斜メ伯林

運命か悪戯か、30代頭で旧東ドイツの田舎に流れ着いて、その後十年以上ベルリンで生活して…

斜メ伯林

運命か悪戯か、30代頭で旧東ドイツの田舎に流れ着いて、その後十年以上ベルリンで生活している日本人です。 関西からベルリンに漂流してきた一日本人の斜め目線の視点やライフスタイルを徒然と綴っています。

最近の記事

Body Positive vs. Pornography

Body Positiveが強く言われている昨今、BerlinではよくFashionや下着の広告に従来のモデルタイプではなく、様々な体型や身体的特徴、多種多彩なバックグラウンドの人種を採用するようになっている。一方、 Pornographyと評されるものに対する受容は世界的に年々厳しくなっていると思う。乳首や性器、性的表現、様々な性行為のかたちはSNSや様々な表現活動において制限される傾向にある。この二つの流れが逆行しているようで、正直居心地が悪い。Berlinでは、よくDi

    • 熱狂する人たち

      パンデミックが始まり、収束するように見えたり、また新たな波が来たり。 そのほかにも、BLMがあったり、ワクチン問題があったり、アフガニスタン問題があったり。そこには、いつも『熱狂する人たち』がいる。そう、心と感情と言う理性に突き動かされる人たち。人は想像上のものにも価値を見出し、それを情報や貨幣等に置き換え、他者と交換したり、譲渡したりする生物です。一般的なマーケティングもどう消費者を『熱狂』させるかに重点をおいているように思います。西洋の価値に基づいて生きている多くの地球人

      • お盆

        お盆にお盆らしいことをした記憶がない。 小学校まで、母親の実家でお盆期間含めて1ヶ月ほど過ごしていた。 母親の実家には仏壇がある。でも祖父母は入り婿嫁のため、その仏壇の人とは血の繋がりがない。僕自身もそのせいか、仏壇の前に手をあわせるものの、ぼんやりとしたご先祖さま、正直誰に対してかわかってなかった。阿波踊りの人たちが来ても、多次元多空間の人たちが踊っているように見えて、一緒に踊る気分にもならなかった。終戦記念日を迎えるお盆期間、学校やTVで教わった戦中のおぞましいトラウマ的

        • 最近最近、2021年8月。

          なんか最近最近すっきりしない。 散文の散文です。 このCovidやそのワクチンに対する考察&アフガニスタン。 正直、風邪さんやインフルエンザさんでも、Covidさんでも不必要に広がらなければ良いだけ。そこにみんなが素直に目を向ければ良いだけなんだけど、なんか色々ねじれてません?ワクチン打ったから、打っている人がいるから、まだなんでもOKでもないでしょ。地球民が適度な節度を持って行動していたら、ここまでひどくならなかったのでは?もしくは、そんなの関係なく、この約1年半の流れは強

        Body Positive vs. Pornography

          根無し草もいつかは死ぬ  –自省録II–

          『根無し草』私にぴったりな言葉。 思春期の頃から、足を地に着けて生きなさいと、良くいわれてきた。でも、いつも綿毛のように生きたいと思っていた。風におもむくままひらひらと。大地に根を張った木より、道端の小石に魅力を感じていた。 皮肉にも風にゆられて辿り着いた地、ドイツでは、堅実な人が好まれ、よく地に足をつけた(bodenständig)人って言葉を耳にする。私とは縁遠い言葉だ。とくに生まれ育った狭い地域内で帰属意識を抱けず、常にエトランジェな気分で育った私は、地に足をつけるこ

          根無し草もいつかは死ぬ  –自省録II–

          ドイツ暮らし十年以上のある食事候 –壱–

          ドイツに暮らし、十年以上ドイツ人と一緒に寝食を共にしていると、ドイツの合理的実利主義のライフスタイルの影響を強く受けている。温かい料理は1日1回。手の込んだ料理は週1〜2回で良い。特にパンデミック後、毎日パートナーと寝食を共にし、それぞれの好みに配慮して料理を1日2食作っていると、ドイツの簡素な食生活が便利で満足してしまう。(私の場合は、なぜか少しイギリスの影響をも受けているが。)ドイツのカルテスエッセン(kaltes Essen・冷製食)とは、作り置きサラダ(ポテトサラダ、

          ドイツ暮らし十年以上のある食事候 –壱–

          それは心の絡んだ紐を解く時なのかもしれない –自省録–

          自分を愛すること、自分をあるがまま受け入れること、自分を肯定する練習を始めた。 幼少期から、様々な形の暴力を受けて来て、様々なトラウマを抱えて来て、苦しんできた。何も出来なくなってしまう日々。もやの中から抜け出せない日々。現実との接点を持てない日々。チャイコフスキーとベートーベンの交響曲が爆音で同時に聴こえてしまう時。自傷行為でしか、存在を保てない時。感覚を殺すことでやっと心の均等を保てる時。突然感情の箍が前触れもなく弾けてしまう時。 今まで、色んな方法で、できると信じて

          それは心の絡んだ紐を解く時なのかもしれない –自省録–

          567時代 2021新年 in Berlin

          明けましておめでとう御座います⛩ 西暦弍千弍拾壱年令和参年 年明けました! やったー💃🕺 旧年から学んだこと 伍 愛を受け、愛しても愛しきれない家族、Lover、友人を最大限に愛する。 肆 無理をしない。その時、その時に感謝をし、未来に繋がる最大公約数をみつけ、実践する。 参 健康であれ! 病気にかからないように努力する。 病気を移さないように努力する。 病気になってしまった人を救う。 弍 愛をもって赦し、愛をもって伝える。 壹 宇宙は愛である。

          567時代 2021新年 in Berlin

          567時代 in Berlin

          ハードロックダウン中のBerlinに住んでいます。西暦2020年12月24日。 ここに住んでいると、Covid-19に対して、いろんな意見を聞くし、光景も目にします。こんなにも人の感情や、恐怖、弱さ、強さ、信念が表面化する機会って、今まで私の人生の中でそうなかったんじゃないかな。もちろん、経済的に影響をあまり受けてない人の中には、クールにリラックスして対応している人もいます。しかし、多くの人は経済的にマイナスの影響を受けていますし、娯楽・歓楽を以前のように楽しめない生活を強い

          567時代 in Berlin