MOVE 8


 ◆◆◆

 最後の一隻がドームを出ていく。ここで、ひいてはこの星で最大クラスの戦艦。おあつらえ向きにこのクラスは二隻あったので、片方は戦艦タロターネと命名され既に東へ旅立った。最後まで残っていた戦艦カバローネは当然、西の守りに就く。戦艦を投入するほどの巨大な敵は今は見当たらないが、アルカナの乙女達の名を戴いたからには、人々の心の支えとして力強く君臨するだろう。
 キッドとボウイが地下基地の確認に向かって十日。シンが海上の異変を見てから二週間が経っていた。
 ヤッチャイ達ナルキネ族が心配したSOS は、当初、杞憂に終わるかに見えたが、六十年に一度の現象はやはり起きてみないとわからない。運悪く岩盤の固い島に取り囲まれた小島が四方から押し潰され、幾つも海に飲まれていった。そんな島に取り残された数名を救助する場面も繰り広げられた。
 明日の夜までには島々はドームの水際を完全に埋め尽くし、そこから数日内にはグィラ・ル・ルーはピークを迎えるだろうとアイザックは予測している。ピークの状態のまま動かなくなるのか、それとも始まりと同じようなペースで離散していくのかは皆目、見当がつかない。
 終息まですべてを見届けたいと、ナルキネ族の四人は残留を希望し、観測要員として許可された。食堂の女王リンダも、四人のために、また新たにやって来る者のために残ると言う。もはや食堂のというより、北極の女王だ。
 彼等と共に最後まで観測を続けてみたい気持ちもあるアイザックだが、そうも言っていられない。この北のドームでブライガー、ブライスターを、そしてJ9 の顔ぶれを間近に見ていたのは延べ五十人を越える。加えて、艦隊移動のために、数日とはいえ百人弱も投入されて来ていた。もうここまでにしたい。
 総合司令室で戦艦カバローネを見送り、ドームを閉じる。既に艦上にあるマリアーノと、西テラマータでの再会を約束してアイザックは最後の通信を切った。
 グィラ・ル・ルーと外洋とを抜け、無事に西テラマータの港の管轄に入るまで見守る必要はあるが、それは残留四人組の仕事だ。今は桟橋で艦を見送っているがまもなく戻るだろう。
 明日の朝には彼らにドームの開閉を委ねて自分達も出ていく。入れ替わりにここを本拠地としていく戦闘機部隊の第一陣が到着し、この司令室も彼らの物となる。
 一年間、なんだかんだで世話になった機器類を、可能な限りJ9 の痕跡が残らないようにアイザックは最終チェックに取りかかった。

「開閉、お疲れさまでした」

 メイがクカーを運んできた。いつもよりちょっと長くメイを見て、特に変わった様子も無いことにアイザックはほっとした。その姿を見るのは二日ぶりだった。メイは残り少なくなったリンダとの時間を大切にしたいと、彼女の部屋で寝起きして、夜の長話も途絶えていた。

「四人はまだ港に?」

「ええ、少し作業があって」

「お町とシンは?」

「シンは四人を手伝ってるわ。お町さんは、、、」

「ああ、そうだ、それよりも、、済まなかったな、二人の荷造りまでさせてしまって」

 なぜ自分はこんなに矢継ぎ早に話しかけているのか。アイザックは頭の悪い会話をしているようで自分に腹が立った。二日や三日、顔を見ない事は、始末屋を始めてからなら何度もあったのにと、腑に落ちない。
 メイはちゃっかりと司令官が座るべきシートに腰かけていた。短い言葉で返していたが、忙しくはなさそうだ。

「二人とも荷物なんて無いもの。それに、男の人の下着だってアイザックさんやシンので慣れてます」

 キッドとボウイが行ったきりになるとは思ってなかったけど、と付け足してメイは笑う。男性の下着と言うワードに、またもやメイが攻勢に出るのではとギクリとしたアイザックだったが、見上げれば軍事施設の最高責任者の席で微笑む姿は、素直に可愛らしく思う。他に誰も見ていないのが勿体ないような気分。独占するのではなく自慢したいような。つまりこれは、ある種の親バカなのだろうと自分では思っている。

「今夜は九人みんなで食事ですよ?最後だから、、、」

 これまでで一番の少人数だ。この極地に住んでいる部族が居るとは聞いていない。白いばかりの平原と、むき出しのクリスタル鉱山なのか、氷なのかわからない鋭い山々。北の大地で二桁に満たない晩餐となる。

