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ラジオよ、今夜もありがとう~文化放送「なな→きゅう」終了にあたり考える、ラジオにまつわるエトセトラ。

例の世界的な流行り病で、きっと多くの人が大なり小なり、さまざまな形で行動変容をしてきたはずで、それはその人の望むものもあったろうし、そうでないものもあっただろうけれど、とにかく、2020年の初頭以降とそれ以前とで「基本的には繋がっているんだけど、何かが断絶している」ような感覚を持っているのは私だけではあるまい。当たり前か。いずれ歴史の教科書にも載るであろう、全世界的な出来事が進行中なわけだからね。
この一年近くの、私自身の行動変容を振り返ってみても。

外食しなくなった。
一回に呑む酒量が減った。
早寝早起きの、朝型になった。
定期的に運動するようになった。
食生活に気を配るようになった。
体重が落ちた。
腸活をはじめた。
カジュアルの服の傾向が変わった。
シンセサイザーの練習をはじめた。

とかね。
もっとも、これらは例の流行り病のほかにも、骨折で入院した経験で変わったってこともあるのだけれど。
そして、

ラジオを聽くようになった。

これが、地味ではあるけれど、私の中で一番変わったことかもしれない。

ラジオのある暮らし。

ラジオ。
ラジオを聽く習慣というものは、ひょっとすると読書の習慣のようなもので、親がそうしていたからというように子供にも引き継がれていくようなところも、ひょっとするとあるかもしれない。

私の両親は揃ってラジオ好きで、父も母も仕事や家事をしながらラジオを聽く習慣があったものだから、私の子供時代、学校から帰ってから夕食になるまでの間、時間の流れは大沢悠里さんの番組で知らされていたようなものだった(父も母も当時はTBS派だったのだ)。日が傾くころに、三味線まじりの軽快なお囃子が流れ、小沢昭一さんの声が聞こえると「ああ、夕方だな」という感じになり、そろそろ母が夕飯の支度を始め出す。若山弦蔵さんが重厚な声で「おつかれさま、5時です」と告げ、オープニング曲が流れ出すと、自宅で仕事をしていた父が、やれやれといった感じで煙草に火を付ける。うちの実家では、そんな感じでラジオは、時を告げるだけではない、情報を知るだけでもない、「生活に密着した何か」として、機能していた。

子どもたちにとっては、どうだったろう。
姉は、いくつくらいからだったろうか、偉大なるさだまさしさんのファンで、土曜の夜に放送されていた「さだまさしのセイヤング」を必ず聴いていたし(後に私も影響されてリスナーになったけどね)、私は私で、自分で初めて聴こうと思って聴いたラジオ番組は、「吉田照美のてるてるワイド」だったろうか。まだ小学生だった頃だ。当時の子供にとっては、21時台はもう十分に「深夜」だった。谷村新司さんとバンバン(ばんばひろふみさん)の「天才・秀才・ばか」とかね。時に艶っぽい話もあったりして、どきどきしながら聴いたものだ。インターネットなんてなかった時代。当時のティーンエージャーがちょっと「オトナなもの」へアクセスするための「入口」は、存外テレビではなく、ラジオが担っていた部分が大きかったような気がする。

中学生から高校生にかけては、「吉田照美のてるてるワイド」から「三宅裕司のヤング・パラダイス」を聴き始めていたし、深夜枠では知る人ぞ知る「コサキン」が始まったのもこの頃だったろうか。1980年代の半ばの頃の事だ。コサキン。可笑しかったよなあ。深夜だから大笑いするわけにもいかず、何度布団を噛み締めたことか(笑)。何だろうなあ、コサキンの笑いというのは、頭の中の、ある部分の線と線をつないで、強制的に笑わされてしまうというか、何やら自分の「脳」をハックされたかのような感覚が味わえる、良い意味で「くだらねー」番組だった。あれだけ笑ったのに、翌朝になると「アレ?何のネタで笑ったんだっけ?」ってことが結構あったし。エアチェックは必須の番組だった。懐かしい思い出だ(それでも、年に一回の特番で復活してくれるあたり、かつてのヘビーリスナーとしては本当にありがたいことだ)。

社会人になって地方都市に転居した後は、在京ラジオ局の深夜放送は時間的にも、地理的にもほとんど聽くことが出来なくなったのだが、当時は営業担当で、車に乗って外回りをしていたので、昼間のラジオを良く聽くようになった。あの頃は、「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」を聴きながら、会社を出て担当エリアに向かい、昼間は、担当エリアの地元局の昼ワイドを聴き、「小沢昭一的こころ」のお囃子が流れたらもう出先から会社に戻ってよい、という感じだったろうか。ラジオはまさに時計代わりだったし、顧客先を回る間の気分転換に、なくてはならないものだった。

