Wolfs take a VANILLA



 ジャン・ビーゴの愛人リタが、ウエストJ 区から地球のビーゴの元まで自分を送って行って欲しいと依頼してきた。特に荒っぽい事があるわけでもなく、単なる足代りとして。

「暇だったからいいけどさー、姐さんが出歩く度にタクシーやらされちゃたまんないぜ?」

「今回だけよ。ちょっと急いで帰りたいの。あなたたちに頼めば地球でも月でも直行だもの」

 J 区のお高いホテルの前で、パーティにでも出席したのか落ち着いた光沢のあるブラウンのドレス姿の彼女を拾って、そのまま地球へ向かうブライスターのコクピット内。下部ハンガーの隅で素早くスペーススーツに着替えたリタは、アップにしていた髪も下ろして、どうやら地球まで眠るつもりのようだ。
 毛布を片手にお町のシートに収まったが、ふと興味深げにナビコンソールを見ている。

「目的地の入力って、、コレかしら?」

「はいはい、お客さんはお手を触れずに願いまーす。で、地中海だっけ?」

 うっかりすると本当に操作してしまいそうな板についた手付きに、キッドがおどけながらも内心あわてて制止する。

「そう、アラッシオ・マリーナ」

 四人でかかる仕事でもないとアイザックは居残りを申し出て、お町もそれに倣った。
 十代の男子が二人に、年齢不詳な年上美女一人。一度は同じ修羅場を潜った間柄ではあるが、お町ほど慣れた相手でもない。その女性がすぐそばで着替えたり寝たりというのはどうにも緊張する。リクライニングしてあるナビシートの方を、ちら見しては軽く深呼吸して前に向き直るボウイ。そのボウイを見てニヤニヤしながら、立ち上がって見に行くわけにもいかずに落ち着かないキッド。寝ているとばかり思っていたリタが「ねえ」と、声をあげた時には二人揃って飛び上がりかけた。

「耳栓しているから、音楽を聞くなりお喋りするなりしていて構わないのよ?」

 コクピット内の空気はすっかりリタが主導権を握っている有り様だった。





 そのマリーナは、小高い丘を持った、岬と言うにはやや緩やかな突端の東側に位置していた。突端を回り込んだ向こうには小さな漁港と、西へ西へとまっすぐに延びたビーチ。
 山の影が町を覆い、ほんの少し港の端にかかってくる頃合い。ボート牽引用のトレーラーが付いた車がちらほら並ぶマリーナの駐車場でブライサンダーから下りたリタは、桟橋の方へ歩き出した。陸置きされたヨットたちの横をどんどん歩いていく。

「迎えはどこに来てるんだって?」

 ジャン・ビーゴの現れぬうちに一人にして置いていくわけにはいかない。肩をすくめながらリタの後から付いていけば、プレジャーボートの並ぶ一角に入り込んでいた。

「ジャン!!来たわよー!」

 唐突にリタは海に向かって声をあげ、大きく手をふりながら走り出す。海へ、ではなく、そこへ係留されている中でも一番大きいかと思われるプレジャーボートへそのままひょいと飛び乗った。

「もしかして、、、」

「ぅわ~おっっ!!」

 派手な南国柄のハーフパンツ姿のジャン・ビーゴがキャビンから現れ、アフターデッキでリタと熱々の口づけを交わす。

「、、うわーぉ、、、」

「ジャン・ビーゴ!あんた、一文無しになったって言ってなかったか?」

「文無しだとも!今じゃコイツが家がわりさ。ようこそヴァニーユ号へ。まあ、乗れや小僧ども」





 凪の水面を黄金に染めながら日が傾いてゆく。白い船体に紺と濃いブラウンのラインが入ったヴァニーユ号は優雅にマリーナを後にすると、少々急ぎ足で沖へ出る。
 キッドはひとり、一番高い場所にあるフライングデッキに上がっていた。全身で潮風を感じながら、遠ざかるビーチやなだらかな丘の稜線に視線をやって地中海の夕暮れを満喫していたが、キャビンの中は大騒ぎである。キャビンと言うよりは、操舵席が。

