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水は器

<水は器>
水はうつは(わ)にしたかひ(がい)て
そのさまさ(ざ)まになりぬなり
人はましは(じわ)る友により
よきにあしきにうつるなり
おのれにまさるよき友を
えらひ(び)もとめてもろともに
こころの駒にむちうちて
まなひ(び)の道にすすめかし

学習院桜友会

「水は器」という詩がある。

この詩自体は、昭憲皇太后より明治20年(1887)3月18日華族女学校「女子学習院」へ賜られたものである。

この詩は、「水は入る器によって、さまざまに形を変える」ということから、人も関わる人、周りにいる人によって良くも悪くもなるということを意味している。だからこそ、自分よりもより優れた友を選び、自分を高めていけと。


「水」の年であった2022年


2022年、私は本当に出会いに恵まれた。

素晴らしい志と、その志を実現する知識・技術を持ち合わせたたくさんの方々と出会った。

たくさんの素晴らしい「器」に囲んでいただいた半面、
さまざまに形を変えながら自分らしさを模索した「水」の年であった。

それは、自分の無力さと未熟さを突き付けるものであり、同時に「一刻も早く成長したい」という強烈な欲求を私に与えた。

特に記憶にあるのは、2022年3月頃のことだ。
その頃は、とにかく1分1秒も無駄にしたくないと思い、本や記事を読み漁っていた。運転中さえも、動画教材でいろんな経営者のインタビューを聞いていた。

なんでそんなことになっていたかというと、それは紛れもなく周りにいる方々の影響である。

周りにいる方々は、自分よりも20年も30年も人生の先を歩む先輩ばかりで、持っている知識も、技術も、経験値も、自分よりも圧倒的なものを持っていらっしゃるのは明らかで、到底追いつけるはずもないのはわかりきっているのだが、そんな中で仕事をしていたら、とんでもなく自分が置いてけぼりにされているような感覚がしたのだ。

そんな環境にいると、私はできない自分ばかりに目を向けてしまうので、その不安感から逃げ出すためには、とにかく勉強するしかなかった。

そのおかげで、いろんな知識や情報を身につけることができたし、勉強癖もつけることができた。

このとき私は、良くも悪くも自分(水)を形作るのは周りの環境(器)であり、よりよくなりたいのであれば、自分自身で器を見極めていく必要があるのだと学んだ。


選ばれる「器」に向けて一歩踏み出す2023年


2023年、目指すは選ばれる「器」に"近づく"こと。

"なる"こと、というとおそらくそんな簡単になれるものではない。
おそらく選ばれる「器」だったかが問われるのは、自分が死んだときだろう。

来る自分の死に際に向けて、今の自分は何ができるか。
それは、選ばれる「器」に少しでも近づけるよう、自分を磨いていくことしかないだろう。

ありがたいことに、これまで約1年、ほぼ2人で進めてきたの自身の取組にも、ここ最近は多くの同世代がかかわってくれている。

しかし、それが表出したのは自分の「器」としての未熟さであった。
今の自分のままでは、到底選ばれる「器」には及ばないだろう。
むしろ避けられる「器」への方が近い気さえする。

2022年、せっかく素晴らしい「器」に恵まれたのだから、今年は「器」としての自分を、少しでも成長させたい。これは、2023年の大きな課題として、自分の心にとどめておきたいものである。




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