しかし転勤で東京に戻り、デスクワーク中心の生活になった事で、いつの間にかラジオを聴かなくなってしまった。環境が変わったこともあるけれど、考えてみれば私は「ラジオでラジオを聽く」(←何か日本語としておかしな表記になっちゃいますね)ということをしていなかった。つまり、学生の頃は「ラジカセ」があったからラジオを聴けていて、社会人になってからは、車の「カーステレオ」があったからラジオを聴けていたのであり、「ラジオ」そのものを持っていたのではないのだ。
しかし、東京に戻った2000年代初頭、すでに音楽はラジカセではなくて、PCでCDを再生したり、MP3に取り込んで聽くようになり、通勤時もMP3を再生できるポータブルプレイヤーで再生していたから、要するにハード面で「ラジオを聴ける環境」はなかったということが、結果的に私がラジオから遠ざかってしまった要因だったように思う。
(こういうラジオの弱点を解決したという点でも、本当に「ラジコ」というサービスは優れたものと言えるだろう。)

在宅勤務と共にあるラジオ。

例の流行り病の影響で始まった在宅勤務。これはこれで仕事しやすい面もあるし、こういう勤務形態が今後も続いてもらいたい部分もあるにはあるのだけれど、正直なところ週に5日、在宅勤務が続いてしまうと、やはりストレスがたまる部分もそれなりにあるものだ。私のように独居であると、本当に人と会話しなくなってしまう。なんとなく人の声が恋しい、という気持ちになってしまう。

そんなことを感じていたある日、ふとラジオをつけてみたのだ。
何という、心地よさ。

内科医の國松淳和先生も著作「コロナのせいにしてみよう」の中でお書きになっているのだが、ラジオの良さ、というのは確かにあるような気がする。
テレビはあまりにも物事を認識させすぎる。何かをしながら見る、という事も難しい。聴くでもなく、聴かないでもなく。ただ、そこから流れてくる人の声や音楽。ひとり、自宅で仕事をしているときに、ラジオがあることで確かに「心の均衡」みたいなものが保てていたような気がする。

私の子供時代のあの頃も、家で仕事をしていた父は、あるいはこんな感じでラジオをかけながら仕事をしていたのだろうか。少しだけ、あの頃の父の気持ちがわかったような気がする。仕事とラジオの親和性。それはもちろん職種にもよることではあるけれど、在宅でのデスクワークにおいては、非常に高いものであるだろう。

そんな感じで、昨年4月の、最初の緊急事態宣言が発出された頃に、私はまた「ラジオのある暮らし」に戻ったのだ。

「なな→きゅう」に感じる、番組とリスナーの紐帯。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%AA%E2%86%92%E3%81%8D%E3%82%85%E3%81%86

さて、かなり前置きが長くなったが、本記事は文化放送が3/26までオンエアしていた「なな→きゅう」終了のことについて語る記事である。

ここで「なな→きゅう」について簡単に説明しておくと、この番組は文化放送で朝7時から9時までオンエアされていた「情報番組」であり、MCはタレントの上田まりえさんが月曜日から木曜日、同じくタレントの鈴木あきえさんが金曜日を担当し、曜日ごとに変わるレギュラーのパートナーとともに身近なニュースや流行、リスナーからのメッセージを紹介するトーク番組である。

「なな→きゅう」を聴き始めたのは、確か4月の、ある火曜日の朝だったか。朝5時から放送している「おはよう寺ちゃん活動中」をラジコで聴きながら通勤していて、その頃は「おは寺」終了後はニッポン放送に乗り換えていたのだが、その日に限ってそのまま文化放送を聴いていると、さわやかで聴きやすい女性の声と、いい声で、ちょっとだけとぼけたコメントを言う男性の声。その声の主こそ、上田まりえさんと、火曜日パートナーのユージさん。お二人の掛け合いが面白くて、会社に着くまで聴き続けてしまった。
それが「なな→きゅう」とのファーストインパクトだった。

それからは毎朝「なな→きゅう」を聽くのが楽しみになった。
通勤の時にしても、在宅勤務の日にしても、「なな→きゅう」は私にとって良き時計代わりであり、曜日によって変わるパートナーの存在も、良きカレンダー代わりであったと思う。自分のTwitterのタイムラインに「#おかだひどい」のハッシュタグがついたツイートが多く流れると、改めて、ああ、木曜日だなと感じたりとか。