「あーもーっ早くってばっ。日が暮れちまう前にやらせてよー!ちょっとだけでもっ」

「騒ぐな小僧!操舵する気ならそっちのパネルで海図でも確認しておけ」

「海図?あー、こっちはインディケーターで、、これか。なんだよ、なだらかなモンじゃん?なあ、コンパスなんで2個もつけてるん?んでもってレーダーは、、と、、」

「言っておくがな、俺だって海の上じゃまだまだ新人のひよっこなんだ。ここのハーバーマスターとはウマが合う。もめて母港探しからやり直しなんてごめんだからな」

「わかってますよー、キャプテン・ビーゴ」

 そろそろ、船舶に関して全くのビギナーであるボウイに操舵させても差し支えのなさそうな沖合いまで出たと見て、さて、ビーゴか、ボウイか、どちらに加勢してやろうかと考えながらキッドはキャビンに下りてきた。予想を裏切らないやりとりに肩を揺らす。

「わかってるわけねーよ、ソイツは!けどな、そのバカを欲求不満にさせとくと夜中に船が勝手に走り出しかねないぜ」

「ジャン?最初からこうなるってわかってたんだから、イジワルしないで」

 リタを乗せたブライスターがこちらへ向かっている間に、ジャン・ビーゴ自らJ9 基地へ連絡を入れてある。二人をこちらで一泊させると。それはもう、田舎の祖父が孫を預かるようなノリであった。
 リタが不在だったのでディナーはすべてデリバリーだが、彼女はなんとか見栄えを整えようと一人キッチンで奮闘している。早くアンカーを下ろして配膳をしたい彼女もボウイの肩を持った。
 初めて見る計器類にも物怖じせずポイントを押さえていくボウイに、ビーゴはまだ渋々というポーズを崩しはしないがシートを明け渡した。

「いきますよ~ん。スロー・ア・ヘッド、、、!」

「小僧、スターボード・10だ」

「スターボード・10了解」

「ミジップ」

「ミジップ」

「ようし、、ハーフ・ア・ヘッド」

「了解。そのままフルまでいっちゃっても?」

 やめとけよ、と、声をあげようとして、けれどいつもの調子で口を挟むのも何となく躊躇われて、キッドは黙って操舵席に背を向ける。
 操縦に関する事でボウイが人から指導を受けているのを初めて目にして、少し緊張している自分に気づいた。ボウイは、、あれで緊張しているのだろうか。キッドにはよくわからなかった。

「リタ、手伝うよ。こーゆーのニガテだけど、言ってくれりゃ何でもするよ」

「助かるわ。ニガテ?器用そうなのに。センスはあるんじゃないの?」

「だめだめ、俺とお町はぜーんぜん。アイツとアイザックの方が手慣れてるぜ」

「あのクールガイが?わからないものね」

 テーブルクロスを敷き直しカトラリーを揃える。アウトドア用のそれを子供のオモチャのようで気に入らないとリタは嘆くが、そんなことは一向に構わない。センターに花くらい欲しいが船に花瓶も気がひけると、さらに嘆いているので、花がわりの置物をプレゼントするとキッドは約束した。
 船が微速に落ち着いたのを見て、二人で一気に配膳を済ませ、やれやれとソファーに陣取る。キャプテンと見習いは、しばらくは最微速で後退や旋回をしていたが、やがてアンカーを下ろすと、今度はデッキに出ていった。エンジンや船ならではの設備を見て回っている。

「ジャン・ビーゴ、、、一緒に仕事した時と少し印象ちがうな、、、引退したせい?」

 やはり丸くなったという所か。あれだけうるさい男に付きまとわれて、文句も言わずに実に細かく案内している。

「それは、、、、お互い様よ」

「え?」

 何の事かと見れば、デッキの上を隅々まで移動し回るボウイの姿を、リタの目が追っていた。そして短いため息とともにテーブルに視線を落とす。

「あのクールガイが二十歳だって、後から知ったのよ私。あなたたち、もっと下よね?」

 コネクションの金塊を六人ぽっちで奪う。あの時はただ、若くはあるがビーゴの見込んだプロだからとしか見ていなかったリタである。今日、まだわずかな時間ではあるが、きな臭い事抜きで間近に接してみて、目の前に居る男、いや、子供、、、が、あの時と同じ人物だという事実に少なからずショックを受けている所だ。

