまま行かせてはだめ。それとこれとは別よ。フラれて出ていくのだとしても、せめて居場所は知っていないと。あなたの伯父様が、あなたにしてくれたようによ」

 アイザックを暴力的に連れ戻す事も可能な権力がありながら、それをしなかった人物。自分の父とは違って、決してアイザックとの繋がりを手放したわけではなかった人物。父を亡くしてからまだ二年と過ぎていない事をお町は思い出していた。
 マチコの事など放っておけ!と、あの頃は母に怒鳴る姿が目に浮かぶようだった。そうしておいて、自分で方向転換が出来なくなってしまった不器用な人だったと、、今なら少しわかるけれど、アイザックと伯父との関係はお町には羨ましく思えていた。
 自分たちが親にした仕打ちを、メイにまでさせてはいけない。これを繰り返せば、キッドも、ボウイも、同様に傷つく。

「ありがとう、お町。必ず見つける」

 まずはそれからだ。メイの気持ちにどんな返事が出来るのか、アイザックはまだ少し自信がないけれど、次にメイの顔を見る時にはお町のいう通り、、、。

「でもあの子、行く宛なんて、、、アタシぜんぜん見当がつかないのよ、、、」

 怯えて荷物の隙間に入り込んでいたポヨンがぽてぽてと歩いてきてアイザックの顔を見上げる。

「お前が犬なら良かったんだが、、、」

 ポヨンを抱き上げる柔らかい仕草は、どこかメイとそっくりだった。



               続く


 
 
 

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