「なな→きゅう」の良さ、というのは、良い意味での「緩さ」にあったように思う。身近な話題を、楽しく紹介してくれる、なな→きゅう。朝のラジオはどうしても時事のニュースが中心というイメージだけど、逆にその時間帯に、女性MCを中心にして、身近な話題で楽しいトークを繰り広げる「なな→きゅう」は、例の流行り病でささくれ立ちそうになる気持ちを穏やかにしてくれたと思う。

それにもうひとつ。これは自然発生的なものだと思うけど、「なな→きゅう」は、かつての深夜放送を思わせるほどに、リスナーと番組の紐帯が強い番組だと思う。ここの部分も、自分が「なな→きゅう」に惹かれた側面かもしれない。番組を愛してやまないリスナーの方々は、自らを「ななきゅうバー」と称して、SNS上で楽しく交流されていたようだ。こういうのは傍で見ていても実に微笑ましいというか、穏やかな気持ちになる。こういうところまで含めて、ラジオっていいな、と思わせてくれる。

「なな→きゅう」という番組と、他の番組や関係する人たちとの「関わり合い」もリスナーとして楽しかった。「なな→きゅう」の前にオンエアされている「おはよう寺ちゃん活動中」の火曜日コメンテーター、田中秀臣上武大学教授も、「上田まりえはアイドル枠」発言以来、たまに番組またぎでコメントのやりとりがあったりとか、番組内でのコーナーである「ジャパネットたかたラジオショッピング」でも、MCの林さんはリスナーの認知度が高く、ここ半年はすっかり「なな→きゅう」ファミリーの一員になっていたのではないか。ジャパネットの林さんと番組リスナーがSNS上でちゃんとお互いを認識してやりとりをしているとか。この「家族感」みたいなものはなんだろう。こんな雰囲気が生まれる番組、他にあるだろうか。
この「和気あいあい」の感じこそ、「なな→きゅう」という番組の最大の魅力だろう、と思う。
これは何気なく見えて、実は凄いことなんじゃないだろうか。

かの、みうらじゅんさんも「なな→きゅう」のリスナーであることを、3月18日放送の「大竹まことのゴールデンラジオ」において語られていた。
みうらじゅんさん曰く、なな→きゅうの上田まりえさんについて、
「洗濯ものを畳みやすい声」。
これを聴いた時は、まさに、と膝を打ったものである。
みうらさんご自身も、この流行り病の中で生活が一変し、朝型の暮らしをされているそうで、朝は「なな→きゅう」を聴きながら、日々の家事などもされていた様子。とにかく上田さんのことはべた褒め、という感じで。
このような話を聞くと、ひょっとして2021年の「みうらじゅん賞」は、上田まりえさんが受賞、なんてこともあるのかもしれないなあ、などとつい思ってしまった(笑)でも、もしそうなったら「なな→きゅう」リスナーとしても、とても嬉しい事ではあるんだけど。

「ラジオ番組を卒業していく」という感覚。

今まで、いろいろな番組を、いろいろな局面で聴いてきた。
ただおかしなもので、進学とか就職、転居などがあると、ふとそれまで聴いていた番組を何故か聴かなくなるということも往々にしてあることだろう。それはもちろん、その番組が嫌いになったというようなことではなくて、ラジオがある程度生活に密着しているが故に、その生活自体が変化したときに、共にあるラジオも変わっていく、ということなのかもしれない。

これまで自分が大好きだった番組もそうだ。
別に嫌いになったわけではないけれど、環境は変わってなんとなく聴かなくなって、そしてネットのニュースなんかでその番組の終了を知ったりすると、なんとなく寂しさを感じつつ、ああ、やっぱりな、という感覚と、今までありがとうという感覚と。
気持ちとして、一番近いのは「卒業」だろうか。
これまで、そんな心持ちで、自分の好きだった番組を見送ってきた。

だが、「なな→きゅう」の場合はちょっと違う。
「なな→きゅう」は、現在進行形で、もはや自分の生活パターンの一部になっていたのだ。しかし、その「なな→きゅう」が、終わるという。

日頃、何気なく見ているオフィスや自分の部屋の時計が、ある日いきなり無くなる感覚、とでも言うべきか。
もちろん「時間」というものは、別段その時計でなくでも、腕時計でも、スマートフォンでも知ることはできるだろう。
しかし、そういう問題ではないのだ。
何かをしようとか、何かを知る時に「何で」という手段そのものが、大事なものも、ある。

いつの間にか自分が聴かなくなって、数年経って、ああ、あの番組も終わるのか、ありがとうね、というこれまでのお別れの仕方とは違う。自分の生活の一部になっているものが、急に終わる。そんな「お別れ」をするのは、初めての事だ。せっかく親しくなった転校生が、また転校してしまう。そんな感覚に近いだろうか。去る人も辛いけど、残される者も辛いのだ。