「ジャンは現役の時から大して変わらないわ。あの時は仕事、今はオフ。それだけよ」

 オフの時の始末屋の素顔がこんなに子供だと、ビーゴは気づいていて、それで船に誘ったのだろうか。単なる船自慢ではなくて。

「引退イコール、毎日がオフか。いいんだか悪いんだか、まるで想像できねえなぁ」

「でしょうね。想像できないくらい、あなたたち若いんだわ、、、」

 リタは思い立ったようにキッドの顔を見つめると、抱えた躊躇いを見せぬように年の功で押さえつけ、キッドのすぐ隣へと膝を寄せた。

「え、、な、何、、?」

 潮風と喧嘩をしない、でも負けない香水の香りに、キッドは本気でたじろいで、ビーゴをさがして目が泳ぐ。

「一度しか言わないわ。だから、ちゃんと聞いて。もし、、、もし、今と違う仕事を、生き方をしたくなったら、連絡をちょうだい。ビーゴの人脈でどうとでもしてあげられる。これは、あなた一人への言葉じゃない。誰にも伝えずに黙殺するなら、してくれてもいい。だけど、覚えていて欲しいの。忘れないで、絶対に」






「おー、いたいた。キッドさんシャワー空いたぜー」

 デリバリーではあったが量だけはたっぷりあった賑やかなディナーもお開きになり、ビーゴとリタはオーナーズルームへ引き上げた。
 空いた、と言ってもゲストルームがツインとダブルの二部屋、それぞれにシャワーが付いているような40フィート越えの大型プレジャーボートである。いずれパーティクルーズのレンタルも良し、水上タクシー良し、あるいは、、、多少怪しい運び屋も良しと、小遣い稼ぎ程度の事は考えているらしい。二人だけの客があちらもこちらも使って荒らすのは申し訳ないと、そんな所は意見が一致してツインのみ使う予定でいる。

「そんなにフライングデッキが気に入った?」

 キャビンの屋根のさらに上、サブの操舵スタンドと数人がけのベンチシートしかないフライングデッキで、再びキッドはひとり海を、夜空を眺めていた。

「あのおっさん、酒が入ったら結局、説教だったな」

「説教ってほどじゃないだろ。昔話の相手が欲しかったワケよ」

 たっぷり幅を取り、手足を投げ出すように座っていたキッドに向かい合って、ボウイも腰を下ろす。
 ヴァニーユ号の名の由来に始まって、若かりし頃の武勇伝、同じ無法でも組織ではなく個人個人が今よりもっと荒っぽかった頃のアステロイドの様子。そんな話が面白くて身を乗り出して聞いていれば、いつのまにか説教じみてきていた。今の若いやつは宇宙に出ている緊張自体がぬるいと。
 二つあるコンパスのうち、片方はマグネットコンパスであり、その昔は電源を失った場合に備えての物だったが、今では船の守りとして風習的に備わっているのだと言われて、ひとつ物知りになったりもした。尤も、ブライスターにお守りを付ける気にはならなくて苦笑したのではあるが。

「キッドさんさぁ、、さっきから、なに考えてんの?そんなに星ばっかみつめてさ」

「むかーしの、、、ジャン・ビーゴより、もっと前の世代が宇宙に出た頃。どんなだったんだろうな、、?」

「出るだけでいっぱいいっぱいだろ。ビーゴの頃と違って、武装する必要が無い分は装備とかコンパクトだったのかな」

 ジャン・ビーゴが聞いたら本気で顎が外れるほど呆れただろう。彼の時代と比べてさえ、今の方がずっとコンパクトなのだから。

「武器なんか無しで、宇宙に来てたんだな、、、」

 言いながらキッドが思うのは、はるか過去の、地球上にしか武器も兵器も無かった頃の太陽系か、それともブラスターを持たずに別の生き方をしたパラレルワールドにも思える遠い未来の自分か。
 ボウイがくしゃみをとばして、二人とも慌てて立ち上がる。夜の潮風に長く当たり過ぎていた。

