MOVE 12



 皆にメモを残した。ほんの少しの着替えも用意していた。けれどその時はまだ、、朝市でクアンを見つけても、ここへ着いてもまだ、、この先どうするかなど、はっきりしたものは無かった。
 最初はこのまま東の方へ回って、海レタスと呼ばれる野菜を見に行く事も考えていた。それは野菜ではなく、海岸の岩場で採取する海草だとさっき言われて、ルイーズ達と大いに笑った。
 リンダの頼みを果たして、ルトを見て、海レタスを見て、それから、それから、、、。
 どこか外で大人になりたかった。恋の一つや二つも経験して、大人の女性になってからアイザックの前に現れる事を夢見ていた。


 最後にもう一度ルトを見たかった。この時期に危ないものは居ないと聞いて、メイは一人で夜の畑へ来ていた。沢に沿って開けた畑で、ルトの花が双子の月に照らされて眩しいくらいに輝く。
 テオは一旦、天幕に帰ったが、今夜は片方の兄と一緒にここの沢の上流まで薬草を取りに行く予定だと言っていた。考えているはたから、トラックのライトがちらちらと下の方に見え始めた。クアンが市場に出発するのは早い。野宿の装備もして上流へ行くテオとは、今夜見送りをすればまずはお別れとなるだろう。
 クアンとルイーズが休憩用に拓いた空き地には、椅子がわりにちょうどいい丸太や岩がいくつか並べてある。昼間に休憩していた場所である。
 湿った岩に腰かけると、足下の沢や林の中で思ったより多くの生き物の気配がする。草むらをカサカサ揺らすもの、水の中でピチャンと跳ねるもの、梢から梢へ飛ぶもの、林の奥でコロコロ鳴き交わすもの、、、。
 夜行性の生物の多さは、地球の大自然などほとんど経験のないメイでさえ、間違いなくここの方が多いとわかる。惑星アースガルスの夜は双子月のせいで美しく、賑やかだ。
 ふわりと、、白く光るものがルトの花の間を動いた。

「蝶々、、、」

 地球の蝶と変わらぬ姿が一匹、そして二匹、、月夜に舞っていた。一匹がしきりともう一匹の周りで上下左右に飛び回っている。やがて二匹で互いにくるくると回りながら、ルトより高く舞い上がる。

「かわいい、、」

 自分の求愛行動はあの蝶たちのようにうまくはいかなかったけれど。
 それでも、帰る。
 自立には早すぎたとか、アイザックとどうなるとか、そんなことではない。自分はJ9 のみんなと居たい。
 下から足音が近づいてきて、メイは慌てて岩の上に立ち上がった。ひとつ、やってみたいことがあった。今ならまだ、テオ達に聞かれないだろう。そっと、小声で、、、、

「、、、うぉー、、ん、、」

 岩に立ち、すっと首を伸ばして月を見上げる。

「おぉーん、、!あぉーん、、、」

 わたしも狼だ。みんな、すぐ、帰るからね。

「メイ!」

 狼の遠吠えに応える者は、狼。
 木陰の闇から月の光の元へ、長身の、黒髪の、その人が近づく。
 びくりと振り返り目を丸くしたが、メイは何も言わず、岩の上から動かなかった。名前を呼んでその腕に飛び込みたい。今までのように。けれど、もう、そうしてはいけない人。
 小さな我が儘を叱り、大きな危険から守り、大事にされてきた。アイザックはもう、充分にその責任を果たしてきたのだ。諭されて、謝って、許される。それを承知で腕に飛び込んでいては、アイザックはいつまで経ってもその役から解放されない。
 嫌われる事や許してもらえない事もきちんと想像して、仲間としての勝手な振る舞いを謝る。思ったよりずっと難しくて、メイはうまく言葉が出ない。でも決めたのだ。仲間として仲間の元へ帰る。

「メイ、、、」

 月の光を背に、岩の上に佇むメイはとても静かで、アイザックは心の底からわいてくる焦りのようなものを押さえられなかった。司令官席で肩を震わせていたあの子が、もう失われてしまったような不安に駆られらる。
 メイの反応を、恐れている。その自覚を持ちながら、ゆっくりと片手をメイに差し出した。
 重ねられた細い手はまるで初対面のように距離を持ち、体重を預けては来ない。膝まづいて平伏したくなるほど、アイザックは衝撃を受けた。

「勝手なことをして、ごめんなさい」

「、、謝るのは、、皆にだけで、いい。私には謝らないでくれ」

「いいえ、アイザックさんにも、たくさん迷惑かけてしまったわ。これまで、ずっと」

「いいんだ、いいんだメイ。謝らないでほしい」

 あの時、北のドームの司令室で正直な気持ちを晒け出せていたら。キッドとボウイが消息を絶った時、弱さをぶちまける事が出来ていれば。メイにこんな行動をとらせる事などなかったものを。

「私の、せいだから、、。皆には、二人で一緒に謝ろう。その前に、、、」

 すいと、アイザックはとうとうメイの前に片膝をついた。

「私の最後の臆病を、、言わせて欲しい」

 何事かと戸惑うメイを見上げ、アイザックは以前から薄々感じつつ目を逸らしていた事を確信していた。この美しい女性は、見上げるのが一番ふさわしい、、と。

「感謝の混ざらない、、純粋な愛を、私にくれる、だろうか?」

 まだ充分に残っているあどけなさで、メイはきょとんとアイザックを見つめる。

「メイ、メイ、私はもう本当に降参だ。今更となじってくれて良いから、返事をくれないか」

 やっとのこと、、メイは何を言われているか、自分がどんな場面に置かれているか理解した。心臓が揺れて、揺れすぎて、体ごとぐらぐらしそうだった。
 この大きな人が膝をついて、何をそんなに弱々しく話すのかと思えば。感謝も、親子のような情も、仲間意識も、ひと続きになめらかな時間の中で一緒くたに混乱してしまった中から、それは芽生えたと言うのに、それだけを取りだしたくて必死なのだ。

「返事を、、」

「、、ずるい、、」

 さらりとそれは口をついて出た。

「自分はずーっと、ちゃんとした返事なんかくれなかったのに」

 言ってから、以前お町が言ったことを思い出した。いつかアイザックが落ちたら一度は蹴るくらいしなさい、と。思い出す前にやってしまったのがおかしい。小さくなっているアイザックに、恐縮するような気持ちがわかないのも不思議な気がした。

「あのね、わたし、アイザックさんが欲しいもの、ちゃんとあげられるわ。でも、もし、アイザックさんが、それは違うって思ったら、そしたら、きっと、ケンカすればいいんじゃないかなって、、」

 二択だけに終わらせないメイの返事が、アイザックの歩むその道幅をぐんと押し広げる。網目のように無数に選択肢のある未來。美しいレースを編むように、メイはこれからもそれを広げ続けるのだろう。

「メイ、、一緒に帰ろう。君を婚約者として連れ帰りたい」

「、、はい」

 細い体を抱き寄せて。彼女の魅力に素直な敬意を、その唇に捧げて、アイザックはもう一度、さらに強く抱き締めた。声が震える。

「すまない、、メイ。とうとう君を、、こんな闇稼業のもとへ引き留めてしまう、、」

「アイザックさんのせいじゃないわ、、。わたし、ずっとまえから狼だった、、、」

「すまない、、、」

             続く



 
 

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