「雪のある場所に居るうちにボウイとひと滑り、し損なったな。メイは、ここが好きだったかい?しばらく前は外に行きたがっていたようだが」

「わたし、、、わたしは、、」

 滑走路、ドック、埠頭、ほとんどが見渡せる席で、メイは組み合わせた自分の指先を見つめる。ここでの暮らしがきっと、好きだった。届かぬ想いを抱えたままで、悲しくなることも多かったのに、今考えればなんと幸せな日々を得ていたのかたとメイは振り返る。
 好きな人に好きと言い、言い続けた日々。みんなに励まされ、見守られた日々。それはまるで、ドームその物のようなぬくぬくとした温室だったと気づかされたのは、ほんの数日前だ。これから暮らしていく場所は、ソドムの近くと言うだけでなく、ソドムの内部と言う面も併せ持つ事になったのだ。
 ボウイのよく知る囁きのイシュタルと、エルドネの書いたイシュタルは同一人物だった。双方から信頼のある彼女が中に入る事で、ユージンらの介入を避け、むしろ洞窟を手放したがっていたエルドネから買い取る事が出来た。
 地下基地と通路と洞窟。海を隔てて通信だけの話し合いだったが結論は早かった。すべて使う。崩落した洞窟を整え、住居を構え、通路で行き来する。
 それが決まった時、メイは新しい生活が本当に楽しみだったのだ。始末屋の事は隠さなければならないが、隣近所と言うものを初めて体験できる。よその家庭がどんな雰囲気なのかにも興味がある。洞窟の方ならば人を招く事だって出来るだろう。アステロイド暮らしだからと言って閉じ込められていた訳ではないが、これまでよりずっと多くの人と出会うのは間違いない。
 弾んでいた気持ちに冷水を浴びせたのは、お町が何の気なしにシンをからかった一言だった。「彼女できるといいわね」。

 リンダと一緒に居たいのは本当だったし、今のうちに聞いておきたいこともたくさんあった。けれど、新たに発生した不安でメイはいっぱいいっぱいだったのだ。アイザックの前で笑顔でいる自信がなくて、避けていた。

「それにしても、分析機器を下ろさずにメイがブライガーで部屋を取っていたのは正解だったな。こう急では新居を整える方が大変だと思うが、引き続き頼りにしているよ」

 アイザックは口数の多い自分を止められずにもて余している。
 メイはどんどん言葉を減らし、ただうなづくばかりになっていた。

「アイザックさん、、、、最後だから、、、」

 恐る恐る切り出す、北極暮らしでの最後のアタック。
 こんなに不安な気持ちで告げるのは初めてだった。最初はまだアステロイドに居た。パンクしてしまって勢いで。二度目はどさくさだった。キッドとボウイを見失い、誰もが不安だった頃。北極に落ち着いてからは、いつでも大抵わくわくしながら。アイザックがどう断るのか、どう逃げるのか、それさえ楽しみだった。不安になるのはいつでも一人になった時。そこにはお町が居てくれた。そうしてまた次のアタックへと向き直ってきた。

「聞かせてください、、、」

 俯いたまま細い声で言うメイに、アイザックの目は釘付けになった。特に変わった様子も無い?そんなことがあるものか。
 これまでずっと、メイは真っ直ぐな視線をアイザックに向けて告げてきた。好きです。大好きなんです。ほんとうに。
 俯いていたことなど一度もなかった。頬を染めながらも堂々と、それはメイにしては元気すぎる笑顔だったと、今になって気づいた。自分のせいで彼女は背伸びをしていた。そして今、心細げに肩を小さくしているのも自分のせいだ。だからと言って、、、。

「わたし、女性として見てもらえることは、この先もずっと、ないんですか?それとも、まだ、なんですか?」

 決定的な質問にアイザックは答えられない。答えられないまま、あの震えそうな細い肩を抱き寄せたくなる。抱き寄せて、それでどうなるのか。それがわからない。落ち着かせ、安心させ、安らかな寝顔を見る。そんな繰り返しはずっと昔の事のような気がする半面、今もアイザックの中では続いている。
 まだ、なのはアイザックの方だ。答えが出せないのではなく、答えを探していいのかどうかすら、迷ったままだ。

「まだ、なんだと、思ってました。だから、、」

 だからメイは頑張ってきた。日々を積み重ねて、自分が成長しさえすれば。いつかアイザックが大人としての付き合いを許してくれるのではないかと。その日が来るまでこの想いを忘れられてしまわぬように、ずっと、ずっと表現し続けてきた。これからもそうしていくつもりだった。
 そうしてさえいればいつか、、などと、考えたこと自体が子供じみていたのだ。それが通用するのはここが極地に造られたドームだからだった。お町とリンダと自分。他に女性は居なかったのだ。
 けれどこれからはどうなのか。地下基地だけでなく、街中で、人の中で生活していくのだ。アステロイドの頃よりもっとたくさんの人と、女性と出会うだろう。アイザックに想いを寄せる女性だって現れるだろう。
 あの頃とはもう違う。メイは気持ちを伝えてしまったのだ。アイザックがそれを知った上で、他の女性に気持ちを傾ける事になるのなら、、、。
 何か言わなければと、アイザックは何度も口を開きかける。身を小さくしているメイに焦りが募る。泣かずにいるだけで精一杯なのだろう。そうさせているのが自分に他ならないからこその焦り。まだ?ずっと?なぜ二択なのだと、意味のない怒りまでわいてくる。逡巡を逡巡で倍々にして時が過ぎる。

「遅くなりました!代わります」

「ありがとうございました。おかげで見送りが出来ました」

 ヤッチャイともう一人、駆け込んできた。



 翌朝、光速母船ブライガーは北の地を飛び立った。なんの結論も出ないままの二人を乗せて。



               続く


 




 
 

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