MOVE 11


 ◆◆◆

 メイを乗せたトラックは川沿いを北へ進む。円環都市の周辺や南側に向けては乾燥気味のワイルドステップが広がっているが、今見えている景色の中で緑はどんどん濃くなってきていた。
 ルトの畑を、初めて見た。てっきり木に生っているものと思っていたが、どうやら背の高い一年草に見える。
 荷台に立ち上がって、なんとか景色が見渡せる。どこまでも続くルト畑と張り巡らされた用水路。所々に木に囲まれた集落や、遠くの方では別の作物の畑がモザイクを描く。ソドム辺りに居ると気づかなかったが、想像よりずっと沃野だとわかり、メイは目を輝かせた。
 畑が減り、森や林が多く見えはじめる。少し早さを増した川に沿っている集落を抜けると、トラックは木々の間を少しづつ上って行った。

「さあ、お嬢さん!ここがうちの自慢の畑だ」

 運転席から下りた小柄な中年男性が小屋の裏手の山へ向かって大きく両手を広げて見せる。

「こんな山の中でルトを?」

「斜面の上側からだと、収穫がちょっとラクできる。なまけものの知恵だよ。さて、着いたばかりで悪いが、空の籠をあっちの倉庫の前へ頼むよ。私はさっそくルイーズを呼んでこよう。リンダの消息が知れたんだ、泣いて喜ぶぞ」

 リンダの義兄、クアンはおどけたウインクを寄越すと、朝市で得た売上金も運転席に残したままで山の小道を上って行った。
 その日、夫婦は午後の畑仕事をすっぱり止めて、長いことメイと話し込んだ。義憤に駆られて脱走者組織に身を投じたリンダが北極に行くまでの波乱に手を握りしめ、跳ねっ返りだった彼女が思いの外、危険な事ではなく料理で人の役に立っていると聞いては泣き笑いをした。


 窓を開けると木々を渡る風が心地よく入ってきた。地下基地のある山はほとんどが岩と、灌木がまばらに生えている程度の、言ってしまえばハゲ山だが、ほんの半日トラックに揺られただけで、ここは水にも緑にも恵まれて空気まで違うようだ。
 用意された部屋は、倉庫と作業小屋を兼ねている別棟の二階だった。二つある月のおかげで、街頭もイルミネーションもないのに、川はきらきら耀き、坂下の集落のたたずまいも美しく見えている。
 明日は一日、農作業を手伝わせてもらう。ルトの事をもっと知りたいのだ。リンダがよく姉夫婦のルトを自慢していた。小振りで量もたくさんは獲れないが、とにかく瑞々しいのだと。
 慣れない体の使い方をするはずだから、今日は早く寝なければならない。今は、リンダの頼みを成し遂げられた嬉しさと、喜んでくれた夫婦の温かさとに包まれたまま、眠りにつきたい。他は何も考えずに。
 夏が終わろうとする季節である。窓を閉めるべきか、少し開けておくか迷っていると、静かな景色の中に機械的な音が聞こえた。
 緊張して耳を澄ます。やがて木々の間に左右に振れるヘッドライトの灯りが見えた。クアンのと同じようなトラックが一台上って来る。
 クアン夫妻に村から客が来た、、、それだけのようだった。それだけで緊張してしまう自分を情けなく思う。
 やりたい事はある。行きたい場所もある。それでもメイは、まだ自分がどうしたいのか、決めかねていた。




 夜中の内にクアン夫婦の客はメイを入れて七人に膨れ上がっていた。あの後もう一台到着したトラックから下りてきたのは、予定より一週間も早く着いてしまったという、薬売りのナルキネ族の一家だった。メイの借りた部屋の下、収穫が本格的になる前の倉庫を一晩の宿として借りに来たのだった。
 ルトの収穫はまだ始まったばかりだ。早朝からクアンは昨日収穫した分をトラックに乗せて、今日は山向こうの大きな村へ売りに出た。初物はどこへ出しても自慢だし喜ばれるので、自分の手で馴染みの者に売りに行くと言う。