「お前さあ、いっぺんでいいから、俺より低いくらいに縮んでみねえ?そしたら、ずっと肩抱いて温めててやるぜ?」

 フライングデッキを下りながら何の気なしにキッドが馬鹿を言うと、先を下りていたボウイは梯子のように狭い階段の途中で急に足を止め、キッドを見上げた。

「これくらいの差でどうよ?」

 子供だましにもならない手品で縮んで見せたボウイ。不意を突かれて、キッドは固まったまま見つめ返し、お子さまなプレゼントを受けとる事にした。じっくり、自分とボウイの階段一段ぶんの差を本気で見定めようとして、、あきらめた。見ていても無駄だ。手を伸ばし、ボウイの頭を胸に抱え寄せる。

「ちょっと、縮み過ぎ。お前は、、どんな感覚?」

「ん、、、よく、わかんねえ、、」

 俺も、わかんねえよ、、リタ。
 心の中でそう呟く。自分のことならどうとでも決める。けれどボウイに、お町に、あれを伝えるべきなのかどうか。
 すっかり湯冷めしてしまったボウイを抱く腕に、少しだけ力がこもる。

「わかんねえけど、、ハマりそうなくらい、、気持ちいい。でも、いつもの感じのがいい」

「どっちだよ」

「だから、わかんねえって。、、ヤバ、、気持ち良すぎて眠くなってきた、、」

 じっと抱かれたまま、ボウイは大あくびをかましている。

「ヤバくもなんともねえ。相当疲れてんだろ?」

「はは、、舵輪の感触が、、まだ残ってる。もちっと、余韻に浸りたい、かな。水って、すげえな、、、」

「凪で良かったな。さっさと寝ろよ、モン・プチ・ルー」


 デッキからキャビンへ、さらに下の寝室へ。使わない予定だったダブルの方のゲストルームにボウイを押し込むと、キッドはツインへ納まった。手短にシャワーで潮の香りを流したとたんに、アステロイドに、自分のテリトリーに戻りたくて仕方ない気分になった。
 リタがあんな風に人の心配をする女性だった事にも驚いたが、何より、二人にあてられてしまった。危ない橋だって何度も渡ってきた二人の、穏やかな暮らしぶり。幸せそうなリタ。
 波に揺れるベッドに転がれば、人の事を言えない程度には自分も眠かった。そしてお子さまだ。自分がもし、長生きしてビーゴのような年齢になった時、側に寄り添う人物は、、、リタのように幸せでいてくれるのか。想像できない。
 目を閉じうつらうつら思い出す、星空を背景にしたポツンとひとつだけの、ヴァニーユ号の赤い航海灯。足りないと思った。人工の灯りが。
 それから、、、ヴァニーユという名の犬を飼っていた、とうの昔に亡くなったという、ジャン・ビーゴの相棒の話。
 いろんなものをごっちゃに詰め込んだ波の上、夢の中。



 翌朝、まだ暗いうちから叩き起こされてデッキに出た。
 大パノラマで広がる地中海の夜明けは、滅入ってしまいそうだったキッドの気分を吹き飛ばしてまだおつりが来そうな美しさだった。
 一方、なぜだかボウイは気に入った風だった身長の逆転を拒否し出した。このままでいい、と。

 ありがとう、忘れないよと、、、形だけでない礼を言えるだけの余裕をキッドは取り戻していた。
 こっそりリタにそう耳打ちした姿をビーゴに見咎められて、二人まとめて追い出されるような騒がしい帰途。
 うるさいほどに、人工の灯りがあふれかえる宇宙へ。





              end




ヴァニーユ       バニラ

ルー           狼

スロー・ア・ヘッド   微速前進
ハーフ・ア・ヘッド   半速前進
フル→フル・ア・ヘッド 全速前進

スターボード10  右10度旋回

ミジップ      舵輪中央


 

 

 

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