待ってくれ、まだ自分は「なな→きゅう」を卒業していないんだ。
待ってくれよ、まじで。

寂しいよなあ、終わっちゃうの。

なな→きゅうの終了が、上田まりえさんからリスナーに伝えられたのは、2021年の1月18日の番組終わりのこと。あの日は在宅勤務で、自宅で番組の始まりから終わりまで、オンタイムで聴ける日だったんだよな。ああ、改編期を越えられなかったかーという感覚と、え、じゃあ春から何を聴いて通勤すればいいんだよ、という感覚と。正直、結構動揺した。こんな気持ちになったのは「YMOの散開」以来かもしれない。

番組終了にあたり、涙ながらに語られた上田まりえさんの「思い」は、十分に、十分以上に、リスナーの胸を打ったと思う。
番組でも紹介されていたけど、さまざまなリスナーさんが、もっと普段からメールを送るとか、番組に参加しておけばよかったと仰っていたそうだが、それは私も同じだ。もっと気軽にメールを送るなり、Tweetしても良かったのだ。昔は、ラジオ番組に固定ファンがついてくると、「はがき職人」と言われるようなヘビーリスナーが現れて、それで投稿の方向性みたいなものが固まってくるという文化があったけれど、今のようにSNSと番組が連動する時代にあっては、もっとリスナーが積極的に関わっても良かったはずなのだ。しかし自分はその「頭の切り替え」ができていなかったのかもしれない。

いつもでも、あると思うな、親と好きなラジオ番組。

けれど。
そこは天下の文化放送。
あの「吉田照美のてるてるワイド」を、
「さだまさしのセイヤング」を、
「谷村新司の天才・秀才・ばか」を生んだラジオ局。
箱根駅伝を毎年中継しているラジオ局。
私は勝手に、文化放送こそラジオの愉しさと、可能性を一番知っている在京ラジオ局だと信じている。
そんなラジオ局が、「なな→きゅう」という、希望に満ちた、新たな「種」をあっさり捨て去るはずはないと思いたいし、きっといつか、別な時、別なところで、見事な大輪を咲かせてくれるはずだ。
そうなることを祈りたい。

自分が知らないだけで、きっと素敵なラジオ番組はたくさんあるんだよな。

その「なな→きゅう」の上田さんがゲスト出演したつながりで、夕方からTokyoFMでオンエアされている「Skyrocket Company」も聴くようになった。
上田さんをして「なな→きゅう」の姉妹番組と仰っていたが、AMとFMの違いというか、番組の作りは当然異なるのだけれど、やはり通じるところは確かにあって、すんなり入り込めたような気がする。マンボウやしろ本部長の大らかな語り口と、浜崎美保秘書の美声を会社帰りの電車の中で聴くにつけ、ああ、今日も仕事が終わったな、という穏やかな気持ちになる。

今や出勤時は「なな→きゅう」、退勤時は「スカロケ」を聴きながら通勤する自分がいる。そして帰宅してからの一杯は、「一番絞り」になる日も多くなった(いいCM打ちますね、キリンさんは)。

そして日曜日は、近所をウォーキングしながら、ラジコのタイムフリーで、林家たい平師匠と坂口愛美アナの「たいあん吉日おかしらつき」を聴くのも楽しみになった。この番組の何が凄いかといえば、日曜の朝オンエアの番組なのに、時折お酒を飲むコーナーがあるという…(笑)
「たいあん吉日おかしらつき」を聽くようになったのも、坂口アナが「なな→きゅう」のスピンオフ特番(昨年、ますだおかだの岡田師匠と繰り広げた「夜のななきゅう」とか、箱根駅伝中継の関係で元日の放送に出られなかった寺島啓太アナの代打を担当したこともあって、坂口アナの出ているラジオを聽くようになったからだ。

類は友を呼ぶという言葉があるけれど、好きなラジオ番組がさらに好きな番組を呼び込む、という部分がラジオというメディアにはあるような気がする。そして「放送時刻」という制約を、一週間という制約はあるものの、追いかけてアクセスできるという点で、ラジコという仕組みはリスナーの裾野を広げる大きな原動力になっていると思う。

ラジオと共にある暮らし。

ラジオよ、今夜もありがとう。
そして大好きだった「なな→きゅう」のパーソナリティの方々、スタッフの方々、そして番組を愛してやまない、ななきゅうバーの皆さん。
本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
心の中で、スタンディングオベーションしている自分がいる。

いろいろな思いが交錯している。
朝7時。慣れ親しんだいつものオープニングが聴けないのは寂しいけれど。

だけど、ひとつだけ確かな事。
やはり明日も、私はラジオを聴くだろう。

(了)

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