「やれやれ、メイちゃん、少し昼寝をしようじゃないか。もっとゆっくり畑を案内するつもりが、こんなに働かせてしまったよ」

 クアンを送り出した後は、もう怒濤の台所仕事だった。朝食と今日の昼までは薬屋一家の分も用意したのである。その代わり薬は格安でわけてもらえる。
 その一家は、末の男の子をルイーズの手伝いに残して、総出で村の広場に商いのための天幕張りに行った。二週間ほど村に居ると言う。
 昼寝と聞いてナルキネ族の男の子はさっそく倉庫の方へ駆けていく。

「末っ子のわりにセドははにかみさんだねえ。さ、あたしらも休もう、なに、一時間も寝ていられないさ。クアンが戻ったら収穫だよ。まだ少し、一段目があるからね」

 北極でリンダと厨房に立ち、今その姉のルイーズと台所に立った。二人の仕事は所々で同じ手際が見られ、いかにも同じ家で育った姉妹だった。メイはほんのちょっとだけ、弟の事を思いだし、再び頭の奥へ追いやった。


 うつらうつらと、、倉庫の二階でまどろみながら、メイは胸が締め付けられるような悲しい夢を見た。ああ、起きなければと、思った時にはもう、どんな夢だったかすっと遠くへ消えてしまったが、悲しさだけを引きずってまだ目を開けられずにいた。
 誰かが居なかったように思う。誰かを探していたように思う。どうやっても思い出せなかった。
 けれど、自分が居ない間に誰かに何かあったら、と、、、夢に代わってはっきりそれを意識してしまうと、涙が止まらなくなった。
 本当はこんな風に出てきてしまってはいけなかったのだ。例えアイザックに特別な女性が現れたとしても、そばでそれを見ていなければならないのだとしても。

「あの、、、」

 すぐ近くで見知らぬ声がして、メイは短い悲鳴をあげ、毛布ごとベッドの端まで飛び退いた。

「わっ、、!ご、ごめん、ごめんなさい!」

 相手も動転したようで慌てて逃げ出すと、ドアの向こうから改めて声をかけてきた。

「ルイーズ、さんに、、呼んで来てって、言われて、、その、、」

 セドではないが薬屋の家族の男の子だと気づき、ほっと胸をなでおろす。いや、家族ではないだろう。朝食はあまりにドタバタしていて互いに自己紹介も何も無かったが、彼ひとりだけ地球人なので気になってはいた。

「ごめんなさい、ドア、閉めてなくて。すぐに行くわ。わたしメイ。昨日から泊まらせてもらってるの」

「あ、、おれ、テオ」




 

 ルトはまるで南国の植物のようだった。すべすべした黄緑色の幹、、大きいだけで本当は茎なのだが、、それが一本ストンと生えていて、地球人の手が届く高さに最初の段の葉がつく。ギザギザと切れ込みの深い手のような葉が同じ高さから四方に、破れ傘の状態だ。その葉の付け根にぐるりと花が咲く。黄色いつやつやした花びら。大きなチューリップ状の花が下を向いてシャンデリアのように並んでいる。
 二手にわかれて入れ替わりで昼食をとりに来た薬屋は、午後からはルトの収穫があると聞いて今度はセドの代わりにテオを置いて行った。ナルキネ族の背丈ではルトの一段目ですら苦労するのだ。
 AZ が降り立つはるか以前から、この星ではルトを巡って争いが絶えなかったと言う。マモン族はルトを独り占めするケチと呼ばれ、ナルキネ族は自分で獲らずに人の物を持っていく泥棒と呼ばれた。クアンと組になり一本のルトを斜面の上下から挟んで作業をしながら、絵本の中でしばしば盗人が登場したのを思い出して、メイは一人で合点のいった顔をしている。
 収穫しているのは一段目の初物。二段目にはまだ堅い実、三段目には花びらが残り、そこから上は今を盛りと黄色い花が咲き誇る。つやつやした厚手の花びらが光を透かして、茎よりずっと濃い緑の葉とのコントラストが美しい。
 収穫はこれから段を追って高所作業になる。体格と腕力にプライドを置き、恐ろしいばかりのマモン族がこの畑で農作業をする姿を想像すると、どうにも微笑ましく思えてメイは思わず笑みがこぼれた。
 昔はきっとそうだったのだろう。これからまた、ゆっくりとでもそうなっていくのかもしれない。その可能性について、、そう、アイザックと、、話がしてみたい。

「いったん休んだら、後の収穫は私とルイーズでやろう。二人は籠を倉庫まで下ろしてくれ。落としたらルトは村どころか川まで転がっちまうから、ゆーっくり、やってくれ」

 言いながらクアンはテオに向かっていたずらっぽいウインクを投げた。テオが目を見開いて顔を赤くする。
 二人でルトいっぱいの籠を運びながら、ぎこちないのはほんの最初のだけだった。テオはメイの二歳上で、親を亡くしてナルキネ族の一家に拾われた。それが五歳の時だったとわかると、どちらも一気に打ち解けた。

「わたしは弟が居るけど、、、テオは一人で辛くはない?」

「一人には一人なんだけど、、セドも拾いっ子だからさ」

「すごい、、すてきね。そうやって皆で協力して薬屋さんをして、、ずっと旅してるの?」

 同年代の男の子に対して思ったより身構えていない自分を発見して、メイはちょっとくすぐったい感じがしていた。なんだかんだ、これまでの生活の中で慣らされた、、ようだった。
 薬屋一家は一年をかけて決まったルートを辿るという。夫を亡くしながらも義父の元にとどまったサジャルが商いを引き受け、長男と次男が材料の確保を受け持つ。夏は高山に住むゴズニョの卵、秋はジャングルでイリイリの脱け殻、真冬の海岸の崖ではシーデを生け捕りにする。テオはもっぱらセドの面倒を見ながら土地ごとに植物や昆虫を採取するが、来年には見習いとして狩りにもデビューする予定だ。

「ま、待って、待って、、ゴズニョに、イリイリ?それ全部メモを取らせて、、いえ、録音させて?どんなもののどの部分をどうやって薬にするの?できたらお兄さん達のお話も聞きたいけど」

「調合はぜんぶ祖父さんの頭の中で、秘密中の秘密。でも、よかったら、その、明日、天幕まで来ない?午後なら兄さんのどっちかは居るから狩りの話は聞けるよ。ああ、きっと祖父さんに言われるなあ、薬屋の嫁になれって、、」

「えっ、、」

 あっと、口を押さえてテオが赤くなる。ナルキネ族の兄二人と弟よりは、自分の方が格段に可能性が高いと、言ってしまってから気がついた。

「ご、ごめん、その、、祖父さんがよく言うもんだから。四人も男の孫だから、早くサジャル母さんみたいな仕事熱心な娘を見つけろって。え、えーと、メイは、、、そんなに一生懸命薬の事を知って、、どうするの?」

「どう、、、」

 知って、、、どうするのか。そんなの、、決まっている。いったいなぜ、何のために、食べ物や薬の事をこんなに気にかけているのか。

「帰らなきゃ、、わたし」

 クアンとルイーズが畑から下りてくるのが見えた。メイとテオの作業はクアンがウインクしながら想像した通りゆっくりだったが、そこから先はクアンの思惑は外れたようだ。

「明日はソドムの北側の市場に出すと言っていたから、わたし、クアンに言ってこのルトと一緒にソドムに帰るわ。ごめんなさい、天幕には行けない。とても気になるけど」

「そ、そっか。二週間くらいはここに居るから、もし来れるなら、いつでも、、、」

「薬屋のお嫁さんに、なれなくても?」

「だ、、だからっ、それは!気にしなくて、いい、、、から」

「うん。、、、、ありがとう」

             続く



 

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